▼ 君の全部を
たかが二歳差。されど二歳差。傑は俺に、年の違いなんて大したことはないと言う。大したことはないのはきっと傑だけで、どうしても埋められないその隙間を、俺はかなり気にしている。
「結婚式のウェルカムボード?」
「うん。そう。どうしてもって頼まれちゃって」
「何で傑に?」
「姉さんの昔からの友人みたいだよ。あの…俺、前に二人の絵描いたでしょ?あれを見たその友達が、すごく気に入ってくれたらしくて。自分たちの時も是非って」
そんな話をしたのが先週のこと。あれから傑はウェルカムボードとやらの製作にかかりっぱなしだ。妥協はしたくないから、と綿密に丁寧に作業を行っているらしい。
らしい、という言葉を使ったのは、その場面を見ていないからである。家よりも大学の方が道具も環境も整っているから、と傑はここのところあまり家には帰らず、大学にこもりっきりになっている。
そう。埋められない隙間を実感するのは、こういうときなのだ。
傑は自分のやりたいことをきちんと持っていて、絶対にそこから揺らいだりはしない。そんな彼を尊敬しているし、そういう彼だからこそ好きだ。
でも、俺は。
会えない時間が募れば募る程、寂しくてたまらなくなる。俺の頭の中は傑でいっぱいで、他には何にもない。自分というものを持っている傑とは大違いだ。
それに…。
「…姉ちゃん、なんで傑のこと友達に言ったの」
「え?」
「ウェルカムボードの話」
きっと、いや絶対。傑があんなに懸命になっている理由の一つには「姉さんの友人の頼みだから」というものがある。
傑の気持ちは疑っていない。俺を選ぶと言ってくれた彼を信じている。でも傑にとって姉ちゃんは俺とはまた別の次元で大切な人であって、そこに俺は入り込むことができない。
「ごめんなさい。私も最初は断ったんだけど…」
「けど?」
「傑がね、大切な友達なんでしょうって。だったら断っちゃ駄目だよって。姉さんの大事な人を祝福する手助けができるなら、俺は喜んで引き受けるよって言ってくれたの」
「…ふうん…」
平静を装って返事をするものの、心の中は黒い感情で覆いつくされていく一方で。
――傑は、姉ちゃんのためならなんだってできるんだ。俺と会えなくなっても平気なんだ。
こんなこと絶対に言えない。俺はいつまで経っても成長できない。情けなくて弱くて、いやになる。
傑、傑、傑。ごめんね。子どもでごめん。
*
俺の家と傑の家は隣同士だ。近くにいられることは嬉しいけれど、こういうときどうすればいいのか分からなくなる。会いたいけど、会いたくない。こんな子どもっぽい自分を見られたくないのだ。
きっと今、傑に会ったら俺は。
そう思うのに、頭の中は傑でいっぱいだ。ちゃんと食べてるかな。ほっとくと平気で一日食べなかったりするからな。睡眠をとっているのかも心配だ。
…ちょっと、様子見に行ってみようかな。多分大学にいるだろうし、傑の大学なら前にも行ったことあるし、見るだけ見て帰ろう。
ええと、何駅で降りればいいんだっけか。携帯を片手に玄関の鍵を閉めていると、ふと声をかけられた。
「新太?」
「えっ」
驚いて顔を上げる。大きな荷物を抱えた傑が目の前に立っていて、俺は思わず固まってしまった。
「す、すぐる」
何日ぶりだろう。あぁでも顔見られて嬉しいな。気持ちがぐるぐると渦巻いて、うまく言葉にできない。
「丁度良かった。今から姉さんの家に行く予定だったんだけど、新太も一緒に行かない?」
傑はそんな俺の様子に気付いた風でもなく、いつものようににこにこと笑う。
「姉ちゃんの?」
「そう。ウェルカムボード完成したから届けようと思って。あ、その前に一旦家で着替えていくけどね。いろいろ汚れちゃってるから」
「…そっか」
…久しぶりに会ったのに、また姉ちゃんの話。いや正しくは姉ちゃんの友達の話なんだけど。でも俺の話じゃないことには変わりがない。
「荷物持つよ。着替えてきたら」
「ありがと。あ、中入っててよ」
やだな。こんな気持ちのまま傑に会いたくなかったな。どうしたらいいんだろう。今俺は上手く笑えているだろうか。
悶々としながら傑の家に足を踏み入れた。傑の両親は二人ともデザイン関係の仕事をしていてとても忙しい。だから今、この家には俺と傑しかいない。
「あー…駄目だ…二人っきりとか駄目だ…」
着替えてくるね、と自室に戻った傑を待つ間もそんなくだらない思考が脳内を占拠する。何を考えているんだ俺は。付き合いたてのカップルじゃあるまいし。いやでも仕方ない。だってもう三週間は触ってない。…触ってないってなんだそれ。
ずっと近くにいた分、少し離れただけで堪えてしまう。前は気にならなかったのに、一度一線を踏み越えてしまうと際限なく欲しくなる。
…触りたい、な。駄目かな。ちょっとの間抱きしめるとかなら、許してくれるかな。
ソファに身を沈めて邪な妄想に浸っていると、二階から物凄い音が聞こえた。がばりと立ち上がる。
まさか、傑…疲労のあまり倒れたとかそういう…!!
