▼ マニアC
「苦しいなら、僕に言え。どんな風でも構わない」
――夏生は俺に、そう言った。
初めての主役。三日間という短い期間の公演を終えて、何もかも幕引きしたその後。昂った心についていかない身体。
どうしようもなく嬉しくて、それでいて切なくて、何故だか涙が出てきた。今自分がどんな気持ちなのか、言葉にして説明することができなかった。
こんな自分、誰にも知られたくない。皆が帰った後、一人部室で隠れて涙する俺を、夏生はいとも簡単に見つけ出したのだ。
「お前に言って、何が変わるんだよ」
恥ずかしい場面を見つけられて罰が悪かった俺は、ぶっきらぼうにそう返事をした。
「それは…わかんないけど」
夏生は言い淀む。困らせるつもりはなかったのにと思うが、そんなのは言い訳だ。俺は、夏生が困ることを知っていた。
「俺が今どういう気持ちか知らないくせに」
「…光瀬」
「わかるかよ。俺にだってわからないものを、どうして逢見がわかるんだよ」
「確かに、光瀬の言う通りかもしれない…でも、嫌なんだ」
嫌?何が?
「光瀬がわからない気持ちのことは、もちろん僕もわからない。でも僕は、それがすごく嫌だ」
夏生は恐る恐るといった様子で俺の手に触れた。汗で湿っていて、とても温かい手をしていた。
「僕はお前のことで知らないことがあるのが一番怖いんだ」
「…なんで」
「前にも言ったと思うけど」
じわじわと彼の白い首筋に紅が広がる。
「僕は光瀬が…す…すき、だから、だから、全部知りたいんだ」
「…」
どうしてこいつは、困らせるような言葉を吐くことしかできないような、こんな嫌な奴を好きなんだろう。どうしてこいつは、こんなにも一途に追いかけてくれるのだろう。
好きだなんて言われて、浮かれて、俺は一体、こいつをどうしたいんだろう。
「…俺は逢見が一途に思ってくれるような、そんな価値のある奴じゃない」
「価値とかじゃなくて」
反論しようとする夏生を遮り、俺は更に畳み掛ける。
「今だってそうだ。主役をもらったくせに、あんなに楽しかったくせに、いざ終わってみれば一人で泣いて、いろいろ持て余して…わけわかんねぇよ。俺は俺がわからない。こんな情けないところ、誰にも見られたくなかった」
涙の跡を隠すようにして俯く俺の手を、夏生の手のひらが一層強く包み込んだ。
「…持て余してたっていうのは、苦しい気持ちだけじゃない?」
あぁそうだよ、と俺は答える。
何が苦しいのかもわからない。多くの光に照らされて、舞台に立って、物語の主人公になったあの瞬間の高揚を、忘れられない。
胸の奥で、身体の奥で、じわじわと燻る熱が消えてくれない。
「…じゃあ、それはお前が物凄く真剣に演劇と向き合った結果ってことなんじゃないのかな」
ぽつりと呟くように夏生は言った。
「それってすごいことだろ?めちゃくちゃすごいことなんだよ。僕はそんな光瀬を笑ったりできないよ。情けないとも思わない」
「…よくわかんねぇよ」
夏生はキッと睨むような目つきで俺を見る。
「僕がそうだって言ってるから、そうなんだ!」
「…」
怒られてしまった。
「絶対そうだよ。僕は、ずっと見てきたんだから…」
ずっと見てきた。何を?
