▼ 09
まだ状況が読み込めていない九条の頭を、もう一度胸に押し付ける。
「んぶ……っせ、先生、あの、今」
「こっちを見るな。見たら殺す」
低い声で囁くと、九条は少しの間大人しくされるがままになっていた。だが、その沈黙も幾分と持たずに破られてしまう。
「……んとに?」
こっちを見るなと言ったせいなのか、九条が顔を埋もれさせたまま何かを呟いた。声がくぐもって聴き取り辛い。
「なんだよ」
聞き返す俺のシャツを、白く痩せた指がくしゃりと掴む。
「ほ、ほんとに?」
「……そうだ」
「ほんとのほんとに?」
「あぁ」
「本当に?」
「……」
アホか。本当もなにも、こんな嘘ついてたまるかよ。それで一体俺に何の得がある。思ってもいない言葉を求められた通り見返りも無くただ与えるだけなんて、俺はそんなに甘くない。
「……っ」
少しだけ身を屈め、その真っ黒な髪に唇で触れる。腕の中の身体が強張るのが分かったが無視をした。
「あ、あの」
「何だよ」
「も、もう、もう一回」
「もう一回?」
もう一回言えってか。
九条はこくんと小さく頷く。
「その、もうちょっと具体的に、聞きたい」
「は?」
「どこが好きかとか、いつからなのかとか」
……なんか面倒なこと言い出したぞこいつ。
どういうところが好きかなんて考えたこともない。いつからなんて明確な期間がわかるわけでもない。むしろこっちが聞きたいくらいだ。
「知らねぇよ」
「なんで!」
九条が勢いよく顔をあげた。
「そんなのいちいち言語化できるもんでもないだろ」
「俺はできる!」
そりゃお前はな。
「あのなぁ、仮に俺がお前のどこが好きかとかいつから好きかだとかを懇切丁寧に教えてやったとして、何か意味があるのか?何か変わるのか?時間の無駄だ」
「意味あるし。変わるし」
「どう変わるんだよ」
「俺が嬉しくなる」
「馬鹿か」
何故お前を喜ばせてやらねばならない。くだらん。
「お前は俺の気持ちを型に嵌めて、説明できるものにしたいのか?」
「は?いきなり難しいこと言うな」
「……」
確かに今のは俺が悪かったかもしれない。こいつのレベルに合わせて言葉を選ぶのは、結構骨の折れる作業だ。
俺は一時考え、それから口を開く。
「最初から説明できるような気持ちなら、わざわざお前なんか選ぶかよ」
そう。
筋道だった綺麗な気持ちなんかじゃない。整然と片づけてやることもできない。どこが好きだとか、いつから好きだとか、明確な線引きすらない。だから言葉にするのは難しい。
ただ、言葉にするのが難しくても、無かったことになるわけじゃない。
今、確固たる存在感をもって、「それ」はちゃんと俺の中にある。
「……こんな我侭を聞いてやるのは、一回こっきりだからな」
こうなりゃ自棄だ。全部くれてやるから、責任とって一つもとり零さず拾いやがれ。
俺は気付かれないように僅かに息を吸い、そして言った。
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