▼ 05
そんな俺を見て、未乃莉がまた一つ鼻を啜る。
「私、兄ちゃんとふみくんのことがショックやったから泣いたってわけじゃないよ。そりゃびっくりはしたけど……」
「え、違うん?」
「違う。なんかうまく言えん……えっと、悔しかったんかな、多分」
「悔しい?」
「お母さん、兄ちゃんとふみくんが恋人同士なのを私に隠そうとしとるみたいやった。それが嫌やった」
母さんの気持ちを考えると、多感な年頃の娘に隠そうとするのは至極真っ当な対応なのでは、と思ったがそれは言わないでおいた。
「隠さないけんってことは、後ろめたいってことやん。兄ちゃんたちのことを後ろめたいって思っとるお母さんに腹が立った」
「未乃莉……」
じん、とまた鼻の奥が熱くなる。いかん。最近一層涙もろくなってきた。
「泣きすぎだろ」
「仕方ねぇよこれはぁ……ティッシュとって」
「はい。鼻水出てんぞ」
「うっせぇ」
箱のままティッシュを受け取り、思いっきり鼻をかむ。ひふみは俺の方を見て小さく笑った。
――あ、言おう。
唐突に、たった一つ。それだけが胸の内にふって湧いてくる。
「ひふみ」
「ちょ、何」
ひふみの手首を掴んで自分の側に引き寄せた。
「帰るぞ」
「は?」
「未乃莉も。ハンバーグは今度だ。兄ちゃんと一緒に帰るぞ」
「え」
「二人とも用意しろ」
「今から!?」
ひふみと未乃莉が顔を見合わせて「何言ってんだコイツ」という表情をする。俺もそう思う。
でも、今じゃなきゃ駄目だ。今言いに行かなきゃ。何故駄目なのか、何が駄目なのかもわからないけれど。
「俺もひふみも休み明日までやし。今からならまだ飛行機の便あるよな。チケットは俺が手配するから、二人はとりあえず支度して」
「おい、瑞貴」
「我侭言ってごめん。でも俺」
掴んだ手首にもう一度力を込めると、俺の考えていることが伝わったのだろう。ひふみはふうと息を吐いて「あのさ」と言った。
「お前、俺が物凄く小心者なの知ってるよな」
「知ってる」
「うまく話せる自信とかないよ」
「いい。認められなくてもいい。よくないけど」
「どっちだよ」
「うまく話せなくても、認められなくても、俺はお前といる。絶対ここに帰ってくる」
「……」
「ずっと一緒にいたいから、ちゃんと」
「……わかった。わかったから、もうやめて」
ひふみが顔を伏せながらちょいちょいと向こうを指差す。その指の先を辿ると、両手で口元を押さえながらこちらを見ている未乃莉と視線が合った。
「……未乃莉、早く用意してこい」
「私のことは気にせんでいいから、どうぞ続きを」
「続きとかねぇから!!いいから支度!!」
「はい!」
……忘れてた。
*
「とりあえず私が先に入っていろいろ説明してくるけ、兄ちゃんたちはそこで待っとって」
未乃莉はそう言って我が家の玄関のドアに手をかける。俺はちょっと待てとそれを制した。
「お前一人じゃ駄目やろ。仮にも家出してきた身なんやし、めちゃくちゃ怒られるんやないの。それなら俺も一緒に行った方が」
「兄ちゃんが来たらふみくんが一人になるし。ここで待たせる気?」
あ、そっか。
「……俺は別にいいけど」
ひふみがぼそりと呟く。よくない。その顔は絶対によくない。確かに今ここでひふみを一人にしておくのは危ない。メンタル的な意味で。
「とにかく私は大丈夫。話できそうな頃になったら連絡入れるから、ちゃんと携帯見とってよ」
「わ、わかった」
「じゃ、行ってくるね」
つい数時間前までわんわん子どものように泣きじゃくっていたのが嘘のように、未乃莉は毅然とした態度で家の中に入っていった。
「……座る?」
「うん」
残された俺とひふみは、玄関先の段差に腰を下ろす。
なんとか最終すれすれの便で帰ってきたので、夜はもうとっぷりと更けてしまっていた。玄関の灯りがあるとはいえ、明るいとはいい難い。隣に座るひふみの顔が一層白く見える。
「緊張しとる?」
そう尋ねると、ひふみがぱっと俺を見た。
「……しとらんように見える?」
「顔が白い」
「それは元から」
「うん」
手を伸ばして、白い頬に触れる。ひふみは黙ってされるがままだ。
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