DOG | ナノ


▼ 03

「喧嘩でもしたんですか」

と、市之宮が尋ねてくる。

「別に」
「付き合ってるんでしょう、徹平と」

職員室であれば当然その口を塞いでいるところだが、生憎ここは例の資料室なので問題ないといえば問題ない。

「お前な、そんな話をしにきたなら帰れよ」
「先生だってわかってて連れてきてくれたくせに」

そうだ。教科書に載っている物語の全集が見たい、なんて市之宮の見え見えの口実を受け入れたのは俺の方だ。

こいつなりに九条のことを心配しているのだろう。その気持ちを突っぱねることはさすがにできなかったし、しようとも思わなかった。

「いいですよ隠さなくたって。徹平の態度見てたらバレバレですから」
「……」
「体育祭の後からですよね」

その言葉を聞いてふと思い出した。

体育祭の後、代休の日。市之宮が九条のアリバイ作りに協力したことだ。

――俺、今日司と遊ぶことになってて…ちゃんと口裏合わせて、アリバイっつうか…司の家に泊まることになっててるから。

自分で言うのもなんだが、俺は所謂市之宮の「恋敵」だ。何故わざわざ敵に塩を送るような真似を。そのことがずっと引っかかっていた。

「……お前、なんであのときあいつの嘘に協力してやったんだよ。そんな義理ないだろ」
「あぁ、そのことですか」

市之宮は埃の積もった本の表紙を指でなぞりながら、なんでもないことのように言う。

「好きな人の頼みなら、なんだって聞いてあげたいと思いません?」

思わない。

「あんな嬉しそうな顔で頼まれたら、断れるわけないでしょう」
「それが結果的に自分の不利益になるとしても?」
「なるとしても、です。それに」
「それに?」
「徹平が一番気を許してる友人、っていうポジション、結構気に入ってるんですよ。これだけは誰にも譲りたくないし」

でも、と市之宮は続けた。すっと音もなく近寄ってきたかと思えば、不敵な笑みを浮かべ俺の唇に指を当ててくる。

「諦めたわけじゃないってこの間言いましたよね」

丸くくっきりとした市之宮の瞳に、俺の姿が映っているのが見えた。揺るがない視線が、その思いの丈を表わしている。

「まだ奪い返せると思ってますから。油断しちゃ駄目ですよ、センセ」
「……おいこれ埃拭ってた指だろ。汚ねぇから触んな」
「あ、バレました?」

バレました?じゃねぇ。邪気の無い子どものような顔しやがって、油断も隙も無い奴だ。

「他の奴にかっさらわれていくのをわかってて協力してやるなんて、俺には理解できない」

俺は奴の手を軽く払い、古びた机を椅子代わりにして寄りかかる。

「別に先生に理解されなくたっていいですよ。俺には俺の考えがあるんで」
「あっそ」

相変わらず生意気な奴だ。

「で、なんで喧嘩したんですか?」
「喧嘩じゃない。あっちが一方的に拗ねてるだけだろ」
「じゃあ質問を変えます。なんで徹平は拗ねてるんですか?」
「教える義理はない」
「あんなにわかりやすい態度とられたら、先生と徹平の間に何かあったことなんて俺でなくても気づきますよ。いいんですか?皆に怪しまれても」
「……」

こいつの言うことも一理ある。だが、だからといって教える気にもなれなかった。

「俺に好きだと言ってもらえなくて拗ねている」なんて、なんだそれ。改めて言葉にするとより馬鹿らしさが倍増する。

「話してみてくださいよ。もしかしたら何かいいアドバイスができるかもしれないじゃないですか」
「どうして俺がお前なんかにアドバイスされなくちゃならないんだ。百万年早ぇ」
「だって、俺の方が先生より徹平のことを知ってますし」
「関係ない。餓鬼に助けを求めるほど悩んでもいない」
「強情ですね。まぁでも」

市之宮は今度は俺の前に立ち、にっこりと笑ってみせた。

「先生のそういうところ、俺は結構好きですよ」

何が「好き」だ。俺は咄嗟に表情を歪ませる。不機嫌そうな俺を見て、市之宮はさらに満足げに笑みを零す。

お前は一体、俺の何を知って好きだなんて言うのか。適当なでまかせを口にするんじゃない。

「お前が好きなのは、俺じゃなくて九条だ」
「それはそうなんですけど。徹平と会う前に先生に会ってたら、俺も先生のことを好きになってたかもって」
「なんだそれ」
「夢中にさせてみたいっていうか。先生って、何にも興味なさそうじゃないですか」
「別にそんなことはない」
「第三者から見て、の話です」

そこまで冷酷な人間でいるつもりはないんだが。

「そんな人が自分に興味をもってくれたら、自分を好きになってくれたら、それはもう天にも昇る気持ちだと思いますよ」

天にも昇る気持ちだなんて大袈裟な。そのまま召されろ、と思ったが言わないでおいた。余計な言葉は口に出さない方がいい。

「……そういうもんかね」

代わりに出てきたのは、確かに興味がなさそうな返事だった。市之宮は俺の答えを聞いて、「ほらやっぱり、興味なさそう」と言った。

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