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死にそうな顔も、この世の終わりみたいな顔も、二度とさせない。
「瑞貴くん」
「は、はいっ」
突然声をかけられて驚く俺に、おじさんはにこにこと人の好さそうな笑顔を浮かべる。
「ありがとう」
「……」
ありがとうだなんて、そんな。
「……俺も」
それを言わないといけないのは俺の方だ。
「俺も、ひふみがいてくれて救われたことがたくさんありました。ひふみが俺じゃないとダメだっていうように、俺だってひふみがいないとダメなんです」
ありがとう。そこにいてくれてありがとう。気付かせてくれてありがとう。こんな風に思えるのは、相手がひふみだからだ。
「幸せにします。俺が、絶対」
「……瑞貴」
ひふみの声で我に返った。
「あっ、いや、あの……今のはその」
やべ、俺、これじゃ「一人娘と結婚をさせてもらうために両親に挨拶に来た男」の台詞だ。違う。俺が言いたかったのはそういうんじゃなくて。
「うちの日富美のこと、お願いします」
慌てる俺に、おじさんとおばさんが揃って頭を下げた。
「……はい」
ああ駄目だ。泣くな俺。男だろ。
「ありがとう、ございます……」
泣きっぱなしの俺とは違い、ひふみは最後まで泣かなかった。
「……ありがとう。父さん、母さん」
その代わり、見たこともない顔をして笑っていた。
多分この顔がひふみの「子ども」の顔なのだろう。この二人の前でだけの特別な顔。俺じゃ引き出すことのできない顔。
それを悔しいと思うのは、少々欲張りが過ぎるだろうか。
「あ、でも一つ。私からお願い」
おばさんがふと気が付いたように言う。
「もっと小まめに帰って来てね」
――どうやら俺たちは、二人揃って相当な親不孝者だったみたいだ。
*
次の日、俺とひふみはそれぞれの家で一晩を過ごした後、飛行機に乗って二人のうちまで帰ってきた。
「はぁ……ようやく帰ってきた……」
家に帰り着くなり、ひふみがソファになだれ込む。二日連続の長距離移動はさすがに堪えたのだろう。俺もそうだ。身体のあちこちが痛い。
「早めに帰って来られて良かったな。明日仕事だし」
「それを言うなよ。行きたくない」
「はは、俺もいやだ」
ソファの脇に座り込んで、その髪にキスをした。ぴくりとひふみが反応する。
「……何」
「好きだよ」
「まじで何」
「愛してるって言ってほしいんだけど。昨日みたいに」
ひふみは両手で顔を覆って表情を見えなくした。
「……言わない」
「なんでだよ。言えよ」
「昨日ので俺のキャパ超えた。暫く休業」
「駄目」
「うっ」
ソファに寝そべるひふみの上に乗っかると、苦しそうな呻き声が上がる。顔を覆っている両手を無理矢理引きはがしたら睨まれた。
「重い」
「うるせぇもやしっ子が」
「つーかお前泣きすぎ。目腫れて超絶ブスなんだけど。それで明日仕事行くの」
ブスとは失礼な。
だけど、安心する。ひふみの軽口が俺は好きだ。
「泣かしたのお前だろ。あんなん泣くに決まってるし」
上半身を倒して、今度は頬にキスをする。
「嬉しかったよ。ありがとな」
そう言って笑うと、ひふみが物凄い勢いで身体を起こし、胸に顔を埋めるように抱き着いてきた。
「びっくりするわ。どした?」
「……」
ひふみは動かない。暫くそうしていると、すすり泣く声が聞こえてきた。
――やっぱりな。
「はは」
絶対、泣くと思った。泣くなら二人になったときだと思った。
「お前も泣いてんじゃん」
「うるさい……っ」
――俺、人生でこんなに幸せだったこと、ない。
ひふみが俺の胸に顔を埋めたままそう言った。
「我慢してた?」
「お前が泣いてる横で、俺まで泣けるわけないやろ……っ」
「何だその強がり。泣きたいなら泣けばいいのに」
「無理」
でも確かに、こんな風にお前が泣くのが俺の前でだけだったらいいと思う。
抱きしめて、これ以上ないってくらい抱きしめて、抱きつぶしてやりたいと思う。
「俺も」
「……なにがだよ……」
「俺も、こんなに幸せだったことない」
今までも幸せだったけど、今が一番幸せ。
そして絶対、これからも幸せ。
幸せの上限すら超えていく。尽きることのない幸せ。
「ずっと一緒にいるんだよ、俺たち」
ひふみといると、いつも幸せ。
「……瑞貴が俺の好きな奴で良かった」
俺が言う前に言うなよ。
「俺も」
俺も、お前のこと好きになって、本当に良かった。
end.
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