酷い光景だった。愛した街の面影はとうに無く、立ち並ぶ瓦礫の山と遠くに見える炎を、灰燼にけぶる風がゆるゆるとかきまぜていた。血と泥のこびり付いた機体は最早青く発光せず、虎徹は軋む両手をぐっと握り締める。
 掴めたのは塵芥のみで、それすら解けた指の隙間から風に攫われていった。自社の有能なメカニックが開発したスーツを持ってしても、虎徹の周り1キロ圏内には生存者を見付けられない。守るべき市民もなく、救うべき負傷者もいない廃れた街で、虎徹はただ立ち竦んでいた。

 悪夢のようだ。自らの生死すらおぼろげになる、危うい現場だ。
 爪先を埋めた瓦礫を払うように足を引いて、ぞっとする。これまでの十年に助けられなかった人々が、みな足首に取り縋っているような感覚に囚われたのだ。勿論それは妄執だ。虎徹はいつでも全身全霊をかけてヒーロー業に徹してきたし、救えなかった命について割り切れる程度には大人だった。
 何よりもう感傷だけで一緒に死んではやれないのだ。今はただ、若く、青かった頃の後悔と怒りを思い出しているのかも知れない。
 外界と遮断されてなお、感覚器官は血と硝煙の臭いを感じ取る。それが高性能なスーツの機能か視覚から受け取ったただの感覚かはわからないが、フェイスの丁度鼻辺りを指で拭いながら焦土と化した街を踏みしめた。自らの過去、記憶、温かかった思い出さえ全て、足の下に瓦礫となって幾重にも折り重なっていた。

 遣る瀬無い気持ちで後方を振り仰ぐと、鈍色の空に彗星のようなものを見とめる。軌跡に青を刷いた発光体は遥か遠くを行き来していたが、やがてある一点で動きを止めると、探し物を見付けたかのように急降下を始めた。
 青い輪郭に縁取られた赤い体を、虎徹は知っている。躍動する流線型のフォルム、常に傍らに控えた、まだ年若い相棒。星が降るというと凶事の前触れか世界の終わりのような印象を受けるが、虎徹の前に降り立ったそれは凶報というにはあまりにも生命力に満ち満ちていた。
「何をやってるんですか。行きますよ、おじさん」
 フェイスをぐいと振って、へたり込む遭難者に起立を求めるような声で虎徹を一喝する。彼は目の前の現実に憤慨しているようだった。故郷を襲った悪夢にも、目の前でみっとも無く項垂れる相棒にも。
「ぐずぐずしてるなら置いていきますから」
 無事だったんだな、と声を掛ける間もなく背を向ける相手に、漸く虎徹の両足が動く。実際口に出していれば誰に向かって言ってるんです、と冷や水を浴びせられること間違いないので、結果的に良かったのかも知れない。虎徹の周りを取り囲んでいた淀んだ空気も、彗星の飛来と共に霧散したようだった。



