▼ ドランク・ラバー
ひふみが会社の飲み会で遅くなるのは珍しくない。サラリーマンだし、付き合いとかそういうのもあるんだろうし、それが当然だと思う。
一人で過ごす夜なんて耐えられない!…みたいなことを思う性質でもないし、別になんということもなく一人で夕食をとり、風呂に入り、しばらくテレビを見ていざ寝るかとなったとき。
――そいつは帰ってきた。
「ただいま」
「おう、おかえりー」
リビングに入ってきたひふみに、遅かったなと声をかける。いつもは日付が変わる前には帰ってくるのだが、今回はもう深夜1時を過ぎていた。珍しいこともあるもんだ。
「風呂入る?一応お湯残してるけど…あ、でも飲んでるから明日にしたほうがいいんじゃね。俺もう先に寝るからあとはよろし…」
「瑞貴」
突然後ろから抱きしめられた。
「え…っ、な、なん…」
「瑞貴」
外の冷たい空気と酒の匂い。その間に少し混じるひふみの香り。一瞬何が起こったか分からずに固まっていると、さらに腕の力が強まった。
「瑞貴…」
「きゅ、急になんだよ、お前酒くせーって…」
「こっち、向いて」
「はぁ?ちょ…っ」
顎を掴まれ無理矢理後ろを向かされた。抗議の声を上げようとするも、その前に唇を塞がれる。
「ん、んん…っ!」
く、首が痛ぇ…!
「ぷは…っ、おい、やめろって、俺は寝るっつってんだろ」
必死の抵抗で腕の中から抜け出し、罵声を浴びせた。いきなり何すんだ。ふざけんな。
「…寝るの?」
「当たり前だろーが!お前もさっさと着替えて寝ろよ」
「待って、俺も」
…ん?あれ?
「俺も、俺も一緒に寝ていい?」
「わざわざ聞かなくてもベッドは一つしかないだろ」
「駄目?俺と一緒に寝るの嫌?」
「…何言ってんの?」
こいつ、何かおかしくない?
「瑞貴…俺瑞貴と一緒がいい。なぁ、お願い」
「…あ、あの、ひふみさん…?」
「瑞貴…」
ぽふ、と肩口にもたれかかってくる。甘えるように鼻を首筋にくっつけられて、くすぐったいと同時にゾクリとした感覚が呼び覚まされた。
「可愛い、瑞貴…会いたかった。大好き」
「…なっ、なっ、なななな…!」
間違いない。
――こいつ、酔ってる…!
「好き、大好き、ほんと好き」
「わ、分かったから」
「瑞貴、キスして」
「はいはい後で後で…とりあえず今は着替え…っうわ、あぶな…!」
ぐいぐい迫ってくる奴の胸を押し返したが逆に距離を詰められ、足がもつれた俺はその場で盛大に引っくり返ってしまう。後ろがソファで助かった。
「おま…っ本当危ねーから!怪我でもしたらどうすんだ!!」
「ごめん、痛かった?」
「いや痛くはないけど…」
な、なんだこいつ。素直か。気持ち悪…いやいやなんでもない。
そうだ。今ひふみは酔っぱらってるんだ。酔っ払い相手に本気で接しても馬鹿を見るだけかもしれない。適当にあしらってさっさと寝かせてしまおう。
「ほら、早くどけ。重いんだよ」
「ん、もうちょっと」
「おいこら!」
上に乗っかられたままきつく抱きしめられた。ぎゅううっと音がしそうなくらいである。酔っぱらってるくせに相変わらずこういうときだけ力が強い。
「ひふみ、いい加減に…」
「夢みたいだ。瑞貴が俺のそばにいる」
「え…」
「会いたかった。ずっとずっと、会いたかったんだ」
ふと聞こえた言葉に動きを止めた。
「…は?」
夢?会いたかった?
