▼ 心の片隅
別に気が合うわけじゃない。喧嘩だってするし、仲良しなんて言葉はどう考えたって似合わない。
だけど俺の隣には瑞貴がいて。瑞貴の隣には俺がいて。それが当たり前だと思っていた。これから先も変わるはずのない事実だと信じて疑わなかった。
「ちょい耳貸して」
「なに」
「前言ってたバンドの新曲。お前こういうの好きそう」
「ふーん…」
一緒にいると楽しくて。互いの考えていることも手に取るように分かって。瑞貴はまるで俺の空気みたいだった。
――自分の気持ちに、気がつくまでは。
これがただの友人に向けられる思いでないことを自覚した瞬間。こいつのことを独占したいと願うようになった瞬間。うまく呼吸ができなくなった。
そこにあるのが当たり前なのに、とても苦しい。意識すればするほど息ができなくなる。
「…好き、かも」
「やろ?今度CD貸しちゃる」
一組のイヤホンを二人で分け合って歩く帰り道。白い息を吐き出し、耳の中に流れ込んでくる音楽を聞く。そんな俺を見て瑞貴が笑う。
「うは、お前鼻真っ赤」
「うるさい。そういうお前もほっぺた赤いし」
「コンビニ寄ってこ。あったかいもん食いたい」
「バカ、走んな。イヤホン抜けるやろうが」
「あ、忘れとった」
「もうちょいゆっくり歩け。コンビニは逃げん」
寒いのは苦手なのに、今この時間が永遠に続くならば、どんなに冷たい風にさらされようと手がかじかもうと構わないと思った。
*
一度自覚してしまえばあとは簡単だ。底なしの沼にはまっていくように、日増しに強まっていく瑞貴への気持ち。
気を抜けば今にも溢れてしまいそうな思いを抱えつつ、それでも一緒にいられる毎日は楽しかった。
「ひふみ…ど、どうしよ…」
「なに」
帰り際、いつものように上履きからローファーに履きかえようとしながら瑞貴が言う。
「俺、こっ、告白、された…」
「はぁ?」
「ぜ、ぜんっぜん知らん子やったんやけど!なんか中学が一緒らしくて…一個下の…」
「…付き合うわけ?」
「いやっ…とりあえず週末どっか遊びに行こう的な…まだお互いのことよく知らんし、保留っちことで」
「なんでそれを俺に言うん」
曇っていく心の内を悟られまいと必死になりながら答えを返す。バン、と強く靴箱を閉めてしまった。これじゃ八つ当たりだ。
「だってさ、俺女の子と出かけたこととかないんやもん。どこ行けばいいんかなー。やっぱ映画とか?」
「知らん。自分で考えれば。つか受験生の癖に浮かれとる暇ないやろ」
「う…ちょっとくらい協力してくれてもいいやん!ひでー!」
ひどいのはどっちだよ、と言いかけてやめる。そんなことを口にした瞬間、全てが終わるだろう。これまでの努力が水の泡だ。
「俺の人生がかかっとるんやぞ」
「大袈裟」
「お前は違うやろうけど、俺が女の子と付き合えるチャンスとかこの先ないかもしれんの!」
「ふられればいいのに」
「おいい!冗談でもそんなこと言うなや!」
…冗談?
冗談なら、どんなに良かったことか。
もし、俺が好きだと言ったら。俺の方がお前のことを好きだから、その子と付き合わないでほしいと言ったら、こいつはどんな顔をするんだろう。
驚く?そりゃ驚くか。
軽蔑する?当たり前だ。
「こうなったら慎あたりに聞くしかない…」
「…まぁ、せいぜい頑張って」
瑞貴はその子と付き合うかもしれない。そうしたらきっと、俺と一緒にいる時間なんてどんどん減っていくだろう。俺の知らないところで俺の知らない子と恋人らしく手を繋いで、抱きしめ合って、キスをするんだろう。それが普通でそれが当然だ。
「瑞貴」
「ん?」
だけど俺だって、お前に触れたい。お前を抱きしめたい。この手で全身を確かめて、なぞって、絡め合って、息をつく間もないくらいのキスをしたい。
「…なんでもない」
あぁ、本当に、気持ち悪い。
*
くるりと手の中でシャーペンを回す。机に向かって参考書を開いたのはいいものの、内容がちっとも頭の中に入ってこない。集中できない。
「…」
今頃、瑞貴は例の女の子と出かけている頃だろうか。そんなことばかりを考えてしまう。気にしたって仕方ないのに。
そう。今までも何度かこういうことはあった。高校生にもなって一度も惚れた腫れただのの話が無い方が珍しいだろう。特に瑞貴は分かりやすいし、惚れっぽい。好きな女子ができればすぐに相手が誰かというとこまで察知できた。恋愛に疎い奴だから自分から告白したことはないようだけど。
…勘違い、していたのかもしれない。
あいつを一番近くで見ていたのは自分だから、自分が一番あいつのことを好きだって。俺の好きが一番大きくて、他の誰もあいつの良さに気がつくことはないと。
根拠もなくそんな理想を本気で信じていたなんて、情けなくて反吐がでる。
いくら俺の気持ちが一番大きかったとしても、伝えられないのなら何の意味もないだろうが。馬鹿か俺は。
俺は女の子と同じ土俵には絶対に立てない。何故なら俺は男だからだ。男が男を好きになることは普通じゃないことなんだ。そりゃそういう性癖の人がいるのは分かっているし、世の中男同士のカップルなんていくらでもいるだろう。だがそれは当人同士が認め合っている場合に限る。
片方だけじゃ、俺だけじゃ、いくら思ったって報われるわけがない。だって瑞貴は「普通」だ。
――俺は、あいつが普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に幸せになっていくのを見なきゃならないのか?
