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▼ 好きな気持ちが育つまで

昔から、誰かの世話を焼くのが得意だった。

「久弥ーお腹空いた」
「今朝ごはんの支度してるから座ってて」
「ひーちゃん、私の靴下片っぽ知らない?」
「また洗濯機に入れるの失敗して脇に落としてるんじゃない?」
「久弥、久弥、私今日晩ごはんいらないから。夜遅いと思うけど、玄関のチェーンは閉めないでよね」
「そういうことは昨日のうちに言ってよね」

――いや、得意だったというよりは、得意にさせられたというか。

上に姉が三人。四姉弟の末っ子の俺は、自由奔放な両親とズボラな姉に挟まれながら、すっかり所帯じみた高校生に育ってしまった。

「久弥」
「今度は何?」

くるりと後ろを振り返ると、そこに立っていたのは姉たちではなく、和彦だった。少しうんざりした顔をしている俺に、和彦はぱちぱちと目を瞬いた。

「悪い。忙しかった?」
「なんだ。和彦か」

和彦は俺の幼馴染だ。家が隣同士で、幼稚園はもちろん、小中高すべて同じ学校で、兄弟みたいに近しい存在といっていい。

「和ちゃんじゃん。また久弥のこと迎えに来たの?」
「朝ごはんは食べた?ひーちゃんのホットケーキおいしいよ」
「着実にイケメンに育っていってるねぇ。ほらお姉ちゃんに顔見せてみな」

現にこうして朝早くからうちにいても、何の違和感もない程に馴染んでしまっている。姉三人に囲まれている和彦は、困ったように笑って俺を見た。

「和彦困ってるから放してやって。俺ももう学校行くから」

エプロンを外し、椅子の上に置いてあった鞄を手に取る。

「じゃあ行ってきます」

いってらっしゃい、という姉たちの声を聞きながら、和彦と連れ立って外へ出た。

「毎度毎度ごめん。姉ちゃんたち、うるさくて」
「いや、楽しいからいい」
「楽しいなんて言うの和彦だけだよ」
「俺も久弥のパンケーキ食べたい」
「そんなのいつでもつくってやるのに」
「じゃあ今週末は?」
「いいよ」

パンケーキで思い出した。鞄と一緒に持ってきた弁当箱を和彦の前に差し出す。

「そうだ。お前今日、購買の日だろ。弁当つくってきたから」
「……わざわざ俺の分までつくったんだ。ごめん」
「どうせ自分のも姉ちゃんのもつくるし、ついでだけど」
「ありがとう」
「今日四限体育だったよね。お腹空いてると思うし、がっつり肉入れといた」
「楽しみ」

和彦は俺から弁当を受け取り、それを学校まで大事そうにしっかりと抱えていた。

「和彦は本当に俺が好きだな」
「!?」
「あ、違う。俺のご飯が好きだな……って何してんの」
「……なんでもない」

なんでもないことはない。和彦の足は見事に側溝の中だ。

「あーあー、もう……大丈夫?制服汚れたんじゃ」
「平気。帰って洗濯するから。裾は捲っとく」
「あっ、ちょっと擦りむいてんじゃん」
「え?あぁ……ちょっとだろ」
「ん。これ貼っときなよ。脚は和彦の命でしょ」

鞄の中から一枚絆創膏を出す。

「……お前のその用意の良さはなんなんだ」
「手のかかる人が周りに多いからね」
「もしかしてその手のかかる人の中には俺も含まれてたり」
「する。っていうか絆創膏は大体和彦のために持ち歩いているって言っても過言じゃない」
「……」
「あっ、時間。遅刻する」

走り出したのは俺の方が先だったのに、あっという間に和彦に抜かれてしまったので少しムカついた。運動部め。さすがに現役陸上部に勝とうとするのは無謀すぎたようだ。



「あれ?ひーちゃんどっか行くの?今日日曜だよ?」
「うん。和彦の応援。今日、陸上の地区予選らしいから」
「弁当持って?相変わらずべったりだねぇ。彼氏彼女みたい」
「だって和彦が来てって言うんだもん」

靴ひもを結んでいる俺の顔を、姉が覗き込んでくる。

「和ちゃんも和ちゃんだけど、それで律儀に言う通りにしちゃうひーちゃんもなかなかだよ」
「?」
「二人とも彼女とかいないの?」
「男子校で彼女なんて夢のまた夢だって」
「でも和ちゃんはそういう大会とかで女の子と会う機会もあるでしょうよ」
「まぁ、そうだけど……彼女がいたら流石に俺に言うでしょ」