そんなの簡単だ。俺を、だ。
「お前はこういう風にしか、演じることができないんだよ」
――困っていたかと思えば突然照れたり、怒ったり、挙句の果てにはこうして「俺」を暴いていく。
そんな風に真っ直ぐに感情を向けられて、俺は一体、どうすればいいんだろう。
どうすれば、俺は夏生が望む俺になれるのだろう。
「…なぁ」
「な、なに」
「キスしたい」
「は…っ!?」
「って俺が言ったら、逢見はどうする」
告白されて、付き合って、触れるだけのキスは何度か交わしたことがある。でも、今ほどじゃない。
今ほど、こいつにキスしたいと思ったことはない。
「…す、すきに、すれば」
夏生は視線を逸らし言った。
「わかった」
両手でその頬を包み込み、上を向かせる。ぎゅうときつく瞳を閉じて待つ夏生の唇に、自分のそれを重ね合わせた。
「…っ」
一度触れただけでは足らずに角度を変えて何度も口付ける。少し乾燥していた唇がしっとりと湿っていく感覚に、ぞくりと自分の中の何かが解けていく。
――止まんない、かも。
「ん…っ!?」
唇をこじ開けて舌を潜り込ませると、夏生はびくりと身体を強ばらせた。それでも構わず貪るように舌を絡めとる。
「んん、ふ…っ、ちょ、光…っんん」
――やばいだろ、その声。
隙間からこぼれ落ちる声には吐息が混じり、甘く痺れるように鼓膜を揺さぶった。
もっと、もっと、聞きたい。気持ちいい。
そうして気がついた。
俺は今、こいつの全部が欲しい。
「はぁっ、は、はぁ…っ、な、なにす…」
夏生は肩で息をしながら濡れた口をなぞる。信じられない、というかのように。
「…夏生」
「え…っ名前…」
「お前、俺のこと…本当に好きなの」
「そ、そうだってさっきから言ってるだろ…」
「じゃあ、俺とセックスできる?」
「はっ!?」
「付き合うって、俺のこと好きって、そういうのも込みでじゃねぇの?」
「…なんで、そんなこと聞くんだよ…」
「したいから」
「し…」
「したい。夏生が欲しい。今すぐ」
演技でもなんでもない、尖ったままの不格好な気持ちをぶつける俺に、夏生は間髪入れずにこう返した。
――嬉しい、と。
*
簡単なことではないというのは、理解していた。
否、理解していたつもり、だった。
「あ゛…ッ、ん、ぐ…!」
「…っ、くそ…」
唾液と精液、あらゆる手段で濡らしたとはいえ、なかなかうまく挿入ができない。痛みと緊張で身体が強張っているせいもあるだろう。
「ごめ、僕、うまくできな…っ」
夏生の顔はくしゃくしゃに歪んでいて、目尻には涙が浮かんでいる。余程怖いのか、痛いのか、恐らくはその両方だ。
「お前が悪いんじゃ、ない、だろ…っ」
「でも、でも、だって」
辛いくせに、苦しいくせに、夏生は決して俺を責めなかった。必死になって受け入れようとしてくれている。
「う、ぅ…っ、なんで、なんで、僕…」
「…夏生…」
ぼろぼろと夏生の瞳から大粒の涙が溢れ出し、重力に従ってこめかみへと伝っていく。
「悪い、一旦抜い…」
「駄目だ!!」
痛々しくてたまらなくなって咄嗟に身を引こうとする俺の腕を、夏生の手が引き止めた。
「僕だって、お前としたい…っ、完治が欲しい…っ」
「夏生…」
「好きなんだ、本当に本当に、大好きなんだ」
完治、と初めて彼の口から紡がれる名前に心臓が音を立てる。
「今日だって、すごく嬉しくて、なのに知らなくて…っ」
「…知らない、って何が?」
「僕は、嬉しかった…完治が主役をやったことも、完璧にそれをやり遂げたことも、すごくすごく…でも、それだけだったんだ」
夏生の濡れた瞳が、覆い被さったままの俺を見つめた。汗で湿った額には前髪が張り付いている。
「演じた後の苦しい気持ちとか、切ない気持ちとか、想像もしてなかった。一番近くにいたつもりだったのに、わかってやれなくてごめん…っ気づかなくて、ごめん…」
「…言ってないんだから気づかなくて当たり前だろ」
それでも、と夏生は言う。
「僕はそういう自分が、すごく情けなかった…っ」
「…」
