▼ 02
理由はわざわざ言うまでもない。いくら俺と九条が世間でいうところの所謂恋人同士(あまりこの言葉は使いたくないが)になったとはいえ、それは通常の男女での恋人関係とは全く異なるものだ。リスクがあまりにも大きすぎる。
「いいな?」
納得のいかない様子の九条に手を伸ばし、その黒い髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。すると奴は、ポケットからペンを取り出し、机の上にあったメモに自らも何かを書き始めた。
「ん」
そしてそのメモを俺の方に寄越す。
「……」
思わず目を疑いたくなるような文字列。そこにはこう書いてあった。
――好きって言って。
「……これはどういう意味だ」
「そのまんまの意味」
だって先生からまだ好きって言われてねぇし、と周りに聞こえないようにぼそりと呟く声。
……馬鹿か。馬鹿なのかこいつは。
「じゃあ話はこれで終わり。教室に戻っていいぞ」
無視をしてそのメモを毟り取り、手の中でぐしゃぐしゃに丸め潰してポケットの中に突っ込んだ。念のためこれは自宅で捨てることにする。万が一ここで処分しようとして他人に見られたら、それこそ言い逃れできない。
「俺の話は終わってねぇ」
「来週もこの小テストは実施するから、クラスに伝えておいてくれ」
「おい!!」
うるせぇ。黙れ。喋るな。
そんな思いを込めた視線で顔を見やると、九条はぐっと言葉を飲み込む。だがすぐに鋭い瞳でこちらを睨み返してきた。
「…もういい!!バーカ!!」
バン、と大きな音を立て職員室から出て行く九条。その音の騒々しさに驚いたらしい教師たちが、何事かと一斉に扉の方を見た。
「何でもありません。失礼しました」
俺は椅子に座り直し、何事も無かったかのように再び机の上にあったパソコンを開く。
――何が「好きって言って」だ。恋人同士じゃあるまいし。
そう思いかけ、はたと気づいた。俺とあいつは確かに今、その呼称が当てはまる関係だった。
いちいち言わなくてもわかるだろうとか、言葉なんて必要ないとか、なんでそんなことわざわざ言ってやらねばならんのだとか、恐らくどんな言い訳を並べ立ててもあのガキには通用しない。これからしばらくはあんな調子で駄々をこねられるであろうことが用意に予測できる。
正直、うんざりだった。
どこまで俺を悩ませれば気が済むんだ。クソガキ。
*
「九条はまだ来てないのか」
ぽつりと空いた席を見て問いかけると、生徒たちは互いに顔を見合わせて首を振った。市之宮にも視線だけで問うてみるが、知らないとばかりに肩をすくめられるだけだった。
「じゃあ後で担任に確認してみ……」
突然乱暴にドアが開く。入口に立っていたのは、明らかに不機嫌な九条だった。
「九条。遅刻だぞ」
「……」
「担任の先生には連絡してあるのか?」
「……」
無視か。
後でどんな目に合うか理解した上での態度なんだろうな、それは。
「……まぁいい。早く席につきなさい」
いつもと違う、というよりは以前に戻ったかのような粗暴な九条の様子に、生徒たちはどこか不安げな顔をしている。何と声をかけていいのか戸惑っているのだろう。お前、そんなんじゃまた友達なくすぞ。
無言で席についた九条に向かって市之宮が何か話しかけているが、不貞腐れたような表情は変わらなかった。
何怒ってんだ。抵抗のつもりかよ。アホくせぇ。ぶん殴るぞ。
「前回の続きからいくぞ。教科書170ページを開いて」
溢れ出そうな殺気を抑え込み、教科書とチョークを手にとる。
「当然訳はやってきてるよな。間違っててもいいから、当てられた人は自分の口語訳を発表するように」
ちらりと九条の方に目を向けると、視線が合った。その瞬間、「ば」「か」と奴の口が動く。
「……」
さすがの俺も、ぴくりと頬が引き攣るのを堪え切れなかった。
――殺す。絶対殺す。
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