なに、言ってんの。
「夢でいいから、しばらくこのままでいさせて」
「…」
ふざけているのか。
いや違う。ひふみは冗談でこんなことを言う奴じゃない。
「…忘れられると思ったんだけどな」
囁く声。忘れるってなんだ。そう問いただしたいのに、身体が金縛りにあったかのように動かなくなっている。
動け。動け。何か言わなきゃ。馬鹿なこと言ってんじゃねーよって怒って、早く寝てしまえばいい。酔っ払いの相手なんてしていたらキリがない。
「瑞貴、好きだよ。忘れるなんて無理だ」
――昔の記憶を混濁させてるのか。
「…っ」
妙な態度の原因が分かった瞬間、胸の奥が苦しくなる。いろんな感情が一気に押し寄せてきて心臓が潰されそうだ。
「…アホ」
「いたっ」
奴の頭を軽く叩くと、小気味の良い音がした。
アホ。バカ。酔っぱらってんじゃねーよ。なんで今そんなこと言うんだよ。
「まじでバカ。本物のバカ」
「…」
言葉とは裏腹に、精一杯優しい手つきで髪を撫でる。
「…お前、ずっとそんな風に俺に会いたかったわけ?」
なんで、なんでもっと早く言わなかったんだよ。
俺が馬鹿みたいに笑っている間も、こいつはずっとこうして一人で抱え込んで、悩んで、自分の気持ちを押し殺して。何でもない風に平気なフリして。
いつもいつもそうだ。ひふみは優しい。優しすぎる。だから全部全部自分ひとりで片付けようとする。俺が傷付くくらいなら自分が傷付く方がましだと。自分はどれだけ傷付いても構わないからと。
「夢じゃない。俺はここにいる。ひふみの傍にずっといる。忘れんな」
でもそれは、俺だって同じことなんだ。お前が俺を守りたいと思ってくれているように、俺だってお前を守りたいんだよ。
背中に手を回して抱きしめ返すと、ひふみが少し身じろいだ。耳元でぐすぐすと鼻を啜る音がかすかに聞こえる。
「甘えたのうえに泣き上戸って…お前、俺以上に酒癖悪いんやない?」
「…」
「あと、そういうのは酒の力を借りなくても言えるようになれ。このヘタレが」
「…」
「ふみくーん。聞こえてますかぁ?」
「…」
「…はー…」
深い深い溜息が口をついて出た。駄目だこいつ。梃子でも動かない気だ。本当に世話がやける。
――でも、俺こいつのこういう面倒くさいとこ、結構好き。いやすげー好き。
「ひふみ、こっち向いて」
「…な、に…んっ」
無理矢理顔を掴んでキスをする。涙の味がして少ししょっぱい。
「ん、んん…っ」
舌を入れて口付けを深めると、ひふみの唇から少しだけ声が漏れた。いつもいいようにされているので、主導権を握ったみたいでちょっと気分がいい。
「みず…っんぁ、あ」
…あーくそ、かわいい。
こんな無愛想で捻くれた男を可愛いと思うなんて、きっと世界中どこを探しても俺だけだろう。
口を離して、そっとその顔を見つめる。頬が赤く染まっているのは酒のせいだけじゃない。
「あのさ、今更離れとった時間のことどうこう言うつもりないけど…」
「…ん」
「うーん…なんちゅーかさ、えっと…お前が俺から離れたんは、ある意味正解やっちいうことにしたらいいんやないかと」
「え?」
「離れとる時間があったから、俺たち今こうしておられるんよ。多分」
苦しかった。辛かった。でも今こうして隣にいられるなら、その気持ちも全部意味のあるものだと思えるんだ。
「そうだろ?」
「…うん」
「うん、てお前…もうちょい何か嬉しそうな反応しろよ…俺すごい良いこと言ったんやぞ…」
「うん」
「だからうんじゃなくて…っ」
ちゅ、と軽いキスが降ってくる。見上げたひふみの表情は、何だかとても優しかった。
「胸がいっぱいで、何言っていいかわからん」
「…あっそう」
それなら仕方ない。
「ん、ん…」
「瑞貴…」
触れ合うだけの口付けを交わしつつ、片方の手でひふみの股間を撫でる。…いや、しないけど。しないけど、ちょっと触りたいって思うじゃん。
「…酒飲んでるから、勃たないと思う」
「分かってる。ただちょっと触りたいだけ」
ベルトを外して、中に手を差し込んだ。言われた通りいつもみたいな硬さはなかったが、淡く熱を持つそれを緩くなぞる。
「はぁ…」
「…」
時折吐き出される息がエロい。…かーわいい顔しやがってこいつ。内心笑いながらも手を動かし続けていると、ひふみは潤んだ瞳でじっとこちらを見つめた。
「瑞貴、キス」
「はいはい」
「ん」
やっぱ、酒飲むといつもより甘い。こんな酔い方なら別にいつだって大歓迎なのに、どうして頑なに飲もうとしないのだろう。そこまで考えてふと気がついた。
そっか。こいつ、酔うと昔を思い出すのが嫌だったんだな。
「俺がちゃんと、塗り替えてやるからな」
「…?」
お前が俺にしてくれたように、俺がお前の気持ちを塗り替えるよ。思い出す記憶が辛くても、ちゃんとそこに意味があったことを証明できるように。そうすればきっと思い出すことをためらわなくなる。
大丈夫。全部が今に繋がってる。俺とお前の時間は一度だって途切れたりしない。途切れさせたりなんかしない。
「もう寝ろ。一緒に寝てやるから」
大丈夫。俺はお前の傍にいるよ。
*
「…あ゛ー…いってぇ…いてぇ…」
「…」
「きもちわるい…あーもう無理…」
「あのさ」
「なに…」
「お前が飲むの嫌がってたのって…二日酔いのせい…とか?」
「…そうだよ…加減してないと次の日すげー気持ち悪くなるから嫌なんだよ…」
「…なんっっっだよ!!予想とちがうじゃねーか!!俺の純情を返せ!!」
「やめろ声響く…」
「まさか昨日の俺の言葉忘れたんじゃあるまいな!?許さねぇぞそんなの!!」
「は?何言って…うぇっ、吐きそ…」
「わぁぁぁ待て!トイレ!トイレ連れてくから!」
「…バカ瑞貴…」
「は!?」
あんな大事なこと、忘れるわけないだろ馬鹿が。
end.
*
名無しさんリクで、酔っぱらったひふみがみたい!とのことでした。ギャグ一本にしようかなと思ったのですが、ひふみが酔うのを嫌がる理由を織り交ぜた結果こうなりました。
ひふみは酔うと甘え+泣き上戸になるみたいです。あと酒には強くないです。
瑞貴のように記憶をなくしたりはしないので、全部きっちり覚えてます。でもしばらく二日酔いの苦しさでダウンすると思います。
楽しんでいただけますように!リクエストありがとうございました!
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