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▼ マニア

「はぁ?なんで僕がわざわざお前と休日に出かけなきゃいけないわけ?絶対やだ」

ちがぁぁぁう!!

僕が言いたいのはこんなことじゃない!僕の馬鹿!馬鹿馬鹿馬鹿!天邪鬼!

心の中で自分を罵りながらも、僕の口はそれでも素直な言葉を発することはできなかった。そりゃそうだ。僕が悪かったですごめんなさいと反省して素直に言えるくらいなら、とっくの昔にそうしている。

「まぁ、そういうと思ってたけど。でも土日とも久々に部活も休みだし、そろそろテストだし、お前も俺も時間とれるの今週しかないだろ」
「だからこそゆっくり休みたいの」

いいから黙れ僕。そこは「ほんと?じゃあ一緒に映画とか見たーい」って可愛く喜ぶとこだろ。

デートだぞ?わかっているのか?このチャンスを逃すなんて、ただの意地っ張りじゃ済まされないぞ。死刑だ死刑。

僕の葛藤など露知らず、彼は少し考え込んでからこう言った。

「じゃあ俺の家は?」
「え」
「今週末だったら丁度誰もいないし」

――えっ。



僕と完治が初めて会ったのは、中学生のときだった。

うちの中学は何かしらの部活動に入らなくちゃいけなくて、僕は何となくただ面白そうだという理由で演劇部に入部した。そこに、完治がいたのだ。

完治は良くも悪くも普通だ。特に顔がかっこいいというわけでもないし、かといって不細工でもない。成績も普通。運動も人並み。身長も体重も平均。ほんっとうに普通。

だけど、こと演劇に関して言えば、僕は完治ほどすごい奴を知らない。

脇役でも、主役でも、なんでもいい。ひとたび舞台に上がれば、彼は完璧にそのキャラクターを演じてみせる。台詞も、立ち振る舞いも、完全に自分のものにする。

初めて完治の演技を見たときから、僕は彼に骨抜きのメロメロにさせられてしまったのだ。

「むり。死ぬ。かっこいい」
「…またそのビデオ見てんの?」

リビングのテレビの前で悶絶する僕を見て、妹が呆れたような視線を投げかけてくる。

「だって見てよこれ…もう王子様…こんなの惚れるしかない…」
「確かに劇やってるときの完治くんすごいけどさ、でもわざわざ家でこそこそ映像見なくても、お兄ちゃん本人と付き合ってるじゃん。実物見放題じゃん」
「僕が本人を目の前にしてこんな風にメロメロしてたらキモイだろ!!!!」

ガバリと勢いよく起き上がって捲し立てると、妹はあまりの剣幕に少し驚いたようだった。

「えぇ…何その気迫…別に好き同士で付き合ってるんだから、メロメロしたって良いでしょ」
「じゃあ聞くけど、お前だったら引かないわけ?」

今まで完治が出演した劇は全て録画してブルーレイでコレクションしてあるとか、完治専用の写真アルバムがあるとか、実は僕の目覚まし音は携帯で録音した完治の声だとか。

「お兄ちゃんがキモイのは今に始まったことじゃないけど、さすがに引くね」
「ほら!」
「でも一生隠し通すなんて無理だよ」
「うっ」
「あとバレまいとしてあんまり冷たい態度とってると、いつか愛想尽かされるよ。いくらなんでもひどすぎ。完治くんかわいそう」
「うっ、だって…」
「たまには素直に甘えてみるとかすれば?今日おうちデートするんでしょ?」
「そう!それ!!どうしよう!!!もうすぐ迎えに来るって!!!!」
「中学から付き合っといて何を今更。今までも二人で出かけるとかしてなかったっけ」
「だっておうちデートは違うじゃん!好きな人がいつも生活してる空間で二人っきりって!僕死なない!?」
「もうお兄ちゃんほんとキモイ…」

そんなの僕が一番わかってるよ!でももうこじらせちゃったんだから仕方ないだろ!



「お、おじゃましまーす…」
「おー。飲み物持ってくるから適当に座っといて。炭酸でいい?」
「なんでもいい」

パタンと部屋のドアが閉まったのを確認して、僕は大きく溜息を吐いた。

――とうとう来てしまった…!

完治の家!完治の部屋!

「…」

ここでいつも寝てるんだよな、とふと視界に飛び込んできたベッドを前にして思う。

ちょっとだけ、一瞬だけ。すぐ止めるから。心の中で言い訳をしながらそっとベッドに倒れこんだ。思い切り息を吸い込むと、大好きな完治の大好きないい匂いが鼻いっぱいに入り込んでくる。

「…はぁー…」

あ〜〜〜!!完治の匂いがする〜〜!!幸せ〜〜〜!!

