▼ 04
確かに以前、俺は九条に「犬としてなら抱いてやる」と言った。へらへらした嘘の笑顔に簡単に騙されるのが憎くて、そのうえそんな俺を好きだとほざくのがおかしくて、めちゃくちゃにしてやりたいと思ったからだ。
二度と恋だなんて勘違いしないようにしてやろうとしたのに、こいつはそれでもいいと縋り付いてくる。どうすればいいって言うんだ。どれだけ拒んでも無駄ならば、いっそ受け入れるしかないのか。
「阿呆」
考えて考えて考えて、俺は返事をした。
『あほって…!』
「お前、俺のこと好きなんだろ」
『…す、好きだけど』
「なら絶対抱かない」
『なっ…』
電話の向こうでキャンキャン騒ぐ声が聞こえる。相も変わらず言葉の裏を読むことを知らないやつだ。人がどんな思いで言ったか分かんねぇのか。本当に救いようがない。
「…」
『ひでーよ、人が、人が折角勇気出して言ったのに…なんでいつもいつもアンタは…』
「泣くなよ。みっともない」
『誰のせいだと思ってんだ!』
「俺の言葉の意味を理解できないお前のせいだろ」
『はぁ?』
「この俺が特別扱いしてやってるのに、わざわざ自分からその他大勢の人間と一緒になろうとすんな」
触れられる距離にいることを許すのも、自分から触れるのも、お前だけだって気づけよ。いい加減にしろよ。
なのに条件をつけて抱いてくれだなんて。そんなの以前と何も変わらない。九条じゃなくたって他の人間だって構わない。代わりの利く行為は特別なんかじゃない。
『と、特別?俺が?』
「俺が他人にこんな面倒なことしてやると思うのか?」
『わっかんねーよ!だって先生、何考えてるかさっぱりだし…』
「…別に、身体で繋ぎとめようとしなくても」
『へ?』
「セックスなんかしなくたって、俺はお前を傍に置いてやる」
ふと口に出してしまった台詞に、背筋が冷たくなるのが分かった。何が傍にだ。そんな陳腐な単語は大嫌いなのに。クソ。どうしてここまでしてやらなくちゃならないんだ。それもこれも全て、こいつの頭が悪いせいだ。
冷えてしまった身体の熱を取り戻すため、そっと静かに部屋の中に戻る。部屋の中は物音一つしなかったが、受話器から聞こえる声のせいでちっとも静かだとは感じられなかった。
『ほ、ほんと?今の言葉、うそじゃねーよな!?』
「さぁな。お前次第だろ」
『センセーもしかして俺のこと段々好きになってきて…』
「調子にのんなぶっ殺すぞ」
『だぁってさぁー!すっげ嬉しい!ちょー嬉し…げほっげほっ』
「…もう寝ろよ」
馬鹿だ。こいつはどこまでも馬鹿だ。自分で自分の風邪を悪化させてりゃ世話ねーな。
切るぞ、と通話をオフにしようとすると、九条は慌てたような声で俺を引き止める。
『まっ、待って、待って!一個だけお願い聞いてくんね?』
「はぁ?」
『聞いてくれたら大人しく寝るから!』
「なんだよ。早く言え」
『名前呼んで、おやすみって言って』
「…切る」
『だー!!いいじゃんそんくらい!!なっ?な?』
「女子かてめぇは」
『センセーの声好きなんだよ』
「気持ち悪い」
はぁ、と本日何度目かも分からない溜息を吐いた。恋人同士でもあるまいし。大体恋人にもそんなことしたことないっての。
「…一回しか言わねーぞ」
――俺もおかしくなったもんだな、と自嘲気味の笑いが漏れる。
「おやすみ、九条」
自分の声を聞くと我に返って後悔しそうだったので、出来るだけ小さな声で囁いた。
「…」
『…』
「…」
『…』
長い沈黙が訪れる。
「…おい」
『へっ!?』
「ありがとうございます、とか何とか言えよ」
『あっ、あ、そ、そうだよな!あ、ありがとうございます!』
上擦った声が返ってきた。…まさか、とは思うが一応尋ねてみる。
「お前、変なこと考えてんじゃねぇだろうな?」
『へへへへ変なことってなんだよ!?別に俺は何も…!』
「…勃ってんだろ」
『え゛っ!?』
図星だ。
prev / next