「どんなに痛くてもいいよ、それで完治の気持ちがわかるなら、その方がいい…お願い、最後までして」
――こいつ、馬鹿じゃないのか。
「い゛……っ!あ、…ぅう」
ぐっと腰を押し出して無理矢理捩じ込むと、夏生は悲鳴をあげて仰け反った。
「…俺、めちゃくちゃ好きかもしんない…」
「えっ、なに…あっ、ん゛んっ、はぁ…!!」
完全に自身を押し込んだ後、痛みで震える身体に被さり耳元に唇をくっつける。
「お前のこと、めちゃくちゃ好きだ…っ」
ひゅっと息を呑む音がした。それから、啜り泣くような声も。
「な、なんで…っ?」
「なんでって…」
「僕、何の取り柄もないし、顔だって普通だし、お前みたいに才能があるわけじゃないのに、なんで僕なの…?」
「…その言葉、そっくり返すけど」
「僕には、完治が好きって気持ちしかない…」
――それで充分だろうが。他に何もいらねーよ。何がいるって言うんだよ。
「…夏生こそ、俺のどこが好き?」
「…全部…」
全部。即答か。
「一番初めは、演技に惹かれた。なんて楽しそうに演る人なんだって。でもそれは才能ってだけじゃなくて、完治はちゃんと努力をしてて、何より演じることをすごく大事にしてて」
「うん」
「かっこいい、って思った。舞台で見せるいろんな表情も、声も、仕草も…」
夏生は泣きながら俺の背中に手を伸ばし、ぎゅっと抱きついてきた。
「演じることに一直線な、お前の全部に憧れた」
ものすごい告白だ、と思わず頬が熱くなる。
俺、こんなに想われたこと、ない。この先も多分、いや絶対ない。
「…ごめん」
「え?」
「俺、本当は誰でも良かったんだ」
「誰でも、良かった…?」
「お前に告白されたとき、他人に好きだなんて言われたこと自体が初めてだったから、その事実に浮かれただけで…誰に言われたかは正直どうでも良かったんだ」
相手が夏生でも夏生じゃなくても変わりはなかった。人に認められたような気がして、純粋にそれが嬉しかっただけなのだ。
「でも今は違う。夏生が好きだ。めちゃくちゃ好きだ」
「完治…」
「だから全部言う。全部お前に見て欲しい。情けない姿も全部」
うん、と夏生が頷く。
「見たい、見せて、完治の全部」
その返事が合図かのように、自然と唇が重なった。さっきみたいな一方的な口付けではなく、お互いの唇をなぞって、食んで、何度も確かめ合うような口付けだった。
少し身を離して視線を合わせると、夏生は恥ずかしそうに瞳を揺らした。
「夏生」
「…ん…なに?」
「痛いよな、ごめん」
「へいき…ゆっくり、してくれれば」
平気なわけがない。現に今、夏生のペニスは萎えてしまっている。
「…やめる?」
「それだけはやだ。僕はいいから…完治の好きにして」
「だめ。俺もお前を気持ちよくしたい」
「…そ、それって、俺もって、お前は今、気持ちいいってこと…?」
「うん」
強すぎる締め付けと圧迫感は決して気持ちいいとは言えなかったけれど、それでも好きな奴の中に自分のものが入っている、セックスをしている、という事実はそれを帳消しにしてしまうほどの快感をもたらしてくれていた。
「じゃあ、ちょっとずつ動くから。気持ち悪くなったり無理そうだったりしたら、すぐ言えよ」
「うん…」
汗ばんだ額に一度キスを落とし、ゆっくり腰を引く。
「ん…っ」
「…っ悪い、痛かった?」
抜く瞬間、内側の襞にぐねぐねと竿を刺激され、全身に鳥肌が立った。声が少し上擦っているような気がして、余裕のなさが嫌になる。
「…完治、あ、あの」
「ん…?」
「顔、見たい…」
辛そうに眉を顰めている夏生が、懸命に笑顔を作ろうとしているのがわかった。
「…今余裕ないからあんま見せたくないんだけど…」
「そんなこと、ない…、か、かっ…」
「か?」
「あの、その…」
「…かっこいい?俺?」
こく、と夏生が首を縦に振る。
相変わらず真っ赤な顔で、泣き顔で、俺にとってはものすごく可愛い顔で、「かっこいい」なんてうっとり言われた日には。
「はー…お前、マジで…」
「な…っん、はぁ…っな、なに」