俺の発言に姉は声をあげて笑い出した。

「ひーちゃん、それ本気で言ってる?自覚無し?和ちゃんのこと信頼しすぎ」

信頼もなにも、事実その通りなんだから何をそんなに笑うことがあるんだ。俺は和彦のことを他の人よりは知ってるつもりだし、俺のことを一番知っているのも和彦だと思っている。

少なくとも、彼女ができたとか、そういう大事な話はしてくれるはず。

「姉ちゃん意味わかんない!もう行くから!じゃあね!」
「はーい、いってらっしゃい」

そうだよな。きっとそうだ。信頼して何が悪い。こんなに長い間一緒にいる人間のことを信じてないっていう方がひどすぎないか。

大体、和彦に彼女なんかいるわけない。朝は毎日一緒に登校してるし、学校は男ばっかだし、放課後はおろか休日も部活しかしてないような人だ。女の子の影すら見当たらない。

いない……よな?

「……姉ちゃんが変なこと言うからだ」

妙に悶々とした気持ちで駅まで歩き、電車に乗り、気がつけば会場である陸上競技場まで辿り着いていた。

「久弥じゃん」

入口からスタンド席に上がろうとすると、顔見知りの部員が俺に気がついて声を掛けてくる。

「来てたんだ。和彦の応援?」
「うん。もう競技終わった?お疲れ様」
「俺は終わったけど、和彦はもうちょい後じゃないかな」
「じゃあスタンド席で見てる」
「呼んでこようか?……あ、いや、やっぱ今は駄目かも」
「競技前だから集中してるんだろ。いいよ。お昼どうせ一緒に食べる約束してるから」
「いや……そうじゃなくて……聞く?」

聞くって何を。疑問符を頭の上に浮かべている俺に、彼は声を潜めて話を続けた。

「和彦、今他校の女子といい感じなんだよ。すっげー可愛いって評判の子」
「え……いい感じって」
「前から結構声掛けられてたみたいなんだけど、さっき呼び出されててさぁ。もう羨ましいのなんのって。絶対告られるじゃんそんなの。んで絶対オッケーするじゃん」
「……和彦もその子のこと好きって?」
「別に本人は何も言ってなかったかな。でもあいつ、ずっと好きな人がいるみたい。俺の予想では多分その子だな。中学から何回も顔合わせてる子みたいだし」
「へぇ」

和彦……いつの間にそんな子が。

先程の姉の言葉を思い出す。和彦のことを信頼しすぎって、もしかしたらその通りなのかもしれない。何もかも知っていると思っていたのは俺だけで、和彦は違ったのかも。

確かに、俺だって全てを知ってもらおうなんて思ってない。そんなことを考えて和彦と一緒にいたわけじゃない。いちいち意識なんてしている方が変だ。

意識なんてしてなくても、それが当たり前だと思っていただけだ。

「あ、噂をすれば和彦」
「え」

顔を上げると、向こうから和彦が歩いてきているところだった。俺に気がつくと真っ直ぐにこちらに向かってくる。

「久弥」
「……和彦」

やだな。なんかいやだな。変だな。なんだこの気持ち。

「もう着いてたのか。来てくれてありがとう」
「あ……もう少ししたら走るんだよね?上で見てるから」
「その後、一緒にお昼食べたい」
「うん。弁当はつくってきたから」

なんだか直接和彦の顔が見られない。勝手に気まずさを感じてしまっている。

「おまえー!さっきの可愛い女の子はどうしたんだよ!」

大きな声で問う友人に、和彦は「うるさいな」と本気で鬱陶しそうな声で言った。

「別にどうもしない」
「告られた?」

えっ、待ってここでその話題を振るのか。やめてほしい。余計気まずくなる。

「断った」

え、と今度は本当に声が出た。断ったってことは、告白されたのは本当なんだろう。

……なんで?

「なんで!?好きだったんじゃないの!?」
「そんなことは一言も言ってない」
「あんなに可愛いのに!?俺だったら即オッケーするよ!」
「……もっと可愛い奴を知ってるから」
「はぁ?誰それ」
「教えない」

和彦はきっぱりとそう言い放つと、俺に軽く笑って「また後でな」と言った。

――もっと可愛い奴って、誰?



