▼ 教えて先生B
先生の家に、お呼ばれした。
――週末うちにおいで。
そう言われてからはもうずっと落ち着かなくて、そわそわして、浮き足立って、友達にも「最近いいことあった?」なんて勘繰られてしまう始末だ。
僕はどうやら、隠し事が苦手らしい。
「こ、こんにちは。佐倉です」
インターホンのボタンを押してからすぐ、先生はドアを開けてくれた。学校にいるときみたいに白衣は着ていなかったけれど、やっぱり白いシャツを着ている。
「なんだそのマスク」
先生は僕の姿を見るやいなや、笑い声をあげた。
「変装、です。念のため」
「お前には大きいんじゃないか?顔、ほとんど見えてないぞ」
「本当はメガネもしようと思ったんですけど、曇らないようにするのが意外と難しくて」
「あぁ、あれ結構コツがいるよな。ま、いいや。入って」
促されるままに玄関先に入り、スニーカーを脱ぐ。すぐ脇には先生が学校に履いてきている革靴が置いてあって、あぁここは本当に先生の部屋なんだなぁと実感した。
「途中迷わなかった?」
「駅からの道をスマホで検索して、その通りに歩いてきました」
「文明の利器を使いこなしてるな。さすが若者」
先生は時々こういう言い方をする。確かに僕よりも大人ではあるけれど、先生だってまだ若いはずなのに。
「道を覚えるのとか、結構得意なんです。次はマップ無しでも大丈夫です」
「そりゃ安心だ」
僕は怒ったりしない。これは「大人と子ども」という線引きをしているわけじゃなくて、彼なりの冗談なのだって、ちゃんとわかってるから。
「アイスコーヒー飲めるか?それとも何かジュースがいい?」
「あ、コーヒー、飲めます。ありがとうございます」
「そのクッションのとこ、そこが佐倉の席だから座ってて」
「はい」
指差された先には、淡いピンク色の丸いクッションが置いてあった。
シンプルな部屋の中で、そのクッションだけがぽつんと浮いている。もらいものだろうか。先生にはかわいすぎる色だ。
言われた通りそこに腰を下ろすと、思ったよりもふかふかしていてちょっとびっくりしてしまった。
この弾力に惹かれて買ったのかな、とか、もしかすると前の彼女のものかもしれない、とか、いろいろな考えが頭の中に浮かんでくる。
「なんか楽しそうな顔してる」
キッチンから戻ってきた先生が、テーブルにコーヒーの入ったグラスを置きながら言った。
「はい。楽しいです。これはなんだろう、とか、先生はどんな気持ちでこれを買ったのかな、とか、いろいろ想像できて」
「大して面白いものは置いてないぞ」
「このクッション、面白いじゃないですか。先生、意外とかわいい趣味してるんですね」
「それは佐倉用」
「僕ですか?」
じゃあ、今日のためにわざわざ買って来てくれたんだろうか。それはそれでとても嬉しい。
「桜色」
その声に顔を上げると、先生がとても優しい瞳でこっちを見ていた。
「さくら、いろ…?」
桜色。さくらいろ。佐倉。僕。
「…桜色…」
それは、僕が先生に恋したときの色だ。
「そう。あ、変な洒落だと思ってるだろ。笑うなよ」
――淡くて、儚くて、すぐに散ってしまう恋だと思っていた。
時が来ればすぐに散ってしまう想いだって。僕のこの気持ちは、誰にも受け止められることなく儚く終わってしまうんだって。
まるで桜みたいだ、と。
「さくらって響きだけじゃなくて、何か桜っぽいから。お前」
だけど違った。先生が思い浮かべていた桜は、儚いものなんかじゃなかった。
「捕まえてないと、すぐにどっか行きそう」
僕、だった。
「…僕は、先生から離れたりしません」
「ならいいけど」
そっちにいってもいいですか。そう尋ねると、先生は俺がいくよ、と僕の隣に腰を下ろした。
「…先生」
先生。先生。僕の先生。大好きな先生。
「今日は違う。学校じゃない場所でまで先生だなんて呼んでくれるな」
彼の手が、僕の背中を抱き寄せる。僕は膝立ちになってその首に抱き着いた。