今まで俺がいた場所に、あいつの隣に、他の女が立つところを黙って指咥えて見ていることしかできないのか?
無理だ。俺にはできない。
もうすでにこんなに苦しいのに。どうしてその上を行く苦痛に耐えられる?
胸が痛い。辛くて悲しくて虚しくて張り裂けそうだ。
俺の方が傍にいたのに。俺の方がずっとずっと好きだったのに。
なんで、瑞貴に告白なんかするんだよ。なんで他の人を好きになってくれなかったんだよ。なんで俺から瑞貴を取り上げようとするんだよ。
なんで俺は男なんだよ。なんで女じゃないんだよ。なんでなんでなんで。
「…んで、なんで…っ」
なんで、俺は瑞貴が好きなんだよ。
「…うっ…く…」
ぽとりぽとりとノートに染みが落ちていく。折角引いたマーカーが汚く滲んでいく。
辛い。もうやめたい。あいつのこと好きなの、やめたい。
いやだ。やめたくない。ずっとあいつの隣に居たい。
相反する感情が胸の奥で延々と巡って、いっぱいになって、涙になって溢れだしていった。こんな風に泣くのは何度目だろう。
瑞貴。ごめん。ごめんな。好きになってごめん。気持ち悪くてごめん。
もう、お前のことどうやって見ればいいのか分からないんだ。
*
「ふった?この間の後輩?なんで?」
「いやー…なんか、緊張しっぱなしっつーか、会話が続かねぇっつーか…気遣わせてばっかで申し訳なさ過ぎて…」
「…お前、結構ヘタレやな」
「しゃあしい!!駄目なんじゃ女子は!!喋れんくなる!!」
「ふーん…まぁ、自分で考えてそういう結論出したんならいいんやない」
心のどこかでほっと安堵の息を吐く。良かった。まだ瑞貴は誰のものにもならない。そういう場面を見ないで済む。
「あー…なんかめっちゃ疲れた…映画の内容とか全然頭に入ってこんし…」
「お子ちゃまな瑞貴くんには、男女交際なんか百万年早い」
「馬鹿にすんなや」
「してないけど…っていうか、俺も一つ話したいことがある」
「なに。まさか彼女できましたーとか?」
「ちげーよ」
口のなかに溜まった唾液を気付かれないように飲み込んだ。もう決めたことだ。今更後戻りなんてできないし、するつもりもない。
両親も教師も皆認めてくれた。あとはお前だけだ。
…こいつが俺を引き止めるなんて、天地がひっくり返ってもありえないけど。
どうせ寂しくねーよって意地張って、お前なんかどこでも行けよって怒り出すんだろう。ガキくさい。そういうとこも好きだった。そういうところを含めた全部が好きだった。
でも、もうやめる。
「俺、志望校変えた」
「は?え?どこ行くん?」
「多分東京かその周辺。とりあえず関東」
「はぁ!?何でまた急に…」
「別に。ただ今の自分の偏差値とかやりたいこととかを考えたら、必然的にそうなっただけ」
「…ふーん…」
そう、俺は逃げたんだ。
お前を好きな気持ちを全部投げ出して、忘れるつもりなんだ。
「…ちゃんと帰ってくるんやろ?夏休みとか、お正月とか…」
「は、瑞貴くんは俺がおらんと寂しいってか。きも」
「そんなこと言っとらんし!きもい言うな!」
「余計な心配せんで、お前は自分の学力を心配しとけば」
「うっさいわ!」
瑞貴。好きだよ。大好きだ。
一番好きな人だから、大切な人だから、どうか幸せになってほしい。
だけど俺はずるいから、お前が幸せなところを見るのも嫌なんだ。
だってそこには俺がいない。お前の幸せの中には俺がいない。お前が幸せなとき、その隣に立っているのは俺じゃない。
笑うお前の横には別の女の人がいて、その人もお前を見て笑ってる。
そんなの、悲しすぎるだろ。虚しすぎるだろ。きっと俺は泣いてしまう。
その場所に立っているのが自分なら良かったのに、だなんて馬鹿げた理想を描くのも、泣くのも、苦しむのも、もう全部全部嫌なんだ。
大丈夫。きっと忘れられる。近くにいてこれ以上気持ちを膨らませてしまうよりは、無理矢理にでも振り切ってしまった方がマシだ。
「ばいばい、瑞貴」
ばいばい。さようなら。
例え隣にいられなくても、誰よりお前の幸せを祈るよ。
だからどうか、元気で。
end?
→about a year later...(本編へ)
*
すももさんリク「ふみくん視点で、瑞貴くんのことが好きだと気付いた頃の、少し切ないお話」と、名無しさんリク「嫉妬するひふみくんの過去話」でした。二つのリクを統合させていただきましたが、どうかご了承ください。
ただただひたすらにひふみが悩んでるだけのSSになってしまいましたが、いかがでしたでしょうか…!本編であった会話もちょっと出してみました。懐かしい。
こういう過去があってこその今かなぁ、と思います。この後またひふみは進学しても瑞貴への思いを忘れられずに悩むわけですが。瑞貴が追っかけてきてくれたときは死ぬほど嬉しかったことでしょう。良かったねふみくん。
素敵なリクエストをありがとうございました!楽しんでいただけますように!
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