会場を後にしたのは昼過ぎになってからだった。てっきり夕方になると思っていたので、意外と早く終わったなという感じだ。

片付けやらなんやらで駆り出されていた和彦を待って、二人で帰ることにする。日中グラウンドに出ていた和彦は少し日焼けをしていた。

「いやーやっぱすごい。地区予選突破おめでとう」
「ありがとう。久弥が見に来てくれたから、ちょっと張り切った」

いつもなら「なにそれ」と笑って軽く流すところだが、何故か今日の俺にはそれができない。

「……あのさー、良かったの?」
「何が?」
「告白されたって言ってたじゃん。可愛い子に」
「……あぁ……」
「いっつも俺といるときの和彦って全然そんな感じ出さないから、ちょっとびっくりした。そんで好きな人いるんだなって、それもびっくりした」
「……」
「俺には教えてて欲しかった……とか……いや言いたくなかったら無理する必要ないんだけど!」

何を言ってるんだ俺は。そんなの、本人の自由なのに。和彦には和彦なりの考えがあって、事情があって、俺がどうこう口出しできることじゃない。

「ちょっと、ほんのちょっとだけ、さみしーっていうか……和彦の一番は俺だと思ってたから……」

ただ、わかっているけど、妙に淋しい気持ちになるくらいは許してほしい。

「あっ、一番って変な意味じゃなくて!一番長い時間一緒にいるのが俺って意味で……」
「久弥だよ」
「え?」
「俺の一番は久弥だ」
「えっ、えっ、ちょっ……駅はこっち」
「いいから」

ぎゅ、と突然手を握られた。そしてぐいぐいと引っ張られて駅とは違う方向へと連れていかれる。

「かっ、和彦」
「……」

斜め後ろから見る和彦の耳は赤い。高校生にもなってこうして手を繋ぐなんて考えもしなかった。

誰もいない住宅街の公園。手を繋いだまま、和彦がベンチに腰掛けた。和彦は突っ立ったままの俺の両手を握ってくる。

「久弥」
「は……はい」
「言うつもりはなかったのに、俺も勢いで言ってしまって後悔はしてる」
「後悔って……俺が一番って言ったこと?」
「そう。でも言ってしまったことは取り消せない」

和彦が俺の顔を覗き込んできた。逸らすのもためらわれるほどの真っ直ぐな瞳と視線が合う。

「俺には、どんな人よりも一番久弥が可愛い」
「可愛い……」
「顔もそうだけど、何より中身が可愛い」
「それは喜んでいいのか微妙なんだけど……」
「久弥」

和彦の指が、俺の指一つひとつに丁寧に絡まされていく。

「困らせるだけだってわかってる」
「……」
「から、返事はいらない。応えてくれとも言わない」
「え?いらないの?」
「いらない」

怖いから、と呟かれた声はとても小さかった。絡まされた指先がとても冷たいことに気がつく。

これは和彦が緊張している証拠だった。中学生になったばかりの頃、初めての大会で強張っていた和彦の手をこうして握ってあげたことを思い出す。

「和彦」
「……」
「あの、ちょっと俺のこと抱きしめてみてくれない?」
「は!?」
「物は試しって言うじゃん。俺、和彦なら大丈夫だと思うんだけど」
「……」

和彦はかなりの時間葛藤していたようだが、暫くして決意を固めたのか、険しい顔で俺を見た。

「じゃあ、失礼して……」
「どうぞ」

まるで壊れ物を扱うかのような手付きで引き寄せられた。触れているかいないかわからないくらいの力加減だ。ちょっと遠慮しすぎではないだろうか。

「もうちょっとちゃんとぎゅってしたら?」
「無理」
「なんでさ」
「あのな、あんまりハードルを上げるようなこと言うのはやめろ」
「でも俺、嫌じゃないんだけど」

胸の辺りにある和彦の頭を抱えるようにして抱きしめると、和彦はびくりと身体を跳ねさせた。

「久弥、あの、俺汗くさいから」
「別にくさくない」
「……」
「……」

すう、と和彦が呼吸をする音がする。

「……何か嗅いでんの?」
「……折角だから」

ちらりと覗く和彦の耳朶はやっぱり赤いままで、嫌でも自覚せざるをえなかった。

――この人、本当に俺が好きなんだ。

「……和彦」
「……」
「俺、困ってはないよ」

それよりも。

「和彦が他の人のこと好きな方が困るんだなって、今日思った」
「……どういう意味?」
「女の子に告白されてる和彦にムカついた」
「あんまり期待させること言うな」
「わかんないけど」