「…彩、さん」
「ん」
正解だと言わんばかりに、額に口付けがひとつ。
「俺の名前、知ってたんだな」
「好きな人の名前なんだから、当たり前です」
「またそうやって可愛いことを言う」
「先生にぴったりな名前だと思ってました」
「どのへんが?」
「僕が桜色なら、その色をつけてくれたのは、彩ってくれたのは、先生だから」
そう言った瞬間、その場に押し倒された。あのクッションがもふりと後頭部に触れる。
「び、びっくりした…先生、急に」
「…気が変わった」
「え?」
「こういうことするのは、最後のつもりだったんだけど」
「最後…?」
最後っていうのは、どういう意味なんだろう。
もしかして先生、今日僕をここに呼んでくれたのは、最後だから?最後って、そういうこと?不安がもやもやと胸の中に広がっていく。
「せっかく家に呼んだんだからちょっとはまったりしようと思って。いろいろ面白そうな映画とか借りてきたんだよ。んでその後、今日の最後の予定だったんだ、セックスは」
「セ…」
直接的な言葉に頬が熱くなると同時に、ほっと胸を撫で下ろした。
「最後とか言うから焦ったじゃないですか…!」
先生は僕の額を軽く叩く。叱るような手付きだ。余計な心配をするな、ということだろうか。
「今更手放す気はねぇよ」
彼にしては珍しく乱暴な、だけど力強い口調だった。
「んん…っ」
いきなり深く口付けられ、僕はぎゅうっときつく瞼を閉じる。
「…宝」
先生が、僕の名前を呼ぶ。それだけでもう、なんだか、泣き出しそうになってしまった。
「…僕の名前、知ってたんですね」
「好きな人の名前だからな」
先程の僕の台詞を真似て、先生はふっと笑う。
「あと、佐倉宝って、語呂がいいなって思ってた。すごく覚えやすい」
「えぇ…逆ですよ。語呂が悪い。佐倉宝って言いにくいでしょう?」
「そんなことない。お前にぴったりだ」
「ぴったり、ですか」
「宝物みたいな奴だなって、俺の宝だって、皆に自慢したくなる」
先生の手が僕の髪を撫でた。愛おしむような撫で方と優しい視線にどうすればいいのかわからなくなった僕は、身体を反転させ、桜色のクッションに顔を埋める。
「あ、おい。ちゃんとこっち見ろ」
「先生が恥ずかしいこと言うから」
「恥ずかしいとか言うなよ。本気だぞ」
「今そっち向いたら、死んじゃいます」
「…いいのか」
「え…あっ、待っ…」
着ていたシャツを捲られ、隙間から彼の手が侵入してきた。
「っあ…!」
きゅ、と指で胸の先端を抓られ、咄嗟に声が漏れる。
「な、なにするんですか、いきなり」
「触ってくれ、って言わんばかりの恰好してるから」
「違…そんなつもりじゃ」
「違うのか?」
――違わない。
先生、先生、先生。
「せんせ…大好き」
触ってほしい。僕を先生で、いっぱいにしてほしい。先生にもっと近づきたい。もっとたくさん、先生のことを教えてほしい。
「…俺もだよ」
いつだって、そう思ってる。
*
人目も時間も気にする必要がない、というのは、僕にとっても彼にとっても初めて経験する状況で、だからこそお互い、もうタガが外れたようだった。
「あっ、あ…っ、んん、せんせぇ、せんせ…っ」
「佐倉…っ、佐倉、佐倉」
ぽた、ぽた、と頭上から汗が落ちてきた。先生は何度も何度も腰を打ち付けてくる。僕はびくびくと背中を反らして、泣いて、なんとかしてこの快感を受け止めようと必死だった。
もう幾度達したかわからない身体はどこもかしこもどろどろに濡れていて、少しでも動けばぬちゃぬちゃと卑猥な音がする。
「ん、んん…ッ、はぁ、先生、ひあぁっ、せんせ、あぁう…っ!」
「佐倉、可愛い…もっと声出して、聞かせて、俺に」
先生の指が、僕の唇をぬるりと滑った。涙で滲んだ視界の中先生の顔を見つめると、目が合った瞬間にまた深いところを抉られる。
「あぁあ…ッ!!」