「あ、飯どうする?なんか母さんが用意しといてくれたチャーハンが…」
「!!!」

幸せに浸っていたところに突然ドアの開く音がして、慌ててベッドに沈み込ませていた身体を起こした。

「…なに、眠いの?」
「いやこれは違…ベッド、ベッド大きいなって思って、つい…」
「あぁ、俺結構寝相悪いから」

不思議そうな顔で見られ、内心滝のような汗をかきながら必死で言い訳を考える。落ち着け僕。冷静になるんだ。お前の匂い嗅いで悦に浸ってましたなんて言えるわけがない。話を逸らそう。

「えっと、なんだっけ…チャ、チャーハンね、チャーハン美味しいよね」
「そ。じゃあ昼飯はそれでいいか」
「うん」
「あとこれ。ジュース。炭酸なかったからオレンジにした」
「ありがと」

ベッドに座ったまま渡されたコップを素直に受け取ると、完治はじっと僕を見つめた後、同じくその淵に腰を下ろした。

「なんかお前、今日変じゃない?」
「変って、何が」
「妙に素直っていうか、しおらしいっていうか」

緊張してるんですー!!いっぱいいっぱいなんですー!!っていうか近いよ!!隣に座るなよ!!いや嬉しいけど!!

「うるさいな。別にいつもと同じだよ。変なこと言うのやめてくれる?」

よくもまぁ思ってもいないことをスラスラと紡げる口である。我ながらいっそ尊敬する。

「もうちょっとこっち来て」
「ちょ…っ」

コップを持っていない方の手首を掴まれ、優しく引き寄せられた。むりむりむり、死ぬ。顔熱い。

「勝手に触んないで」
「じゃあ許可取るから。触らせて」
「な…なに言ってんの」
「折角二人なんだし」

完治が笑って僕の手からコップを取り、テーブルの上に置く。

「夏」

――本当に、かっこいいよなぁ…。

今まで舞台の上で見てきたどの表情とも違うけれど、こういうときの完治が一番かっこいいと思うのは、多分僕の贔屓目。

「…っ」

ふに、と唇が優しく押し当てられた。壊れそうなくらいに心臓が脈を刻み始める。当然目なんか開けていられるわけもなく、僕はきつく瞼を閉じてただただ身を固めるだけだ。

「夏生」

くっついては離れ、くっついては離れ。じゃれるみたいなキスの合間、彼の口から紡がれる自分の名前に、思わずぶるりと肩を震わせた。

「ん、ん…っ」

次第に深くなっていく口付け。唇をこじ開けて侵入してくる舌の、その強引さがたまらない。漏れ出る声が甘えているようで恥ずかしくて歯を噛み締めていたら、完治が少し不満そうに囁く。

「ちゃんと口開けて」
「…い、やだ…」
「夏」
「あ…っ」

ぐいと強く肩を押されて後ろに倒れこんでしまった。ベッドの上、僕の顔のすぐ横に手をついて、彼が見下ろしてくる。

「かわいい、夏。させて」

――ひぇぇぇぇぇ!!かわいいって!!かわいいって言われた…!!

「いやだって…もう、どけってば変態…やめろよ、こういうの」

あまりにも目に毒なその光景から目を背けつつ、何とかして抜け出そうと身を捩った。この体勢はやばい。僕の心臓もそろそろやばい。死ぬ。このままじゃドキドキしすぎて死ぬ。あぁでも今のこの完治の顔写メって待ち受けにできたら最高だろうな…。変態は完治じゃなくて僕の方だ。

「ん…っ」

油断していたときに優しく首筋を手のひらで撫ぜられ、びくりと大袈裟なくらい反応してしまう。

「そんな顔して嫌がっても説得力ないんだけど」

そりゃ嫌がってませんからね!!

「別に最後までしようってわけじゃないし、キスもダメなわけ?」
「え…」

しまったぁぁぁぁ!!うっかり「しないの?」って目で見ちゃった―――!!これじゃ期待してたのがバレバレじゃないか!!違う!いや違くはないけど!!でも誰もいない家に呼ばれたらそういうことだって思うじゃん!?

