▼ 06
そんなにこいつがいいのかよ。こいつ一人のために、どうして俺がこんなに振り回されてやらなきゃならないんだ。
「……九条」
「え?」
「こっちに来い」
手招きすると、九条は素直にこちらに寄ってきた。たった今目の前で繰り広げられた出来事のせいか、先程まで怒っていたことも忘れているようだ。単純な脳みそで助かる。
「い゛……っ!!」
「馬鹿が」
バチン、といい音がした。俺の指が九条の額を弾いた音だ。
「いてぇ!!」
「お前が余計なことを言ったせいで、こんな気持ち悪い女とキスなんぞする羽目になっただろうが」
「別に中津川先生は気持ち悪くねぇだろ」
「九条くん……!」と中津川の歓喜する声が聞こえたので、ムカついてもう一発デコピンを叩きこんでやる。九条がまた悲鳴をあげた。
「痛ぇって!!」
「うるせぇ。お前が悪い」
「……本当は美人とちゅーできて嬉しいとか思ってんじゃねぇの?」
「はぁ?」
何を言ってるんだこいつは。怪訝な顔をする俺を、九条はもともとつり上がった眼をさらにつりあげて睨んでくる。
「俺としかキスしないって言ったくせに……いたっ」
「その話はここでするな」
「んなバシバシ叩くなよ!!痛ぇっつってんだろ!!」
「きゃんきゃんわめくなみっともねぇ」
「……っ」
九条が唇を噛み締めるのが見えた。何かを呟いているのか、口元がぼそぼそと動く。
「は?何?」
どうせ、と九条は言った。
「どうせ……俺ばっか好きで、好きなのは俺だけで、先生は俺のことなんか全然好きじゃない」
「……」
やばい。話題がまた元の場所に戻ってきた。
「好きって言え」だなんて、この二人の目の前で強請られたらいろいろとまずい。
「あ、あんなことまでしたくせに、先生は」
おいおい。どこまで墓穴を掘っていくつもりだ。死にたきゃてめぇだけ死ね。俺まで道連れにするな。
「お前は本当にもう黙ってろ」
「むぐっ」
――慌てて手で口を覆うがもう遅い。
あんなこと?と市之宮と中津川の声が揃う。
「藤城先生、九条くんの言うあんなことってなんのことですか?」
「……知らん」
聞くなストーカー女。
「徹平。ねぇ、何?教えてよ」
「むぐぐ」
お前も聞くな市之宮。
「まさか藤城先生あなた……」
「徹平とヤっ……」
違う、とここで否定してしまおうかとも思ったけれど、そうすると今度は九条がますます拗ねて面倒なことになるのは容易に想像がついた。ので、とにかくだんまりを決め込むことしかできない。
「沈黙は肯定の証と見なしますわよ」
「藤城先生、淫行って言葉ご存知ですか?」
市之宮と中津川が示し合わせたように手を組んで迫ってくる。はっきり言って最悪のタッグだ。
というか中津川。気付いているのかいないのかは知らんが、市之宮の前でそんな風に本性をだだ漏れにしていいのか。
「……中津川先生」
「なんです急に改まって。気持ちの悪い」
このアマ。ぶっ殺すぞ。そう言いたい気持ちをこらえ、俺はちらりと市之宮の方へと視線を向けた。
「あ……」
俺の意図に気が付いたらしい中津川が咄嗟に口に手をあてる。馬鹿だ。やはり気が付いていなかったらしい。
暫しの沈黙の後、今更取り繕えないと判断したのか中津川は市之宮の方へ向き直った。
「……仕方がありません。私にとっては貴方も等しく敵なのですけれど……市之宮くん」
「え、俺?はい」
そして何故か手を握り合う。
「いい機会だと思いませんか?」
市之宮は一瞬きょとんとした表情をしていたが、すぐに全てを察したかのように口元を歪ませた。
「そうですね、中津川先生」
何がいい機会、だ。ちっともよくねぇよ。
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