ぴくん、と脚が伸びて爪先が宙を蹴った。先生はその脚を掴んで自らの肩に抱え上げ、さらに身体を前に倒してくるものだから、僕は苦しくって恥ずかしくって、いやいやと首を横に振る。
「だめ…っ、せんせ、これだめっ!」
「どうして?苦しい?」
「恥ずかしい、からぁっ、だめ、見ないで、見ないでぇ…っ」
「見るに決まってる」
顔を隠そうと試みるも、その前に両手をシーツの上に絡めとられてしまった。
「あっ、あっ、なんっ、で、んんっ、だめ、だめって、言ってるのにぃっ」
「だめじゃないだろ?」
「んぅっ、あっ、だめ、だめ、僕、また…」
「いいよ。イくんだろ。たくさんイっていいから」
「イくとき見たらだめ、イくとこ見ないでぇっ、やぁっも、イっちゃう…っ、やだ、恥ずかしい、せんせぇ…っ」
ぼろぼろと涙を零して喘ぐ僕を見て、先生は一度熱く息を吐いた。
「お前なぁ…どこでそういうの覚えてくるんだよ…」
素でやってるとしたら、末恐ろしいな。もう回らなくなってしまっている僕の頭に、先生のそんな一言が響く。
「あっ、あ、あぁっ、ん…―――ッ!!」
奥まで挿入されたままぐっぐっとさらに強く腰を送り込まれ、知らない場所まで犯されているみたいだった。そんな強い刺激に耐えられるはずもなく、がくがくと震えながら絶頂を迎える。
「っ、はぁ…っ」
小さな呻き声が聞こえて、後ろに埋まっていたものが一気に引き抜かれた。
「あっ…あっ…あうぅ…」
何もなくなってしまった空間をぎゅううっと食い締めて快感に浸る僕の身体に、先生の出した精液がかけられていく。
「せんせ…なんで、中は…?」
バカ、と先生が笑った。
「また今度」
嬉しそうな笑みだった。
*
「あと10分で乾燥終わるから」
脱衣所から戻ってきた先生が再び布団の中に潜り込んでくる。
「はい。洗濯までしてもらっちゃって、すみません」
「結構遅くなったから、駅まで送る」
「大丈夫です。遅くなったって言っても、まだ夕方ですし」
「駄目だ」
「でも」
「いいから黙って送られとけ」
そう言って、先生は僕の首筋に口付けた。うひゃ、と悲鳴が漏れる。
「身体は平気か?」
「平気です」
「ちょっと羽目外しすぎたな…結局やるために呼んだみたいになってすまん。次はもっとちゃんと家デートっぽくする」
「いいんです。僕、すごく嬉しかった」
その身体にぴったりしがみついて、僕は堪え切れない笑みを浮かべた。
先生、今、「次」って言った。またここに、こうして僕を呼んでくれるんだ。
「何が嬉しかった?」
先生が僕の身体を優しく抱き返してくれる。白衣もワイシャツも無いはずなのに、何故か化学室の匂いがした。
「先生といっぱいくっつけて、嬉しかった」
「…そうか」
「また、してくださいね」
「そんなこと言うと、今度は足腰立たなくするぞ」
「そのときは先生に介抱してもらいます」
「そうだな」
「おうちデートも、楽しみにしてます。先生と見る映画、今度は僕に選ばせてください」
「あぁ」
明日にはまた教師かぁ、なんて先生が本当に残念そうな声で言う。
「ちゃんとお前の前で教師の顔できるかな」
「先生はいつもちゃんと先生ですよ」
「これでも結構頑張ってるんだぞ。授業中、気づいたらお前のことばかり見てる」
僕と同じだ。僕も、先生のことばかり見てる。僕たちって結構似た者同士なのかもしれない、なんて、おこがましいかもしれないけれど。
「僕は先生の生徒で良かったです。毎日学校で会えるって、すごく楽しい」
「そうだなぁ。普通の恋人同士よりは会ってるかもしれないな」
「先生は楽しくないですか?」
「楽しいよ」
微かに聞こえる乾燥機の動く音。先生の鼓動。外の道路を走る車の音。今日初めて知った景色。またひとつ、先生に近づけたような気がする。
「お前といると、毎日楽しくて、毎日嬉しい」
明日も、明後日も、その次の日も、もっともっと好きになる。
僕はそれが、とても嬉しい。