シック・ラバー | ナノ


▼ 01

「はぁ!?嘘やろ!?未乃莉が家出!?」

職員室を抜け出してきて良かった、と声を出してから思った。俺の声は結構でかい。よく言われる。

『嘘もなんも、兄ちゃんとこ行くっち本人が連絡してきたんやから』
「なんで俺……」
『こっちが聞きたいわよ』

通話の相手は母親で、電話の向こうの声はかなり不安げだった。

年頃の娘が家出なんて、そりゃあ心配もするだろう。というか俺も正直混乱している。

未乃莉が家出?

なんで?母さんと喧嘩でもしたのか?

『ねぇ、あんた未乃莉から連絡受けてない?いくらこっちから電話しても繋がらんのよ』
「受けとらん。でも俺からも連絡してみる。充と父さんは?」
『充は大学。一応お父さんには連絡したけど、今日は帰りが遅いみたいで』
「わかった」

高校生の未乃莉は当然まだ実家暮らしだ。母さんの言葉通り、行き先が俺のところということなら、普通に考えれば飛行機を使うことになる。

「あいつ、飛行機のチケットとか一人で買えるんかな……俺ですらまだ手続きに手間取るのに……」
『あんたねぇ、心配するところはそこなの?』

すみません。

「とにかく、またすぐ電話するから。母さんは下手に動いたりすんなよ」
『……ごめん、お願い』

通話を終えてからすぐ、今度は別の番号に電話をかける。

『もしもし』

電話口から聞こえる声に、幾分か肩の力が抜けたような気がした。こいつがいてくれて良かった、と実感するのはこういうときだ。

「ひふみ?ごめん、今大丈夫?」
『昼休み中だから大丈夫。どうした?』

ひふみの声がいつもより優しい。何かあったのを察してくれているのだろう。

「み、みのりが」
『未乃莉ちゃん?』
「未乃莉が、家出して……俺のところに来るらしい」
『え』
「あ、いや正しくは俺のところに来るっていう連絡を母さんにしてるらしくて、でも今は連絡がつかなくて」
『……とりあえず落ち着け。落ち着けないとは思うけど』

気付けば、スマホを握る手に汗をかいていた。自分で思うよりもずっと、俺は焦っているのかもしれない。

『お前、今日仕事は』
「午後に二コマ授業が入ってて、あと職員会議が……」
『じゃあ俺が早めに帰るようにする』
「でも」
『いいから。未乃莉ちゃんの番号教えとけ』
「ごめん」

謝んな、とひふみが言う。

『何とかできるとは言ってないし。俺は俺にできることをしてるだけ』
「……ありがとう」
『うん。とりあえず残りの仕事を片付けて来い』
「わかった」

――何がどうしてこんなことに。



未乃莉を無事連れて帰ったから、というひふみからの連絡を受けたのは、職員会議を終えてから家に戻る途中の電車の中だった。

駅を出て、早足になり、最後には駆けだしていた。家に着くころにはもう息が上がりっぱなしだ。アラサーを走らせるなバカ妹め。

「未乃莉は!?」

バン、と音を立てて玄関を開ける。

「兄ちゃん……」

視界に飛び込んできた未乃莉の姿。制服のままであるところを見ると、今朝家を出てそのまま来たのか、それとも学校を抜け出してきたのか。

「バカ!!お前、何やって……」
「瑞貴」

つい怒鳴ってしまいそうになる俺を、ひふみが制する。

「なに、止めんなよ」

いろんな人に心配をかけたのは事実だ。そこはきちんと怒らねばならないし、未乃莉もわかっているはずだ。それなのに、何故お前がそれを止める。

「未乃莉ちゃん、一人で飛行機乗って来たんだって」

……まぁ、そうだよな。俺は口を噤む。

「そこまでしてお前に会いに来なきゃいけない理由があったってことだろ。ちゃんと聞いてやってからでもいんじゃないの、怒るのは」
「……着替えてくる」
「ん」

走ったせいで汗だくだ。暑苦しいネクタイとシャツを脱ぎ、洗濯機カゴに放り込む。本当なら今すぐシャワーを浴びたいところだが、我慢して適当な部屋着に着替えた。

「飯食うだろ。三人分用意したし」

リビングに戻ると、ひふみがローテーブルの上に料理を運んでいた。いつもならばキッチンの前のテーブルで食事をするところだが、今日は三人で椅子が足りないからだろう。

「お前のつくってた肉じゃが、全部使い切ったから。あと米炊いて冷凍してる」
「あ、ああ……さんきゅ」

いつも通りの会話に脱力しそうになる。

「……なんでお前はそんな平然としてんだよ……」
「俺まで冷静じゃなくなったら収拾つかなくなるだけだから」
「それもそうなんやけど……」
「未乃莉ちゃん、こっち座って」

部屋のソファで縮こまっていた未乃莉が、「でも」と言いながら恐る恐る俺の顔を見た。

「……いーよ。とりあえず飯は食え。腹減ってるだろ」

そんな顔されたら怒れないだろ、バカ。

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