▼ 閉じた瞳で君を見る
好きな人がいる。すごく、すごく好きな人が。
「ごめん先輩、ちょっとの間かくまってくんない?」
「…なんで」
――だが俺の好きな人は、はっきり言って物凄く悪い男である。
「いやぁ、なんか揉め事に巻き込まれちゃってて」
玄関を開けると、見慣れた人懐っこい笑顔があった。まるで悪びれた様子のないその顔に毒気を抜かれ、仕方なく彼を部屋の中に招き入れる。
「不誠実なことばかりしてるからだろ」
「やだなー。俺はちゃんと言ってるんだよ?彼女じゃなくて君らとは単なるお友達だからって」
「それが不誠実なんだよ」
「えー?でもみんなそれでいいって言うくせに、自分以外の女とはやんないでとかおかしくない?それって彼女気取りじゃん」
外見がいいことを利用して不特定多数の女と関係を結び、本気になってしまった子は「遊びじゃないなら無理」と容赦なく切り捨てる。最低だ。
「…とまぁ、俺の話はどうでもよくてさ。かくまってくれるお礼にご飯作りますよ。先輩シチュー好きだったよね?」
だらしがないのは女の子関係だけで、友達として付き合う分には気さくな良い奴なとこも性質が悪い。
「昼ご飯ならさっき食べた」
「ちがうちがう。夕飯の話。材料買って来たからキッチン借りまーす」
「…夜までいる気か?」
「だめ?」
「だめって言っても居座るんだろ。勝手にすれば」
「せいかーい!さすが先輩!話が分かる!だから好き!」
ドキリと心臓が音を立てる。彼の言う好きに何の意味もないことくらい知っているが、その言葉の響きだけで動揺してしまうのは、きっと俺が馬鹿だからだ。
好きになるなら、他の奴が良かった。
「そうやって軽々しく誰にでも好き好き言ってるからロクな目に合わないんだよ」
視界の端に映る彼の姿をできるだけ意識しないようにしながら、読みかけていた本を再び開く。
「失礼な。さすがの俺でも好きなんて誰にでも言わないよ」
「どうだかな」
「少なくとも女の子には言わない」
「あっそ」
うるさい。うるさいうるさいうるさい。心臓がうるさい。黙れ。
ただの先輩後輩。それでいいじゃないか。くだらない会話ができる。二人で一緒に出掛ける。好きな本を教え合う。同じご飯を食べる。それで十分だろう。
彼の「お友達」ですら簡単には近づけない距離に俺がいるんだ。これ以上何を望む。望んだってどうせ叶わないのに。
「あっそって…ひどいなー。俺が決死の告白してるのに」
「お前の言葉は基本的に嘘だと思ってるから」
「どんだけ信用ないんすか」
本の内容が頭に入ってこない。目の前の文字よりも先に、意識が彼の声を拾う。
「俺、先輩に嘘ついたことは一回もないよ」
「…」
「なんかさー、先輩といるのが一番楽しいっていうか落ち着くっていうか。先輩は違うかもしれないけど」
「…一番?」
「そう。だからついつい頼っちゃうんすよね」
他の人がどんなに望んでも手に入れられない彼の「一番」を、俺が持っている。
だけど俺は、他の人が、彼の「お友達」が、死ぬほど羨ましくなるんだ。
彼を抱きしめることのできる彼女たちが。彼のキスを受けることをできる彼女たちが。彼と身体を繋げることのできる彼女たちが。
――なんで、俺にはそれが出来ない?
「松岡」
「なんでしょーか先輩」
「…なら、してみろ」
「え?」
本を置いて立ち上がる。そのまま彼のところへ行き、思いきり襟元を引き寄せた。
「…っ」
勢いが良すぎたのか、歯がガチンとぶつかる。かなり痛い…が、今それを気にしている余裕はない。
「せんぱ、何を…」
「さっきの言葉が嘘じゃないって言うなら、証明しろ」
俺が一番?何の一番?先輩として?友人として?
