▼ 08
やった、と喜ぶ彼の声が耳元で聞こえる。同時に周りから一斉にはやしたてられた。
「宇田川結婚するの!?」
「おめでとう!」
「まじか、俺密かに狙ってたのにー」
「式には呼んでくれよ」
「スイ…良かったね…」
皆がそれぞれに勝手なことを言っている。完全に面白がられている気がする。何が何だか分からない、というのが正直なところだし、こんなに騒いでいては近所迷惑になってしまう。
「依、くん」
頭に疑問符を浮かべたままの俺に、依くんは優しく笑った。
「…帰りながら、お話しよっか」
*
彼の話をまとめると、こうだ。
おじさんは交際に反対とか俺が男であることを受け入れられないとかいうわけではなく、単に頭の中を整理する時間が欲しかっただけ。
俺の性癖云々について説明したところ、もともと涙もろく情に厚いおじさんは「スイちゃんをお前の手で幸せにしてやれ…!」と涙したらしい(どこに泣く要素があったのかはよく分からない)。
「…それよりさ」
離れている間、依くんは俺が恋しくて恋しくて仕方なかったと言う。他の女の子と話す気にもなれなかったと。
だけど、俺が暫く会わないようにしようと言ったのが別れる前段階のような気がして怖く、自分から中々連絡をとるきっかけが掴めなかったと。
「カイから『スイが他の男と飯食いに行くらしい』なんて連絡が来るもんだからさ、慌てて飛び出してきたよ」
ゼミの飲み会だったんだね、良かった。
そう言ってほっと息を吐く依くんに、胸の奥がなんだか苦しくなる。
「もー…なんで余計なこと言うのカイ…」
「まぁ嘘ではないよね。男の人がたくさんいた」
「そうだけど…」
「スイちゃんのこと狙ってるって言ってる人もいたし」
「そんなの冗談に決まってるよ!」
「どこに根拠があるの?本気で言ってるかもしれないじゃん」
…根拠。根拠は、そう。
「俺が男だから」
男だから、そんな風に言われても冗談だと笑い飛ばせる。普通の人は異性が好きだから。女の子が好きだから。
依くんは俺の返事がお気に召さなかったらしく、怒ったように眉間に皺を寄せる。
「…まだそこにこだわるわけだ。スイちゃんは」
「そこって…」
「男だとか女だとか関係ない。それを教えてくれたのはスイちゃんなのに、どうしてそんなに頑なになるの?」
「違う、違うよ、俺は」
なんと言っていいか自分でも分からず、咄嗟に視線を逸らそうとするが、両頬を掴まれ無理矢理引き戻された。
「そりゃ俺は女の子大好きだし、あんまり説得力ないかもしんないけど…」
「…」
「女の子よりもずっとずっと、スイちゃんのことが好きだよ」
どれくらい、と小さく呟いた声に依くんが笑う。
「勢い余ってプロポーズしちゃうくらい。政治家になりたいなんて戯言を本気で言えちゃうくらい」
「…ほんと?」
声が震える。心も震える。
…そんなこと、今まで好きになった人の誰にも言われたことない。
「…」
彼は質問には答えずに少し間を置いて、そっと優しい口付けをくれた。触れるだけの短いキスだ。
「これ、誓いのキスね」
「…結婚式でするやつ?」
「うんそう。かっこいいでしょ?惚れ直した?」
ぎゅう、と持てる限りの力で抱き着く。惚れ直した、なんてものじゃない。
「大好き」
「うん」
「依くんのお嫁さんにしてください」
「はい。喜んで」
――もう、いい。
つまらないことをうじうじ気にするのはやめよう。考えるだけ時間の無駄だ。
俺は依くんが好きで、依くんも俺が好きで。
離したくない。離れたくない。この人の全部が欲しい。俺の全部をこの人にあげたい。
それだけあれば、十分だ。
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