11話捏造


 こつこつと自らの足音が廊下に響くのを、どこか虚ろな頭の隅で認識した。やけに白々しい蛍光灯の光がフラッシュに曝された目を刺して、鈍い頭痛がする。喧騒から逃れるように向かった先で、彼に会えると確信めいた期待をしていた。滑稽だ。平静を装うための勇気を彼に貰い、もう一度目を遣った先にその姿はなかった。ならば、とバーナビーは拳を握る。
 自ら下した決断だ。他の誰でもなく、自分が肯定してやらねばならない。それはわかる。


 開いたドアの先に想像通りの姿を見つけて、バーナビーは口許を弛めた。息苦しさと動悸が引いて、穏やかな気持ちに満たされる。
 そっと目を閉じる。深く息を吸う。
「おじさん、僕は間違っていたでしょうか」
 吐き出した言葉は語尾が掠れたけれど、思っていたよりも静かな声が出せたと感じた。
 
 
 
 
 
 これまで、自分の選択が正しいかどうかなんて考えたことはなかった。目的のためには前に進むしかなかったし、到達点さえ明確ならばある程度道筋の違いはあっても最終的に目指すものは変わらない。より効率的に物事を進めるため比較検討をすることはあれど、自らの根幹を揺るがすような疑問を抱いたことはなかった。それが命取りになると本能的に知っていたのかもしれない。足を止めたらそこまでだ。振り返っても足跡すら残らない、深い森が広がっているだけなのだから。
 選択肢を、もっと言えば思考することを提示したのは虎徹だった。虎徹と出会う前のバーナビーならば、マーベリックの提案に逡巡なくイエスと答えた筈だ。否という選択を、その先に待ち受ける事態を想像することすらできずに。
 覚悟の上での決断と絶対服従は同義ではない。選んだ道が同じであっても、孕む意味合いが異なってくる。 癒えない傷を曝せという要求に、虎徹は異を唱えた。どこか不思議な気分だった。虎徹とて代替案を出せと言われたら言葉に詰まるだろう。普通ならば仕方ないと飲み込んでしまう反論を、権威の象徴相手に口にした。無鉄砲な正義はバーナビーのこころを揺さぶった。
 過去を公表すれば、目的を遂げた後も一生好奇の目に晒されるだろう。醜い復讐心すらもバーナビー自身の意思を離れて神格化し、偶像とされるかもしれない。
 それでも、バーナビーは決断した。今更生き方を変えることはできない。過去に選択してきた道の先がこの事態ならば受け入れようと、覚悟を決めた。
 迷いや恐怖がなかったわけでは決してなく、マーベリックの演説をどこか他人事のように聞きながらどんどんと冷たくなる指先を固く握って耐えた。探し求めていたウロボロスの正体、そのすぐ近くまで来ている。ずっと待ち望んでいた筈だ。こうなることを予測していない訳じゃなかった。懸命に言い聞かせる。
 
 
 
 一度、虎徹を見た。これで間違っていないのだと、背を押して欲しかった。
 鳶色の目は何も語らないかわりに、信頼をまなざしに乗せた。浴びせられる温度のないフラッシュの中で、唯一温かいもの。バーナビーがどんな判断をしてもそれを見守ってくれる、ただひとつのまなざしだった。
 
 
 
 
「おじさん、僕は間違っていたでしょうか」
 既にスーツを身に着けた姿で、虎徹は座っていた。主人を待つ赤いスーツの傍らで、当然のように。見慣れた佇まいに安堵して呼吸を整える。
 ねぎらいの一つでも投げようと言葉を探していた虎徹は目を瞬かせ、入ってきた途端に向けられた問いを反芻した。バーナビーが答えを求めているのではないことは表情から見てとれた。現に何の言葉を返すまでもなく、自ら釈明を始める。
「これまで、そんなこと考えたこともなかったので。少し不安なんです」
 控えめに付け足された言葉を受け、虎徹はやっと納得する。バーナビーのこれまでの選択は、すべて復讐のためのそれだった。感情を見せることさえ少なかった彼の精神は、この頃になってやっと成長を始めた。標識もレールもない道にまだ戸惑っているのだろう。正しいことだけを選んで生きたいのだと嘆く、バーナビーの若さが虎徹には少し眩しい。虎徹がもらした笑みの意図を図りかねて、訝しげにペリドットが瞬く。
 
「人は間違えずには生きられねぇ。寧ろ本当に怖いのは間違うことじゃなくて、間違いに気付かないことなんだぜ。…だぁーいじょうぶ、何も全部一人で背負い込むこたない。だから、お前は必要以上に怖がらなくていい。」
 
 二十四の、成人した男に掛けるには甘すぎる言葉だったろうか。虎徹は振り返る。しかしバーナビーは未だ情緒的な発達が未熟だ。あどけなく脆い、四歳のまま時を止めた個所がいくつもあることを虎徹は知っている。
 甘やかしたっていいのではないか。最初から一人で立つことを強いるのは酷だ。鳥だって飛び方を知っていたところで最初からうまく飛べるわけじゃない。落ちた先で傷付き命を落とすかもしれない。ならば上手に飛べるようになるまで、守ってやりたいと思うのは当然のことだ。
 
 隠し切れない疲労の滲む目を丸くして、バーナビーは齎されたやさしさに戸惑う。
 
「こわ、がってる、つもりは」
「ないのか?あーそう、ならいい」
 引き攣れたような声は何よりも雄弁だ。穏やかに笑いながら伸ばされたグローブの手が、ハニーブロンドをかきまぜて離れる。大切なものにやさしくすることを知っている手だ。触れることを恐れ惑い、傷つけてしまうバーナビーのそれとは違う。
 いつか、自分の手もそう在れるだろうか。事実としてだけでなく、触れた心を奮い立たせるような、人を救うヒーローに。
 
 
「おじさん」
「ん?」
「僕は、あなたが身を挺するに足る存在でありたい。バディとして」
「ばーか、そんなのお互い様だ。もうお姫様抱っこはなしだぜ」
「そう願います」
 彼の窮地ならもうごめんだ。心の中で付け足して、バーナビーも着替え始める。肩を押しつぶすような重圧を脱ぎ捨てることはできないけれど、疲れた時に凭れることができる相手がいる。そのことが、逃げ出したくなるような現実と相対するための唯一の支えだった。
「行くぞ、バニー」
「はい」
 バニーと呼ぶ声が、相棒としてのバーナビーを形作る。そのことに酷く安堵する。
 抱えた不安も負った痛みもすべて、半分引き受けてやると目の前の背中が言う。自分の過去がすべてこの日のための布石であったのだとしても、彼を守れる力を得たならそれは無駄ではなかった。
 
 
 
 甘やかされた髪を後ろに撫で付けて、恐怖の残渣を払う。
 虎徹と並び、背を預けあうパートナーとして戦うために。






(110612)



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