「傑!?だいじょ…」
慌てて階段を駆け上り、部屋のドアを開く…と、そこにはパンツ一丁で倒れている傑がいた。サッと顔から血の気が引く。全身が冷たくなっていくのが分かった。
「すぐる…!!」
どうしよう。どうしよう。やっぱりちゃんと食べてなかったんだ。駆け寄って抱き起こす。
とりあえず救急車…っ!ええと、電話、携帯…!
「あの、新太…そんな慌てられると逆に恥ずかしいんだけど…」
「え…だって、傑、栄養失調で…」
「ちがうよ…」
泣きそうになっている俺を見て、傑が気まずそうな表情を浮かべた。
「…ごめん、ズボン履こうとしたら足が引っかかっちゃって、そんで壁に激突して…」
「ズボン…?」
「そう。ズボンです」
「…」
「…えへへ」
――限界だった。
「う…」
「ちょ…、あ、新太、何?なんで泣いてんの?」
傑の笑顔久しぶりに見たなぁとか、抱きしめた身体からちゃんと熱が伝わるのが嬉しいとか、もう待ってるの疲れたとか、そんな感情が一気に溢れ出ていく。
「すぐる…」
「な、なに?どしたの」
「さみしい…っ」
「へ」
「さみしい、俺、傑がいないとだめだ…っ、おねがい、今日は姉ちゃんのとこいかないで、このまま俺と一緒にいて」
馬鹿。俺の馬鹿。言うつもりなんてなかったのに、よりによって泣きながらとか一番かっこ悪い言い方で。
「…豪快に泣くなぁ」
瞳からぼろぼろと零れていくそれを、シャツの裾で拭われた。絵具だろうか、独特の香りが鼻を掠める。
「ごめ、ほんとこんな…情けなくて」
あぁ、傑のにおいだ。傑がいる。今ここに、俺のそばにいる。たったそれだけのことが嬉しい。でも同時にすごく切ない。
「いいよ。俺新太のそういうとこ好きだから」
「嘘、だって、俺」
好きとか言ってもらえる資格なんて、今の俺には。
みっともない。どうしようもない。もっともっと大人にならなくちゃいけないのに。
俺は姉ちゃんの代わりにはなれない。なりたくもない。だけど傑は一緒にいてくれるから、これ以上ないってくらいの幸せを俺に与えてくれるから、せめてこの人を優しく包み込めるくらい大きな人になりたい。
「泣くまで我慢しないで、そういうの全部言ってくれていいから」
「…っ俺、傑の邪魔したいわけじゃ、ないし…」
「邪魔になんかならない」
「でも、傑には、夢中になれるものがあって、俺には何もない…」
「何言ってんの」
傑の指が俺の髪をぐしゃぐしゃに撫でる。それからぎゅっと強く抱き着かれた。
「俺が今好きなことできてるのは、誰かさんのおかげなのに」
誰かさん、って。
「…俺、のこと?」
「中学のころ、俺の描いた絵を綺麗だねって言ってくれた。また見せてねって笑ってくれた。新太はもう忘れたかもしれないけど」
「わ、忘れてない」
――覚えていて、くれた。俺が傑を好きになったときのこと。
「あの言葉がなかったら、今の俺はここにはいないよ」
どうしようどうしようどうしよう。
「辛いことだっていっぱいある。うまくいかないことの方が多い。それでも描くことをやめられないのは、今でもあのときの新太の言葉が俺の中にあるからなんだ」
そんな嬉しいこと言われたら、俺、俺は。
「何もなくなんかないよ。新太はちゃんと、俺を支えてくれてる。何もない人にそういうことはできない。新太がどういう人間かは、俺が一番よく分かってるから」