好きとか付き合うとか、今日だけじゃまだわからないけど。

「これから先、多分まだ長いんだからさ。少なくとも俺はまだまだ和彦と一緒にいたいよ。形はどうであれ」
「……」
「だから、教えてよ。和彦が俺のこと好きな気持ち。ちゃんと考えるから」
「……考えて、考えた結果、俺のことを嫌いになるかもしれない」
「そりゃ無理矢理なんかしようとしたら嫌いになるかもしれないけど。和彦は絶対そんなことしないじゃん」
「……」
「だからほら、言ってよ」

和彦の両頬を掴み、上を向かせる。和彦は泣き出しそうなほど不安げな顔をしていた。

「……ずっと好きだった」
「うん」
「好きなんだ」

嫌だなんてこれっぽっちも思わなかった。普通じゃないのに、当たり前じゃないのに、何故だかそれが、すごく自然な気がした。

「うん。わかったよ。ありがとう」

和彦の言葉は、いつだって真っ直ぐだ。



「久弥ーお腹空いた」
「朝ごはんもうできてるから、早く食べて」
「ひーちゃん、ストッキングまた破っちゃった……もうストックないかな?」
「新しいの買って部屋に置いたよ」
「久弥、久弥、私今日の晩御飯はオムライスがいいなぁ」
「わかった。俺今日の夜いないから作っておいとく」

えぇ、と姉たちの不満げな声が上がる。

「今日いないのー?」
「今日金曜じゃん。どうせまた和ちゃんのとこでしょ」
「全く毎週毎週……」
「仕方ないじゃん和彦は一人暮らしなんだし……俺が行けばご飯とかつくれるし、何かとお金も節約できるし」

大学生になって、和彦はここから電車で小一時間ほどの場所、大学の近くにアパートを借りた。曰く、学校に近い方が部活の練習も捗るのだとかなんとか。相も変わらず走ることに夢中な和彦を、俺はとても尊敬している。

「通い妻だねぇ」
「だから、妻とかそういうんじゃ……」
「いや、今更隠しても無駄だから。日曜の夕方、和彦のところから帰ってくるあんたは妙に気だるげで色気あるし、この間会った和彦の首には怪しげな痕が」
「ち……っ、ちが、あれは和彦が」
「和彦が?」
「……なっ、なんでもない」

――言えない。

「――んっ、か、かず……ッ、あ、ぁっ、かずひこ……っ」

俺と和彦が、毎週毎週何をしているかなんて。例えバレバレだったとしても、自分の口からは絶対に言えない。

「久弥」

もっとちゃんとしがみついて、と和彦が耳元で囁く。それからその唇がどんどん下がって来て、俺の首筋に吸い付いた。

「あ……っ!」

思い出した。和彦の首に視線を走らせ、そこに消えかかった淡い痕を見つける。

「和彦……」
「ん?」
「……のバカ!!」
「!?」
「なんでこの首晒してうち来たんだよ。姉ちゃんたちにバレそうなんだけど」
「首……?」

不思議そうな顔をしている和彦の首を、とんとんと指で叩いた。それで合点がいったらしい。和彦は「あぁ」と言った。

「いや……自慢したくて」
「何の自慢すんの」
「嬉しかったから」
「キスマークが?初めてじゃないじゃん」
「それは俺がつけてって言ってるからだろ。今回のは気づかなかったんだ。たまたまお風呂入ってるときに見つけて大変だったんだからな」
「大変って」
「めちゃくちゃ浮かれた」
「……」
「……」
「……あのー、そこで黙られると俺が恥ずかしいんだけど」
「……俺の方が恥ずかしい」

和彦はぽすんと俺の胸に顔を埋めた。照れると耳が赤くなるところは変わらない。変わらないことがこんなにも愛おしい。

「……和彦」
「……何?」
「今日の夜何食べたい?」
「オムライス」
「また?」
「またって?先週も先々週も違うものをリクエストしたはずだけど……」
「あーいや、こっちの話」

――まぁとりあえず、なんかそんな感じです。


end.




夢来さんリクエストで、「クール責め(受け溺愛)×女子力高めノンケ(のんびりタイプ)受け、幼馴染み」でした。久しぶりにピュアな恋愛ものを書きたいなと思って書き進めていくうちに、「あっ、これちゃんと両想いになるまで時間かかるやつだ」と気がついたので、最後に数年後の二人をプラスした次第です。
めちゃめちゃ遅くなってしまい大変申し訳ないです。どうか楽しんでいただますように。
素敵なリクエストをありがとうございました!


[ topmokuji ]



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