「俺を本当の一番にしてみろって言ってるんだよ」
そんな一番なら、いらない。
*
木の軋む音がする。絡ませた指先が熱くて、初めて自分の手が冷えていたことを知った。
「…下手くそ」
掠めるようなキスにそう呟けば、松岡がゴクリと唾を飲む。
「仕方ないでしょ…動揺してるんだから」
動揺しているのはこっちも同じだ。というかむしろ俺の方が緊張している。
「百戦錬磨の遊び人が聞いて呆れる」
「からかわないでください」
駄目だ。隙を見せるな。見透かされるな。
初めてだなんて知られたら、きっと彼は俺を突き放す。
「…教えてやる」
慣れているふりをして、こんなの何でもないって笑って、嘘を吐け。
「…っ先輩」
彼の身体をベッドに押し倒し、その上に跨った。今まで結構な時間を一緒に過ごしてきたが、松岡の焦る表情を見たのは初めてだった。
「黙って」
指先を彼の唇に当てて笑う。今自分がうまく笑えているかは分からない。声を震わせないようにするのでいっぱいいっぱいだった。
「…な、にその顔…」
「その顔ってどんな顔」
「俺先輩のそんな顔初めて見た…」
「あぁそう」
黙ってと言われたくせに人の話を聞かないやつだ。しかし何も喋らない彼も彼で変だなと思ったのでそのままにしておく。
「…もう勃ってる」
「そ、そりゃ、キスすれば勃つよ」
「ふーん」
「ちょおっ、待…」
ベルトに手をかけ、半勃ちのそれを露出させた。他人のものなど触ったことがないので、どう触ればいいのかさっぱりである。…とりあえず、自分でするときみたいにすればいい、のか?
手全体を使って優しく握り込み、軽く上下させてみる。
「先輩…人のちんことか、きもくないの…」
「別に。気持ち悪かったら触ってない」
少しずつ芯を持ち始めていく手の中の昂りに、内心息を吐く。良かった。萎えたままだったら何もかもが台無しになるところだった。
ひたすら単調な動きだけを繰り返していると、松岡が俺を呼んだ。先輩、と囁く声が妙に色っぽくて心臓が脈打つ。
「…もうちょい、強く擦って」
「…わかった」
そうだ。俺は今、経験者のふりをしなければならないんだ。男同士のセックスなんて日常茶飯事だって。だからお前とこうしていることに何の意味もないんだよって。お前が沢山の女と遊ぶのと同じなんだって。
そうじゃなきゃ、やってられるかこんなこと。
嘘でもいいから欲しいだなんて。一体どこまで自分をみじめにするつもりなんだろう、俺は。
「ん…」
何かを耐えるように寄せられた眉。声を噛み殺すため堅く閉ざされた唇。目に映るすべてが恋しくて、それが手を伸ばせば届く距離にあるということが、どうにも信じられなかった。
あぁ、本当に、どれだけ焦がれたことか。
「ふ…っ、は、やば…先輩、手あっつ…」
「…お前のが熱いだけだ」
「そーかもね」
松岡が笑う。俺も笑う。
今この瞬間が、永遠になればいいと強く願った。
「ん…っ」
彼のものを扱きながらズボンと下着を脱ぐ。空いた方の手を口に含み、唾液で濡らした。
「なに、してるの、先輩」
「黙ってろ…って、言った」
湿らせた指先を後ろ手にして、穴に埋め込ませる。気持ちよくなんてない。ただただ妙な異物感だけがそこにあった。当然だ。こんな場所、今まで一度だって使ったことはないのだから。
「あ…っ、く…」
「俺の扱きながら、自分でするとか…どんだけなの」
「ん、う、うるさい…っあ、ん…」
この硬いペニスが、自分の孔に入るのか。いや、入るとか入らないとかじゃくて入れるんだ。このチャンスを逃したら二度とこんな風に触れられなくなる。そう思って必死に奥歯を噛みしめた。
痛みに耐え、内側を広げるように何度も押す。堪え切れない息が唇の隙間から零れていった。
「う…っあ、あ」
「先輩…その顔、やばい…」
だから、その顔っていうのは一体何なんだ。
「ねぇ、それ、他の人にも見せたわけ?」
見せるわけないだろ。
「いつもそんな風に誘ってんの?」
誘うか馬鹿が。
「いつも自分で後ろ弄ってんの?」
黙れ。うるさい。喋るな。
「…なぁ、先輩、答えてよ…」
「…れろよ」
「え?」
何も言うな。何も聞くな。
「いいから、もう、入れろよ…っ」
お前だけだ、なんて取り返しのつかないことを口走ってしまいそうになる前に、早く。
「ん…っ、う…」
腰を浮かせ、熱く滾った先端をあてがう。指とは比べものにならない質量に恐怖すら感じたが、怯んでいる場合ではない。
「きっついって…もうちょっと、緩めて…」
「分かってる…!」
分かってはいるけど、うまくできない。どうやれば力が抜ける。どうすれば彼を中に受け入れられる。
「く…っ、あ、あっ」
「…」
「はぁ、ぁ…っ、う、んん」
「…先輩」
