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▼ ミッドナイトクライシス

最近の俺は、どうも運が悪い。

ようやく好みの美味しい血を見つけたと思いきや、すでにその血の持ち主は誰かのお手付きで。おまけにその誰かとやらは俺と同じ吸血鬼だし。そいつより俺の方が何百倍もイケメンなのに。

そして極めつけはこれだ。

「迅さま!お帰りなさい!」

帰るや否や目をキラキラさせて近づいてくる男に、俺は頭を抱えた。

「お前、まだいたの……帰れって言っただろ」
「帰る場所なんかありません。迅さまの隣が僕の居場所です」
「いつの話だよ」

こいつの名前はカワホリ。コウモリだからカワホリ。安易な名だ。文句を言うなら幼少期の俺に言ってほしい。

「過去の話なんかじゃありません。僕にとってはずっとそうなんです」

――どれくらい昔か思い出せないくらい、遠い昔。カワホリは俺が初めて創った眷属だった。

真っ黒な髪と瞳に、小さな身体。ちょこちょこと俺の後をついてくるのが可愛くて、随分手をかけて育てたものだ。

「……なんで俺よりでかくなってんの」

それが今や可愛いなんて思える余地も無い程に育ってしまっている。

「貴方の力の現れです」

カワホリは何がそんなに嬉しいのか、にこにこと笑っている。そしてその手には何故かお玉が握られていた。

「何それ」
「あ、今夕飯をつくってて……鉄分不足には小松菜がいいそうですよ。なので今日は小松菜スープです」
「いらない。なんで家でまで血以外のものなんか食べなくちゃいけないんだよ」
「でも」

こいつが言いたいことはわかる。もう一体何日食事をしていないことか。正直身体は怠いし日中活動するのも辛い。

「いいって。寝てれば空腹なんて忘れる」
「迅さま」

何故こんなに意地になっているのか、自分でもわからない。でも今は、誰の言うことも聞きたくなかった。

「俺が寝てる間に今度こそ帰れ」
「……いやです」
「じゃあな」
「迅さま!」

ベッドに身体を投げ出し、気怠さに任せて瞳を閉じた。



「先輩、なんか顔色悪いですよ。大丈夫ですか?」

心配そうな表情をした相原が顔を覗き込んでくる。俺はにこりと笑みを浮かべて彼の身体を抱き寄せた。

「相原がちょっと吸わせてくれたら元気になるかも」

これは嘘じゃない。相原の血は冗談抜きに美味しい。独り占めしているあの吸血鬼のことが憎たらしくてたまらなくなるくらいには。

「嫌です。他を当たってください」
「大丈夫。論くんより俺の方がうまいから」
「何が大丈夫なんですか」
「黙ってりゃバレないバレない」
「バレます。論は鼻がいいんです」
「何それ、ノロケ?」
「違います!」

あぁ嫌だ。やってらんない。折角目をつけていたのに、まさか恋敵が同じ吸血鬼だなんて。

「はぁ……なんかいいことないかなー」
「いいことって?」
「相原が俺のものになるとか」
「あんまり冗談ばっかり言ってると恋人に叱られますよ」
「そんなもんいないよ。嫌味なこと言うね」
「え、だって首のそれ」

首?

「キスマーク、じゃないんですか?」
「……」

ばっと手で首筋を覆い隠す。

――まさか、あいつ。

思い当たる人物はただ一人。人物っていっても人じゃないけど。

「……ごめん。帰る」
「えっ、午後のゼミは……」
「教授にはうまく言っといて」

返事を待たず教室を出た。



「迅さま!おかえりなさ……いっ」

我が物顔で出迎えてくるカワホリの顔に頭突きを一発。

「いたい……何するんですかぁ……」
「ふざけるな」

気付かなかった俺も俺だ。だが鏡に映らない俺が、どうやって首筋のキスマークに気づけるというのだ。

「なんでこんなことした」

首を指差しながらそう言うと、カワホリはいたずらがばれてしまった子どものような顔をした。

「人が寝てる隙にこんな真似して……悪ふざけも大概にしろ。そんなんなら本気で追い出す」
「……だって」
「だってじゃない」
「だって」
「言うな」
「だって、愛してるんです!」
「言うなって!」

――知っていた。カワホリが、俺をただの主人として見ていなかったこと。主人として以上の感情を抱いていたこと。

だから俺は手離した。俺にとってカワホリは眷属以外の何者でもなかったから。こいつが望むものを与えられないと思ったから。それなら俺のことなんか忘れて自由に生きて欲しかった。

「俺はお前の気持ちには応えられない。追いかけられても困るんだ」

どうして見つけちゃったんだよ。折角逃げたのに。

「だったら!」

ガン、と大きな音がする。カワホリの手が俺の身体をドアに押し付けた。

「だったらどうして僕を殺してくれなかったんです!」
「……痛ぇよ」
「貴方に縛られたままで……忘れられないままでいきなり放り出されるくらいなら、そっちの方がよっぽどマシだった!」
「離せって」
「嫌だ!離さない!」

