「……なー、先生」
「なんだ。今忙しいから話しかけるな」
「いつ終わんの、それ」
ぐう、と俺の腹が音を鳴らすのを聞いて、パソコンに向かっていた先生が小さく笑った。
「あと10分で終わらせるから、もう少し待て」
「わかった」
仕事をしている先生を見るのは好き。かっこいいから。
結局構って欲しいという気持ちがいつも勝つけど。このまましばらく見てたいとも思う。
「……」
カタカタとキーボードの音が部屋に響く。俺はその横でスマホを手に取る。あ、司からなんか来てた。30分くらい前。
──徹平の好きそうなコンビニスイーツ見つけた。
メッセージとともに、そのスイーツの写真が送られてくる。確かにうまそう。てかなんでいきなりコンビニ?
──徹平が好きだって言ってたから、俺も気になって。
──コンビニすげーよな。安いしなんでも置いてあるし。美味しいし。
──今度ホットスナックにチャレンジしてみようと思ってる。
──ホットスナック?
俺の頭の中に、温められたスナック菓子が浮かぶ。
「おい」
「え?」
気がつけば、パソコンを閉じた先生の顔が目の前にあった。
「終わった。何か食うんだろ。何がいい」
「あ……あぁ、ちょい待って」
──今度一緒に食べたい。俺も気になる。
そう返信をしてからスマホを脇に置く。
「市之宮か」
「うん。なんでわかんの?」
「お前が休日に連絡をとるような相手なんて、あいつしかいないだろ」
「ひでぇ」
そうだけど。
「ホットスナックってなに?」
「コンビニのレジ横とかでよく売ってる唐揚げとかポテトとかのことじゃないのか」
「あー、あれか。肉まんなら食べたことあるけど……」
「なんだ。食いたいのか」
「んーん。司と食おーって話してただけ」
「食いすぎるとデブるぞ」
「わかってるって」
「んで、今は何が食いたいんだ。余り物でできる範囲のものしか出せないが」
「チャーハン!」
「そんなんでいいのかよ」
「先生のチャーハン美味しいもん」
本当は毎日食べたいくらい。
「わかった。手伝えよ」
「ん」
立ち上がる先生の後ろをついて、キッチンに向かった。
「米と卵と……具は何にするか……」
「海老!」
「アホ。そんなん庶民の冷蔵庫にストックがあるわけないだろ」
「じゃあウインナー」
「あと玉ねぎとピーマンにするか」
手伝えと言ったくせに、先生は一人でテキパキと作業を進めていく。
暇なので、俺はトントンとリズム良く具材を切る先生の背中にくっついてみた。同じ男なのに俺とは違って、なんていうか大きくて、それだけでドキドキする背中。
「危ねぇ」
「見てるだけだから平気」
「見てないだろ。くっつきたいだけだろ」
「うん」
「暇なら米よそってこい。二人分な。アホみたいに盛るなよ」
「わかった」
炊飯器を開けて、皿に適当にご飯を盛る。
「先生、米なくなる」
「じゃあ全部よそって炊飯器空にして、スイッチ切っとけ」
「うん」
「あと、それ終わったら食器準備な」
「はい」
結局、先生が俺に求める「手伝い」なんてこんなものだ。
まぁ、料理してる先生はかっこいいから別にいいけど。
*
「はぁ〜お腹いっぱい……」
膨れた腹をさすりながらソファに寝そべる俺を、しげしげと眺める先生。
「すげぇ腹」
「うるせーな。食ったらこうなんだよ」
先生の腹は……別に出ていない。悔しいけど、そういうところもかっこいい。
「なんか眠くなってきた」
「食って寝て……赤ん坊と一緒だな」
「違うし。一緒にすん……」
な。
言う前に、先生の顔がすぐ近くまで寄ってきた。額に柔らかい感触がして、キスをされたのだと気づくまでに時間がかかった。
「な……なんだよ……」
「別に」
「どうせするなら口に」
「アホ」
「……っ」
先生の手が裾から入ってくる。指先が直接肌に触れたかと思うと、服をたくし上げ今度はお腹に口付けられた。
「な……っなに!?」
ぬろ、と濡れた舌で舐められ、落ち着かない気持ちでいっぱいになる。
「せ、先生……お腹、なんかあんの?」
「……なんとなく」
「なんとなく……?」
「子どもみたいに腹出して、馬鹿みてぇだなって思っただけ」
「それ理由になってなくね!?」
「その細っせぇ身体によくもまぁいっぱい入るもんだなと。苦しくないのか」
感心されているのだろうか。先生が何を言いたいのかイマイチよくわからない。
「こんぐらい全然……つか先生の入れたときのが苦しいし」
「……」
盛大に溜息を吐かれた。そして叩かれた。
「痛ぇな!」
「そういうことは言わなくていい」
「事実だろ!」
「そこに座れ」
え。急に説教モード?
逆らったら余計怒られることはわかっていたので、素直にその場に正座する。
「いいか。言葉を口にするときは、声に出す前に一旦自分の頭で考えろ。何も考えずに口に出すな」
「そんなん毎回は無理じゃね」
「無理じゃない」
「先生はしてんの?」
「当然だ」
「ふーん」
「自分の発言で周りがどれだけ振り回されているかを自覚しろ」
「……先生、俺に振り回されてんの?」
「振り回されてないと思うか?」
「や、だって顔に出ないじゃん。わかんねー」
「大人だからな。んなもんいちいち態度に出さねぇよ」
「絶対大人関係ない。あんたずっとそんな感じだろ」
「俺だってずっとこうだったわけじゃない。子どもだったことくらいある」
「先生が子どもとか想像つかねー」
「想像しなくていい」
「子どものときの写真とかちゃんとある?」
「そりゃあるだろ」
「見たい」
「今はそういう話をしてるんじゃない」
バレたか。
いや、そんなもんこの人が見せてくれるわけがないことくらいわかってるけど。
「とにかくだ。自分から出る言葉の意味を少しは大切にしろ」
「言葉の意味を大切に……」
「自分の言葉に責任を持てってことだよ」
国語の先生だからなのかなんなのか、先生は言葉に結構うるさい。ほんの少し使い方が間違ってただけですぐに指摘してくる。
俺が言葉を知らなさすぎるっていうのもあるから、正しい意味を教えてくれるのはすごくありがたい。
「わかった」
先生は、俺をちゃんとさせてくれる。
「先生」
「なんだ」
先生の手を引き寄せて、また自分のお腹に触らせた。指先がぴくりと動く。
「もうしねぇの?」
「……俺のは苦しいらしいからな」
「違う!そういう意味で言ったんじゃなくて!」
苦しいけど、苦痛じゃない。むしろ。
慌てて否定する俺を、先生は少し笑って引き寄せた。
「したいならしたいって言え」
「……したくないときとかないし」
「言わなくていいことばっかのくせに、肝心なことは言わないよな」
「うるせー!気分だ!」
「もう一回だけ聞く。するのか、しないのか」
「……それが問題だ?」
「……」
先生は「なんでそういうのは知ってるんだよ」と言って、珍しくその後ひとしきり笑い続けた。
おまけに、散々笑った後、「お前のせいで気分じゃなくなった」とかなんとか言ってさせてくれなかった。
先生の笑いのツボはよく分からない。