「すっげぇ好きだ」
愛しい気持ちが溢れて止まらなくなる。好きだ。すごくすごく、好きだ。大切にしたい。そばにいて欲しい。誰にも渡したくない。
「ず、ずるい…っ、バカ、それ、ずるいぃ…!」
傷つけないよう再び狭い中を掻き分けて性器を押し込むと、夏生はびくりと足を宙に向かって伸ばした。汗をかいた白い脚がぴんと伸びている光景はどうしようもなくエロくて興奮する。
「今の、良かった?」
「んっわ、わかんな…ぁっ、や…ぬ、抜くの…っやだぁ…」
「痛い?辛い?」
「ちがう、ちがう、そ、じゃなくて…っあぁぁ!!」
手を伸ばして未だ萎えたままの夏生のものを握ってやった。突然のことに驚いたのか、一際大きな声が上がる。
「ちんこ触った方が気持ちいいだろ」
「っ、やぁ、し、しなくていい、そっちは…っ、あ!」
「いいから」
ちゅこちゅこと数回根元から扱いてやると、なんとか熱が少し戻ってきた。徐々に硬度を増すそれを弄りつつ、腰の動きも同時進行で繰り返す。
「…ッ、んん…ぅ」
「…は…っ、声、我慢すんな…」
「や、だって、変…っ」
「変じゃない。かわいい」
ぎゅう、とさらに押し出す勢いで締め付けてくる内側。かわいいって言われて感じるなんて、煽りすぎだ。
「夏…ッ、も、ちょい…力、抜けって」
「んは…っあ、わかんな、んんっ、ど、やるの…!」
力のこもった指先が俺の背中を抉った。痛い。痛いのに、そんな強い苦痛が率いてきたのは、腰から下が溶けてしまいそうなほどの快感だった。
「バカ、もう出る…!」
「んん――……ッ!!」
こみ上げる射精感に一気にそれを引き抜いた。瞬間、びゅるりと精液が白い腹の上に散る。
「やべ、ごめん、かけた…」
「う、ううん…」
苦しかったはずなのに、辛かったはずなのに、夏生は頬を紅潮させたままで小さく微笑んだ。
「完治のものっぽくて、嬉しい、から…」
「…お前それはダメだろ」
どんな殺し文句だよ。
「えっ…?あ、ちょっ」
流石にお尻だけで射精するのは難しいだろうし、これ以上行為を続けるのもこいつの身体への負担が大きすぎる。このまま前だけでイかせようとペニスへの刺激を再開させると、夏生は慌てて身体を起こし俺の手を止めた。
「いい、いいから、もう…っ」
「よくねぇよ。俺だけイっても意味ないだろ」
「だ、だめ…っ、僕、人の手なんてやられたことないから、すぐイっちゃう…っ」
涙目でびくびく震える夏生に、俺はまたキスをする。可愛すぎだろ、こいつ。
「んん、か、完治、手、汚れる…っ、ぁ、あ…ッあ、あっ」
「イっていいよ。ほら、すげー汁出てる」
「し、汁とか、言うな…っ」
滲み出る液を指で救い取り、先端に馴染ませる。
「あぁっ、あうっ、やぁ…っイく、イく、出ちゃ…」
「うん。出して」
「イく、イくぅぅ…ッ、んあぁぁ…っ!!」
片方の手で竿を擦り、もう片方の手のひらでそのまま先っぽをぐりぐりと押しつぶすように刺激すると、夏生はきつく目を閉じて嬌声を上げた。そのすぐ後に力なく白濁が吐き出される。
「はー…っ、はぁ、は…っ」
「…気持ちよかった?」
甘く息を吐いて痙攣する夏生の身体を正面から抱きしめた。
「よ、良かった、けど…」
「けど、なに」
「次はもっと、頑張る」
そっと頬を両手で包まれた。困ったように笑う顔がすぐ近くで見える。
「いっぱい二人で練習して、うまく繋がれたらいいね」
――絶句した。
なんだこいつ。本当にあの逢見夏生か?いつも仏頂面で素っ気ない、あの夏生はどこに行った?
「…どんだけ引き出し持ってんだよお前は」
「は…?」
くるくるくるくる表情を変えて、どれが素なのかちっともわからない。もっと知りたい。もっとこいつのいろんな顔を見てみたい。そして、その全部を俺のものにしたい。
「…うん。たくさん練習しよう。いっぱい、もういいって飽きるくらいに」
「そ、そんなにはしなくてもいいんじゃ…」
「いや、する。絶対する」
――見てろよ。セックスなんかすぐにうまくなって、今よりもずっと俺に夢中にさせてやるからな。