シック・ラバー | ナノ


▼ 01

四年間住んだ部屋には、いつの間にかそれなりにものが増えていたらしい。すっからかんになってしまった空間は、まるで別の部屋かのように広く見えた。

「用意できたか」
「おう」
「めっちゃ広いな」

ひふみも同じことを思ったらしい。二人そろって玄関先でじっと言葉を発さないまま佇む。

「もう行く?」

時計に視線を移せば、もうすぐ昼になろうかという頃だった。不動産にも行かなければならないし、お腹もすいた。そろそろここを出る時間だ。

「ん」

ちゅう、と軽く唇が重なる。いつもと違い休日モードのひふみは眼鏡なので、フレームが顔に当たって邪魔だった。

「…なんだよ」
「別に。したかったからしただけ」
「眼鏡じゃま。痛い」

ふくれっ面で文句を言うと、ひふみはおかしそうに笑う。いいから行くぞと無理矢理その背中を押して外に出た。

幸いなことに今日は快晴だ。気温もそれほど低くない。しかし寒がりなこいつにとってはそうでないようで、寒い寒いと先ほども震えていた。日差し自体は強いし、空気も澄んでいてとても心地が良いのに。

「先に飯食おうぜ。腹減った」
「寒いしあったかいもの食いたい」
「うどんかラーメンどっちが良い?」
「うどん」

新しい街で、新しい部屋で、新しい生活が始まる。

見慣れた風景。歩き慣れた道。それも今日でさよならだ。

ひふみと俺が再会して、5回目の春が来た。



悩みに悩んで決めた物件は、ひふみの働く会社に近い場所に位置している。何故かというと、それは勿論こいつが朝に滅法弱いからである。

俺は朝はそれ程苦手ではないし、こっちの職場にも一時間以内で行けてしまうくらいなので全く問題はない。

目覚ましが鳴ってもしばらくベッドの中で動かない。そうこうしているうちに準備をしなければ間に合わない時間になり、朝飯も食わずに出かけて行く。大体これがいつものパターンだ。

…というわけで、それじゃいけない、朝飯を食う時間くらいとれるようにしようと考えた結果、会社の近くに住めばいいのだという結論に至ったのである。

今までよく遅刻も欠勤もせずにいられたな、とからかうと、甘える相手がいると駄目なんだ、一人でいるときはちゃんとする、と照れもせずそんな答えを返してくものだから、逆にこっちが恥ずかしくなってしまった。

どうやら遅刻寸前になるのは俺が泊まったときだけだ、という意味らしい。人のせいにするなと思ったが、事実その言葉が嬉しかったので押し黙ることしかできなかった。

…甘える相手、ねぇ。

もう随分、というか人生のほとんどを一緒に過ごしているわけだが、こいつと恋人になって改めて実感したことがある。

――ひふみは、結構な甘えん坊だ。

甘えん坊…甘えん坊…あぁくっそ恥ずかしい!20代半ばに差し掛かろうとする男に向ける言葉じゃねぇ…!

だけどそれ以外に形容できる言葉がないので仕方がない。

「何一人で百面相してんだ」
「…」

お前のせいだよ、とじと目でその顔を睨む。丁度そのとき注文していた品がきた。

学生の時から何度もお世話になった店だ。俺はいつも海老天うどんといなり寿司で、ひふみはきつねうどんとかしわおにぎり。

「いなり一個ちょうだい。かしわやるから」
「…」

…あーもう。ほら。そういうとこだっつの。

こちらに向かって口を開けるひふみ。食べさせろと言うことだろう。店内を見回し、誰にも注目されていないことを確認してからその口にいなり寿司を放り込む。俗に言う「あーん」ってやつだ。

「うまい」
「自分で食えよ」
「このくらい男友達でもやるって。気にしすぎる方が変」
「そういうもんか…?」
「そういうもん」

少なくとも俺はお前以外の男とこんなことはしないが。

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