…俺、今、死んでもいいかもしれない。
「あぁもう、また泣くの」
「だって、傑がそんなこと言うから…っ」
止まりかけていた涙が戻ってくる。視界が滲む。
「…あのさ、前から気になってたこと、言ってもいい?」
「…う、うん」
「寂しいとか会いたいとか一緒にいたいとか、新太だけが思ってるわけじゃないから」
「え…」
「ただちょっとそういう気持ちを出すのが苦手なだけで」
「じゃあ、じゃあ傑も」
「うん。俺も同じだよ。全部新太と同じ」
その言葉を聞いて、もう駄目だと思った。これ以上耐えられない。唇が勝手に動く。
「さ、さみしかった…」
「うん」
「姉ちゃんの友達だからって、ずるいと思った」
「はは、うん」
「でも今、傑の夢中になれるものの中に俺がいるって分かって、すごく嬉しかった」
「うん」
「…っもう、もう」
もう、触ってもいい?
「…いいよ。俺も新太に触られたい」
――こんなにも好きで、好きで好きでたまらなくて、一体俺はどうすればいい。
この人の一番になりたい。そう思って必死に追いかけていたら、いつの間にか本当に願いが叶ってしまった。
触って、キスして、抱きしめて、でもそれだけじゃ足りなくなってしまった。
「傑が好きすぎて、どうしたらいいか分かんない…」
最初は傍にいられるだけで満足だったのに。どんだけ欲張れば気が済むんだろう。自分でもおかしいと思う。
「…もっと俺でいっぱいになればいいんじゃないかな」
「これ以上いっぱいになったら、俺多分…いや絶対死ぬ」
「死なないよ。だって俺が死んでないもん」
…それって、傑も俺と同じだってことだよね。
悶々したり、泣きたくなったり、苦しくなったり。恋って本当に難しい。
「傑、大好き」
それでも好きな気持ちを止められないのは、何故なんだろう。
この人が好きだ。この気持ちは留まるどころか、毎日加速していく。
触れたい。キスしたい。抱きしめたい。もっと近くに行きたい。もっともっともっと。
「好きだよ。俺は傑が好き」
言葉じゃ表しきれない感情。それを口にする度、この人があんまりにも嬉しそうに笑うから。
これでいいのかもしれない、と思った。好きな気持ちを止める必要なんて、どこにもないと。
「好き」
今はまだ子どもかもしれないけど、少しずつ少しずつ大きくなるから。
立派な大人に、とまでは言わないけど…少なくとも自分自身には嘘をつかないでいたい。この人をこうしていつまでも笑わせてあげられるような、そんな人になりたいんだ。
だからもっと、近くにいってもいいかな。
「うん、俺も新太が好きだよ」
…あぁ、なんか俺、今すごく幸せかもしれない。
end.
*
佐助さまリクエストで、傑に子どもだと思われたくないのにどうしてもヤキモチをやいちゃう新太の話でした。
新太は姉さんに絶対に勝てないと思ってます。そして傑はそんな風に思ってる新太がいじらしくてたまらないと思ってます。でもお互い口下手だからうまく言えない。少しずつ幸せになれるといいね。
ちなみに作中で二人が言ってた中学のときの話はこことリンクしてます。よろしければ小ネタ程度にどうぞ!
この二人を好いてくださって嬉しいです!リクエストありがとうございました!
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