▼ 04
「ひふみ?」
「…」
あれ、気づかない。聞こえていないのか?
不思議に思って手を伸ばす。しかし、
「っ!!」
「え」
ぱしん、とそれをはたき落された。
「あ、ごめ、俺…」
「いや、別にいいけど…」
びっくりしたのはこっちの方だ。それなのに、何故か叩いた本人の方が訳が分からないといった顔をしている。
「…どうかした?」
とりあえず叩かれた手を引っ込め、気にしていない素振りで優しく尋ねた。気にしてしまえば、余計にこいつを追い込んでしまうことになるだろう。
いきなり触られるのが嫌だったんだろうか。いやでも…それだけで片付けられないような気がする。
「違う、今のは…っ」
だって…何だか、様子がおかしい。
「瑞貴…」
「なんだよ」
「ごめん、俺、今日は帰る」
「は!?」
ひふみはベッドから立ち上がったかと思うと、逃げるように玄関へと向かった。一度も俺を見ようとせず、頑なに俯いたまま顔を上げようとしない。
「ひふみ、怒ってんのか?」
電話に出たことが気に食わない?でも、出ろよって言ったのはこいつの方だし…考えれば考えるほど分からない。
「…怒って、ない」
「じゃあなんなんだよ」
「それは…」
「セックス出来なかったから?」
「っ、ちが、俺は、そんな」
…俺は、そんなこと。
小さく呟かれた声が震えているのが、鈍感な俺にもはっきりと聞き取れた。いくらなんでもおかしい。おかしすぎる。何かに怯えているような、恐怖を滲ませた声だ。
背中を向けて、履いてきたスニーカーに足を突っ込むひふみ。どうやらこいつは何も理由を言わず出ていくらしい。
「なぁ…どうしたんだよ、ひふみ」
「っごめん、今は…言えない」
「なんで?」
「ごめん。本当、ごめん…」
「…」
「瑞貴は、何も悪くないから」
「でも俺が何かしたんだろ?」
「ちがう。俺が、俺が…」
それ以上は無理だ、とばかりに堅く閉ざされた口。長い髪の隙間から覗く耳が、後ろからでも分かるくらいに具合の悪い色をしている。
「ごめん、何も聞かないで」
「…」
「…っ、ごめんな、瑞貴」
「あ、おい!」
するりと指の間をすり抜けて、ひふみは本当に出て行ってしまった。
玄関に一人残され佇む俺。
「…なんだったんだ」
どんなに嫌だと言っても強引に閉じ込めたくせに、こちらから求めてみれば今度は何も言わずに逃げるなんて。
一体どこまで自分勝手になれば気が済むんだ、あいつは。
ごめんって何のごめんだよ。
ふざけんなよ、と口の中で悪態をついてみるが、俺の心は何とも言えない――…ひふみが、また消えてしまうような。離れて行ってしまうような。そんな不安感で陰り始めていた。
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