▼ 愛は志を助くA
自分がαだとわかったとき、家族はそれなりに喜んでいた。と思う。俺自身も嬉しくないわけじゃなかった。あぁもしもあの子がΩだったとしたら、ちゃんと「ケッコン」できる。俺にとってαという属性は、そういう認識でしかなかった。
それが変わったのは、中学に入って少ししてからのことだった。
地元の学校に進学したこともあり、誰がαで誰がβで、誰がΩでということは大体の共通認識があった。勿論俺がαであることを皆が知っていたし、特に隠す必要もなかった。性によって特に相手との隔たりを感じたこともなかったし、現に俺の一番仲の良かった友人はΩだった。
だが、そんなのは甘い考えだった。
「お願い、ねぇ志貴、しき、我慢できな……っ、ほしい、ねぇ、志貴はαだろ、もぉ無理、αの、ちょうだい……っ」
初めての発情期。抗えなかった。抗えるはずがなかった。
目の前で発情するΩがいて、俺はαで。気がつけば俺は、一番の友人だったはずの人間と一線を越えてしまっていた。
番になることこそなかったものの、理性も記憶も失くして行為にのめりこんだ自分が怖かった。そこに気持ちなんてものは一切なかった。俺が好きなのは、ずっと心の中にいるのは、愛助なのに。
――ウワキしちゃ、ダメだからね。
このままじゃ、あの「約束」を守れなくなってしまう。
自分がαじゃなかったら良かったのに、と初めて思った。
その一件以来、自分の性を隠すようになった。ある意味引っ越しをしたのはいい機会だったのかもしれない。引っ越しした先で進学した高校は知り合いもおらず、俺はただひたすら目立たないように過ごすのに必死になっていた。
――この男に再び会うまでは。
「んんっ、ん、ぁ、あ、あっ、は、あぁッ、あ、あ」
指を出し入れさせる度、腕の中の身体がびくびくと震える。どろどろにぬかるんだそこに早く自身を埋め込んでしまいたいが、わずかに残った理性で押しとどまった。
「愛助……愛助、愛、あい」
部屋の中いっぱいにいい匂いが充満している。一瞬でも気を抜けば、すぐにでも落ちてしまいそうだ。以前にも似た香りを嗅いだことがある。
これが、発情期のΩの匂い。
ぺろ、と俺の舌が愛助のうなじを舐めた。ここに噛みついてやったら、どんなに気持ちいいだろう。噛みたい。俺のものにしたい。そんな欲望で心の中が塗りつぶされる。
「しき、志貴、きもちいよぉ、志貴、もっとぉ……」
愛助が転校してきた日の、その翌週。本当に彼は発情期に入ってしまった。元々抑制薬が効きにくい体質なのか、辛い苦しい助けてセックスしてと泣く彼を前にして抗えるはずもなく、俺と愛助は一週間ずっと交わりっぱなしである。勿論学校は休んだ。優等生がとんだ不良生徒へ転落だ。
「あ、やだっ、抜かないで、指、もっと奥してっ、お願い、やだぁあ」
「わかってる」
駄々を捏ねる愛助の身体を一旦離し、ベッドの上に仰向けに寝かせる。下半身に顔を埋め、孔に舌を這わせた。
「あうッ、う、ん、んっ、ん……〜〜〜〜ッ、あ、あッ、あっ、あぁッ」
ぷっくりと縁が赤くなっているのは、散々俺が突っ込んだ後だからだろう。少し腫れたその穴を塞ぐように唇を付けじゅるじゅると音を立てて吸い付いてやると、彼は腰を浮き上がらせて悦んだ。愛液が口の中に流れ込んでくる。
「あ―――……ッ、あ、……ッ」
愛助の指が、俺の髪をくしゃりと握った。
「あぁんっ、ん、し、しき、だめ、それ、だめ」
「……なんで」
見上げると、涙でぐしゃぐしゃの顔が目に映る。
「おしり、い、入れて、中、足りないぃ……っ」
……くそ。かわいいじゃないか。
強引に引きずり出された恋心とはいえ、10年単位で大切にしてきた想いである。というか初恋である。こんな風に求められ、堪えられる奴がいるならぜひお目見えしたい。
だが同時に腹も立つ。
「……今までも、そうやって誘ってきたのかよ」
「え……?」