「…あれ、したい?」

目敏く僕の表情を読み取ったらしい完治は、口元に緩く笑みを浮かべながら含みのある口調で問いかけてきた。

「ば、馬鹿じゃないの!?したいわけないでしょ…っ」
「へぇ、そう」
「んぐ…っ、ちょ、重い…!!」

上からのしかかられ、彼の身体の下でじたじたもがく。僕と完治の身長はそんなに変わらないはずなのに、どうしてビクともしないんだ。

「夏」
「う…」
「夏、夏生」
「や、耳、やめ…」

――ダメだって!!僕こいつの声大好きなんだから耳元で囁くのは反則だって!!

「夏、俺のこと好き?」
「え…っ」
「ねぇ、好き?」

脳内に直接入り込んでくるような優しい声に、僕は今にも破裂しそうな胸をぎゅうと押さえつけた。

溢れてしまいそうな感情を覆い隠すため、いつものごとく心にもない言葉を吐こうと口を開きかけて、ふと今朝妹に言われたことを思い出す。

――バレまいとしてあんまり冷たい態度とってると、いつか愛想尽かされるよ。いくらなんでもひどすぎ。

「…」

わかってる、けどさ。今更素直になんて、なれないよ。

好き。大好き。心の中でだったら、いくらでも言えるのに。

「夏生、言って」
「う…」

それでも食い下がる完治に、僕はうろうろと視線を彷徨わせた。

――完治は、僕に好きって言って欲しいってことなのかな。

きゅう、と胸の奥が甘く疼く。

好きって言って欲しいってことは、完治も僕が好きってこと、なの?

好きな人には好きって言われたい。僕と完治は、おんなじ気持ち?

「ぼ、僕は」
「うん」

ドキドキしながら口を開いた僕の頬を、完治が優しく撫でてくれる。ゆっくりでいいよと言ってくれてるみたいだ。

「いつも、うまく言えないけど」
「うん」
「いつも思ってて、本当はずっと言いたくて」
「うん」

――言え。僕。好きって。たった一言でいいから。

「完治のことが」
「俺のことが?」
「完治の、ことが…っ」

覆い被さる彼の服を両手で掴み、決心してその顔を見据える。まさに口を開きかけたその瞬間、完治がぎょっと目を見開いた。

「…夏、そのまま動くなよ」
「へ?」
「動くなって。微動だにするな。そのまま真上向いてちょっと待ってろ」
「な、なんで…人が折角…」
「鼻血」
「えっ!?」

うそ!?

「バカ!動くなって言ってるだろ!」

慌てる僕につられたのか、完治の声にも焦りが滲み出ている。さすがにベッドのシーツに鼻血を垂らされるのは嫌だったのだろう。

「ほら、ティッシュ。鼻に詰めてろ」
「う…ごめん」

…なんでこのタイミングなんだよ、僕の阿呆。



「――止まった?」
「…」

ベッドの脇に跪いた完治が、気遣うように下から覗き込んでくる。僕は情けないやら悔しいやらでなんだか泣けてきてしまった。

「夏?」
「…う…っ、う…」
「え、なに。泣いてんの?」
「うっさい馬鹿!!あっち行けよぉ…!!」

もうやだ。僕、完治に変なとこ見せてばっかりだ。

口悪いし、意地っ張りだし、ストーカーだし、こんなんじゃいつ嫌われたっておかしくない。

「…ふっ…」
「笑うな!!!」
「鼻血って…コントかよ」
「僕だって好きで出したんじゃない!」
「あー脇腹痛い」
「笑うなって言ってんでしょ!?」
「鼻血出すほど俺のこと好きってこと?」
「違う!!!」

違わないけど!!

完治はひとしきり笑った後、拗ねる僕の手を優しく握った。

「いいよ。俺、夏生のそういうとこ気に入ってるから」
「…そういうとこって、なに」
「いろいろだだ漏れなとこ?」

手の甲にキスを一つ。その仕草はいつか彼が演じてみせた王子様そのもので、僕はキュンと胸を高鳴らせる。もういちいちかっこいいんだよこいつ。ずるいよ。

「結構わかりやすいよ、お前」
「わかりやすいって、どういう…」
「いっつも俺のこと見てるし」
「!!!」

まさか、バレてる…!?そうだとしたら一体どこまで…!?

いや落ち着け。さすがに中学時代完治が着た衣装を全部持ってるとか、完治が学校を休んだ日こっそり彼の上履きを履いて一日過ごしたことがあるとか、そこまではバレてないはず。っていうかつくづく変態だな僕。

心の中で自らの数々の奇行を思い出しながら焦っていると、完治はそれに気づいているのかいないのか、ご機嫌な様子でこう続けた。

「鼻血止まったなら、続きするか」

――えっ。


[ topmokuji ]



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