▼ 01
「なんか、萩尾今日ご機嫌じゃね?」
「え」
「朝からずっとにこにこしてるしさ」
「そ…」
んなことは、無い。多分。
くるくるとシャーペンを回しながら、俺を不思議そうに見る鈴島。程よく日焼けした肌は男らしくて、ちょっとムカつく。なんだこの爽やかさ。
「いいことあった?」
「そんなもん無い…いいから授業聞けって」
「いや気になるし。まさか彼女でもできたとか」
「できねーよ」
生まれて一度もできたことないわ。傷を抉るな。っていうか最近彼女できたのはお前だろ。
「あ、分かった」
「なにが」
「合コンか?今日合コン?」
「違うわ馬鹿…何でそっち方面ばっかに結び付けてんだよ」
「いやー、だって…男が喜ぶって言ったらそれくらいしかなくない?」
「この煩悩野郎が」
何でもないって言ってるだろ、と呆れた顔をすれば、つまんねーのと口を尖らせる。…別に何でもないわけじゃない、けど。
でもこいつに言っても理解される話ではないし、何より自分がそれを楽しみにしているということを認めるのは…何だか、悔しかった。
*
「…」
ぐぐ、と伸びを一つ。パソコンに向かう作業はどうも体が凝る。ふと時計を見ると、もうすぐ20時になるところだった。あれ、いつの間にこんな時間に。
冷蔵庫から水を取り出して、渇いた喉に流し込む。
台所に立ったまま。ちらちらと玄関に視線を移している自分に気が付いて、溜息が漏れた。…なに、してんだ俺は。
でもそろそろ来る頃だよな。そう思っていたら、遠くからコツコツと靴音がした。慌ててペットボトルをその場に置き、玄関に散らかった靴を足で隅に寄せる。
この靴音は、この歩き方は。間違えるはずがない。
案の定ベルが鳴らされて、俺はきゅっと顔を引き締め、ゆっくりドアを開けた。
「…お疲れ」
「うん」
そこにはスーツ姿のひふみ。コツコツとした足音は、高そうな革靴のせいだ。
「ごめん、本当はもっと早く来れたんだけど。電車寝過ごした」
「別にいいよそんなん。ってかお前ちゃんと寝ろって」
「寝てるよ」
嘘だ。疲れた顔してる。
ひふみはこちらの視線を避けるように靴を脱いで、相変わらず汚い部屋だなと笑った。そのまま俺のベッドに突っ伏す。おいスーツ皺になるぞ。
「何か食べる?簡単なものなら作れるけど」
「いい」
「ちゃんと食ってんのか」
「食ってる」
本当かよ。俺がどれだけ心配してるか知らないだろ。
「瑞貴」
ベッドに横になったままのひふみが、こっちに来いと言いたげな目で俺を見る。少しだけ短くなった奴の髪。そのおかげで、瞳が隠れることはなくなった。
「なんだよ」
「んー」
言われた通りにベッドの淵に腰掛けると、後ろから腕が伸びてくる。ぎゅっと腰に抱き着く仕草が幼く見えて、ちょっとだけ笑った。
「ただいま、瑞貴」
「おかえり、ひふみ」
ひふみが社会人になって、一ヶ月ちょっと。俺が大学四年生になって、一ヶ月ちょっと。
俺とひふみが恋人になって、もうすぐ三年が経とうとしている。
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