「ウワキしたら駄目だって言ったのは、そっちのくせに」
わかっている。生まれ持った性に抗うことなど不可能なことを、俺は身をもって知っている。
それでも、嫌なものは嫌だった。別に愛助は俺のものではないのに。
「嫉妬?」
不貞腐れる俺を余所に、愛助は口元に笑みを浮かべて見せた。ぴきりとこめかみが怒りで引き攣る。
あぁそうだよ。みっともない、これは嫉妬以外のなにものでもないよ。
「今は志貴だけだから」
「そういうことを言ってるんじゃない」
「拗ねてる?可愛いな」
可愛いのはお前だ。そう言いたい気持ちをぐっと堪えた。身を離そうとする俺の腕を彼が掴む。
「怒った?」
「怒ってない」
「怒ってるだろ」
「怒ってないって」
「代わりだよ」
「は?」
「全部、代わりなんだ」
俺を見据える愛助の瞳が、不安そうに揺れていることに気付いた。
「全部志貴の代わりだったって言っても、志貴は僕を軽蔑しない?」
「……」
正直、教室で知らない男とセックスしてたのには引いたけど。軽くトラウマレベルだけど。
「軽蔑は、しない。してない」
「本当?」
そっと抱きしめると、愛助は安堵したように息を吐く。
「でも腹は立ってる」
「やっぱり怒ってるんじゃないか……さみしかったんだよ」
「だからって他の男に股を開くなビッチ」
「言い方」
「事実だ」
「ごめんな。志貴は僕に初めてをくれたのに、僕はあげられなくて」
「……」
「まさか初めてじゃないとか言う?」
そのまさかである。
「……ウワキだ」
「は?」
「ウワキとみなす!」
「いや、ウワキもなにも」
「だめって言ったのに……っなんで、僕以外の奴と」
愛助は瞳を吊り上げて怒り出した。
「ひどい、最低だ、志貴のヤリチン」
「誰がヤリチンだ」
こいつ、自分のこと棚にあげすぎだろ。
「その人のこと、まだ好き?」
怒っているかと思えば、よく見ると愛助の瞳にはうっすらと涙の膜が張っている。泣きたいのはこっちの方だ。
「……友達だった」
だった。
特に意識したわけではないのに、口にした答えは過去形になっていた。
友達だった。あんな風になる前、俺と彼は確かに友達だった。
「……Ωの人?」
愛助は俺の一言で大体の事情を察したのか、気遣うような口調で尋ねてくる。
「ああ」
「番になった?」
「なってない」
俺が本当に番になりたい人は、別にいたから。
「じゃあ僕とは?」
「え?」
「僕とは番になれる?」
――番になれるかって、どうしてそんなことを今更聞くんだ。俺はずっと、ずっと、ずっと。
「愚問だね」
愛助は俺の顔を見て笑った。身を起こしてくるりと振り返り、自らの項を見せる。
「僕を志貴のものにして。志貴を僕のものにさせて」
汗に濡れた白い肌が視界に入り、息が荒くなった。噛みたい。そんな衝動で思考が埋め尽くされていくのがわかる。
αって、どうしてこうなんだ。本能を前にして自分を抑えることもかなわない、非力な生き物だ。自分で自分が嫌になる。
「噛んで」
そんな俺の様子を見て、愛助はそう言った。
「後悔させない。僕と番になれば、志貴は絶対幸せになれる。僕が幸せにする。だから、怖がらないで」
恐る恐る俺の手が愛助の首筋に沿う。
唇を肌に押し付けると、彼は小さく息を吐いた。
「志貴……」
はやく、と急かされているような声色だ。はやく俺のものにしてくれと、そう訴えかけているような。
「あ……ッ」
歯がぷつりとその皮膚に食い込んだ瞬間、身体中に電流のような痺れが走った。
「いっ、う……ぁっ」
愛助の声には明らかに苦痛の色が滲んでいて、でもどこか恍惚としている響きもあって、俺はますます夢中になって齧りつく。
彼の上気した肌に、くっきりと歯型が刻まれた。たったこれだけの行為で人と人とが繋がり合ってしまうなんて何だか不思議だ。
傷口に舌を這わせると、当たり前だが血の味がする。ぺろぺろと慰めるようにそこを舐め続けていると、愛助がこちらを振り向いた。