はぁはぁと荒い息を零しながら堪えていると、彼の手が俺の顔に伸びてきた。滲んだ涙を優しく拭われる。
「いいから」
「え…」
「いいから、もうやめよう」
松岡の言葉が胸に突き刺さった。いやだ。やめたくない。どんなに痛くても構わないのに。
…気づかれて、しまったのかもしれない。
「…っ、い、いやだ…」
「先輩」
「いやだ、絶対、入るから…だから」
「先輩ってば」
嫌だ嫌だと繰り返す俺を見て、松岡が少しだけ目を細める。心の中を見透かされるのが怖くて視線を逸らした。
「そんなに、したいの?」
したいよ。そう言えればどれだけ幸せなことか。
「…溜まってたから、丁度いいと思って」
だけど心とは裏腹に、俺の口は嘘を吐く。
「…そういうの、本当腹立つ」
「…」
当然だ。軽蔑されるのも無理はない。最低な行為をしているという自覚は勿論ある。止められなかったのは、俺の我慢が足りなかったからだ。
ごめん。そう口を開きかけたとき、彼が再び言った。
「先輩にここまでさせるとか、マジで情けない。自分に腹が立つ」
「…え…」
「ごめん。先輩。ごめんね」
「ま、松岡…?」
ぎゅうっと手を握られる。びっくりして思わず松岡の顔を見てしまった。
「…先輩、初めてでしょ?」
「な…っ」
「あーもう…最初から気がついてれば、もっと余裕持ってできたのに」
「ちが、俺はこんなの慣れてるし、大したことじゃ…」
図星を言い当てられ、戸惑いを隠しきれなくなってしまった。駄目だ。こんなんじゃ、駄目なんだ。
隠さなきゃ。軽蔑されたって構わないじゃないか。こうなった時点で、もう後戻りなんてできないのだから。
全てが終わったあと、きっと俺と彼の関係は終わる。先輩後輩にすら戻れなくなる。
「俺のことはいいから…早くしろって言っ…」
「好きです」
握られた手が強く強く引き寄せられ、油断していた身体は簡単に松岡の胸に倒れこむ。
「先輩が好き」
…好き?
「なに、言って…」
「ごめんなさい。ふざけたり茶化したりしないと、どうしても言えなかった。本気だって思われるのが怖くて、その反面本気だって思ってもらえないことが悔しくて」
「…えっと…」
「先輩は、もうずっと前から俺の一番だよ」
耳に響く言葉は、とても嘘だとは思えなかった。だけどどうにも信じられず、絞り出した声が震える。
「…嘘だ」
「言ったでしょう。俺は先輩に嘘はつかない」
「女の子の方がいいくせに」
「寂しがりやなんです。好きな人は絶対に手に入らないと思ってたし、一人でいるのも嫌だったから」
「そんなのもっと早く言ってくれれば…」
「その言葉、そっくりそのままお返しします」
ドクドクと心臓が脈打った。これは夢なのではないか。
…すごく好きな人が、俺のことを好きだと言っている。
嘘でもなくて、夢でもなくて、紛れもなくこれは現実で。
「先輩も、俺が好き?」
「あ…俺…」
「嘘ついていっぱいいっぱいになるくらい、俺が好き?」
松岡の瞳が俺を見る。真っ直ぐな視線に射抜かれて、これ以上ないくらいに胸の奥が熱を持っていた。
俺は、松岡のことが。
「俺も、俺も…好きだ」
「はい」
「松岡のことが、ずっと前から」
「はい」
言えなかった思いが口から自然と零れ落ちていく。目には見えないはずのその言葉が、唇から飛び出した瞬間からキラキラと色づいていく。
「先輩の涙、きれい」
松岡が呟く。俺は泣く。
あぁ、良かった。言っても良かったのか。羨む必要なんてどこにもなかった。俺は気づかないうちに、彼の一番を手に入れていたらしい。
この腕で彼を抱きしめることができる。この唇で彼に口付けることができる。この身体で彼と繋がることができる。
もう、ためらわない。
「…松岡」
そっと目を閉じる。くっついた身体からは、不規則な鼓動の音が聞こえてきた。この状況に彼も緊張しているのだろう。それがとても嬉しかった。
気づかなかったのは俺の方。いや、違う。気づこうとしなかったのだ。
嘘だなんて決めつけて、本気にするなと言い聞かせて、俺はどれだけ無駄なことをしていたんだろう。
ごめん。これからは、ちゃんと言うから。
今まで伝えられなかった気持ちを、素直になって毎日言うから。
「…俺の一番も、お前がもらって」
――閉じた瞼の裏側で、俺は松岡の笑顔を見た。
end.
*
糸巻さんリクで、遊び人×クールビューティで両片思いでした。クールビューティが遊び人を好きすぎて経験豊富を装って襲っちゃう、というなんとも萌えのつまったシチュですが、どうだろう…再現できてますか…不安だ…!
この二人のラブラブっぷりとか、また機会があればどこかで書きたいです。
リクエストありがとうございました!楽しんでいただけますように!