カワホリを殺してしまうのは簡単だ。こいつは俺の眷属なのだから、生かすも殺すも俺の気分次第。それこそ一瞬で済む。目を閉じていたってできる。

――わかれよ。バカ。

「……迅、さま……」
「……ない、だろ……」

カワホリが俺の顔を見て目を瞠る。

「……殺せるわけ、ないだろ」

どれくらい昔か思い出せないくらい、遠い昔。カワホリは俺が初めて創った眷属だった。

真っ黒な髪と瞳に、小さな身体。ちょこちょこと俺の後をついてくるのが可愛くて、目が離せなかった。どこへ行くのも一緒で、離れられなかった。

「なんで俺がお前を殺せるんだよ」

縛りつけたくなんてなかったよ。忘れてほしかったよ。でも、俺との繋がりを切ってしまったら、お前の存在は消えてしまうじゃないか。

「そんなこと、死んでもしたくない……っ」

お前は俺のなんだから。俺と繋がっていないと生きていられないんだから。

「……っ、ごめんなさい、迅さま、泣かないで」
「泣いてない」

カワホリが俺を抱きしめる。懐かしい匂いと体温に涙が止まらなくなった。

「好きです。好きでごめんなさい。でもどうしても諦められないんです」
「駄目。諦めろ」
「……相原って人のことが好きだから?」
「なんで相原のことを知ってるんだ」
「ごめんなさい」

こいつ……俺の後をつけてたな。恐らく毎日。コウモリの姿になれば目立たないし。

「……相原は関係ないよ。付け入る隙なんかないって、とっくの前からわかってたことだし」
「じゃあ、僕のこと愛してください」
「何がじゃあだ。言葉の繋がりがおかしい」
「僕の血、吸ってください」
「は?」
「いいから。このままじゃ迅さま、死んじゃいます」

吸血鬼が眷属から血をもらうことは珍しいことではない。彼らが血液不足のときの非常食としての役割も果たすことは俺だって知っている。

でも、今まで俺は一度だってカワホリから血を吸ったことはなかった。

……それはこだわりというか、単に俺が、手塩にかけて大切に育てたカワホリに歯を突き立てることができなかったというのが正直なところなのだが。

「ほら、早く」

カワホリが服の襟を広げ、首筋を差し出す。白い肌を目の当たりにして、忘れかけていた空腹が蘇ってくる。吸いたい。吸い尽くしたい。そんな欲望で頭がいっぱいになる。

「い、いやだ……カワホリ、やめ」
「大丈夫です。後で僕ももらいますから」
「や……っ」

嫌だと言っているのに、嫌なはずなのに、俺はかぷりとその首筋に噛みついてしまった。

「……っ」

口の中に流れ込んでくる血液。久しぶりの食事の快感にすぐに夢中になる。渇いた身体が満たされていくのを感じる。

「……!?」

――ちょっと待て。

「う……っ、んん」

今まで味わったことのない感覚。こいつの血、変だ。

「ふふ、迅さま……美味しい?」

美味しいもなにも、こんな血、知らない。

こんな気持ちいい吸血、知らない。

「ん……っ、ん、んん」

吸っているのは俺の方なのに、あまりの気持ちよさで声が漏れた。

「おっと」

立っていられない。腰が抜けてへたり込む俺を、カワホリがたやすく抱え込む。

「カワホリ、お前、何した……っ」
「何って、僕は何もしてないですけど」
「嘘吐くな!」
「……あぁ、ご存知ありませんでした?」

くすりと耳元で囁かれ、何故か顔が熱くなった。

何だこれ。さっきからなんなんだよ。どうして俺は。

「僕の身体は全て迅さまのためにあるんですから、迅さまの好みにできているのが当たり前なんですよ」
「は……?」
「他の奴の血なんか吸えない身体にしてあげます」
「何言って……」

血で濡れた俺の唇を、彼の指が優しくなぞる。妙に艶っぽいその仕草に、頭のどこかで警鐘が鳴った。

「さて、迅さま。僕の主食は何でしたっけ?」
「……花の蜜だろ?」
「そうです。蜜です」
「んむっ」

ちゅっと軽くキスをされて、俺は青ざめた。

「ちょっと、お前、まさか蜜って、そんなエロオヤジみたいなこと……」

そのまさかです、とカワホリが笑う。

「カワホリ、離せ、俺は主人だぞ。言うことを聞け」
「ええ。聞きます。終わってから」
「いやだ、バカ、どこ触って……っ」
「後で僕ももらいますって言ったでしょう」

――その日俺は、初めて「吸われる」側になった。

「迅さま、身体は大丈夫ですか?痛くない?」

痛いに決まってるだろバカ。

「……」

最悪だ。流されてしまった。あんまりにもこいつが必死だから。

「可愛かったです。大好き。愛してます」
「うるさい黙れ。俺は好きじゃない。愛してない」
「でもさっきは」

鬱陶しく密着してくるカワホリの身体をベッドから蹴落とす。

「出て行け。お前なんか知らん」
「嫌です!一生一緒にいるんです!」

――やっぱり最近の俺は運が悪い。


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