「志貴……」
「……ん?」
「お願い」
いれて。
呟く彼の顔は何故か涙で濡れていた。
そして俺は、それが快感によるものではないことはわかっていた。
――泣きたいよ、俺だって。
「あ、ぁ、あ……〜〜〜〜ッ!?」
後ろから一気に根元まで挿入すると、それだけで愛助はまず一度目の絶頂を迎える。
「ぁっ、は、あぁっ、あ゛っ、んん、んっ、や、志貴、イ、いってる、イく、あ、止まんな、ぁあ……ッ!!」
手加減なしで腰を叩きつける度、愛助の口からは泣いているかのような声が漏れた。愛液と俺の先走りとが混ざって、ぐじゅっぐじゅっじゅぽっとひどい音がする。
「んん……ッ」
気持ち良くて、たまらなくて、頭の中が真っ白だった。気を抜いてしまうとすぐに声が出てしまう。
「あぁあ…っ、あぁっ、んっ、しきぃ、志貴、きもちいいよう……ッもっと、もっと、もっとして」
「ぁ…っ、う、く……」
堪えられずに小さく喘ぐ俺の声を聞いて、愛助もまた一層感じているようだった。
「はぁ……っ、はぁっ、いい、愛助……」
ぐちゅっぐちゅっごちゅっごちゅっごちゅっ
狂いそうなほどの快感なのに、それをもっともっと味わいたくて、ひたすらに腰を打ち付ける。
「……っ、ん……!」
突き入れればちゅうちゅうと吸い付いてくるし、引き抜けばざらざらした襞に裏筋を擦られるしで、目の前がチカチカし始めたとき、愛助が悲鳴を上げた。
「や……――ッ、で、でる、でる……!!」
ぷしゅ、と音がして、彼のペニスから水のようなものが噴き出してくる。失禁したのかと思ったが、よく見るとその液体は透明でさらさらとしていた。潮だ。
「あ゛―――ッ、あっ、あっ、……っ、う、……ッ、っ、〜〜〜っ!!!」
愛助はびくんびくんと魚のようにのたうちながら、潮を吹き続ける。震える身体を背中から抱きしめ、強く腰を押し付けた。
「あっ、うぅ……志貴の、出て……っ」
奥の奥、深いところに射精をする。入りきれなかった精液が孔の隙間から溢れだし、愛助の肌を白く汚した。
「……愛助」
「ぁ、え……?」
「これで、ケッコン、できるな」
愛助がひゅっと息を呑む。
「……っ」
そして静かに泣きながら、一度だけ頷いた。
*
その後の愛助といえば、それはもう人が変わったかのようだった。
誰彼構わず所構わずセックスをしまくっていたはずなのに、今では俺が少しでも迫ろうものなら、恥ずかしいだのなんだのあれこれ理由をつけて逃げようとする。キスでさえも中々させてくれない。教室で3Pの方が何倍も恥ずかしいことだと思うのだが、愛助にとっては違うらしい。
「志貴は自分がαだってことがどういうことか、ちゃんとわかってないからそんなことが言えるんだ」
意味がわからない。
「ずっと好きだった人に迫られる僕の身にもなってよ」
「は?」
「精神的にも肉体的にも圧倒的に僕の負けなんだ」
「精神的?肉体的?」
「まず、お前の性欲が強すぎる。僕の身が持たない」
「お前だって性欲が強い方だって言ってたろ」
「志貴のは常識外なんだよ!あのときはアフターピルを持ってたから良かったけど、毎回あれじゃすぐ妊娠する」
次に、と愛助は言う。
「一番の問題は、僕が志貴を好きすぎること」
「……それの何が問題なんだよ」
「慣れません」
「慣れ?」
「志貴と喋るだけで心臓がドキドキして死にそう」
「……つまり、いきなり番になっちゃったけど、今から少しずつ段階を踏んでいきたいと」
「そういうこと」
あんなに性急に迫ってきた奴の言う台詞ではないと思う。
「これからずっと一緒なんだから、焦ることはないだろ。ね?」
「別に俺は焦ってるわけじゃない」
「だってさ」
愛助が照れたように笑って俺の手を握る。
「初恋なんだ。大事にしたい」
――俺だって初恋だよ、バカ。
ずっと昔の記憶と変わらないその体温に、俺は人生で初めてαに生まれたことを心から嬉しく思った。