 歩き始めると猶更彼の若さを実感した。前を行く背は逞しいのにどこか危なっかしく、幼子の歩みを見守るような気持ちで煤けた街を進む。光を受けた芝も薄雲を刷いた空もない現状では、とても散歩と呼べはしなかったが。
 バーナビーの姿を見たことで、虎徹は少なからず自失していたことを認識する。冷静になった所で他のヒーローたちの安否も気になった。氷も炎も稲妻も見えない、やさしい風も、そっと紛れる気配も、懐かしい雄叫びも。そう簡単にやられはしないとヒーローの頑丈さを自分たちが実証してはいるのだが、歩いても歩いても変わらない景色に焦燥と締念を抱くのは止められなかった。緊急時オープンにされるヒーロー間の回線も今はノイズを拾うばかりで、基地局がやられたことは明らかだ。
「そろそろメダイユ地区の筈です」
「…酷ぇな。」
 シュテルンビルトの中枢に差し掛かっても、荒廃した光景は続いていた。そこかしこに引き千切れた配線が火花を散らし、倒壊したビルや家屋がガラス片の上に砂埃を積もらせている。栄華の名残すらない無惨な都市の姿に、虎徹の足取りは重くなった。バーナビーは両側頭から後方に伸びる耳を模したタッチパネルを頻りに操り、野兎が風の音を聞くが如く周辺情報を探っている。反応は思わしくない。虎徹も視界のサーモレーダーに目を遣るが、先程までと同じく周囲に熱反応を感知することはなかった。
 バーナビーは歩みを止めない。とうに与えられた五分間を過ぎて輝きを失った体は、虎徹のものと同じように煤けている。その懸命さに突き動かされた。
 だが虎徹にはわかる。もう駄目なんじゃないか、どこまでいっても誰も助けを待っている者などいないのではないか。歩き続けた体も、凄惨な現実を目の当たりにした心も、傷付き疲弊していた。
「バニーちゃん、」
 諌めようと口に出した言葉は思いがけなく覇気のない声に淀み、墜落して足下あたりを転がった。振り返った青い眼は怒りを湛えている。
「どうしたんです、ヒーロー。そんなんじゃ誰も救えない」
 突き放すような言葉はしかし、虎徹の心に激しく食らい付いた。胸倉を掴んで揺さぶりかけるようなそれは、懇願だった。
 失望させないでくれ、とバーナビーの全身が叫び立てる。かつて幼い彼を、家族を救えなかった、ヒーローという存在に対する怨恨を虎徹は受け止めた。すべてを救えるわけじゃなくても、諦めずに戦うのだと愚直な背で教えた。
 バーナビーを変えたのは虎徹だ。いつしか影響され、カメラに写らない場所でも全霊で奔走するようになっていた。
 虎徹は足下を見遣る。救い零した命たちがめいめいに手を伸ばしている。その手を取ることは、まだ出来ない。
 ではなぜ、なぜ今は足首を掴み引きずり込もうとする亡者たちと共に死んでやれないのか。自分の身を省みないような戦いをやめたのはいつからだった?

 必ず守ると誓ったあの小さな手はどこにある?

 脳裏に浮かんだのは愛娘の笑顔、虎徹がなんとしてでも守らねばならないものだ。一度はその危機をバーナビーが救った。今では彼へ向ける信頼の根幹にもなっている。
 掛け替えない相棒。彼のことも守りたい。
 ライバルヒーロー、自社の人間、気の良い隣人。取りこぼすには惜しい大事なものたちが、虎徹の胸にひしめいていた。
「行きましょう。ジャスティスタワーも近い。生存者がいるかも知れない」
 今度こそ虎徹は顔を上げ、確りと頷いた。琥珀の目が光を帯びて燦然と輝く。






 がつん、と脳髄を揺さぶる衝撃に両目を開けた。眠りにしがみつこうとする本能とは別のところで無意識に体が動いた。焦点を結ばない目は天井を彷徨い、輪郭のぼやけた人影を段々に知覚する。トレーニングウェアに跳ねた横髪、ビリビリと肌を刺すのは怒りのオーラだ。
「ん…あ、…バニー?」
「老眼鏡経費で落ちるか聞いてあげましょうか。何時だと思ってるんですいい加減にして下さい」
 脚力が売りの後輩は強烈なキックを椅子の足に浴びせ、転げ落ちそうになりながら衝撃と振動に耐える寝起きの先輩をたっぷりと詰った。ベンチがまたも大きな音を立てて後方へずれる。遠くから呆れまじりの溜息と野次が飛んだ。
ゆっくりと時間をかけて目の前の顔を凝視してから、周りで汗を流すライバルたちの姿を確認する。馴染んだトレーニングルームにも、窓の外の陽光にも異変はない。悪夢の残渣は、もうどこにも残っていなかった。
「…お前だったんだな。」
 自らを呼び戻した声。迎えに来て、引っ張っていった若い希望。大事なものを忘れるところだった。
「はあ?老眼通り越して認知症ですか。福祉業界が泣きますよ、おじさん」
 バーナビーは訳がわからないとでもいうように眼鏡の奥の目を眇め、寄せた眉を隠しもせずに吐き捨てる。こういった反応も最早お決まりのものだったので今更どうとも思わないが、今は無性に人恋しい気分だった。
「おじさん疲れてんだわー。もっと労って!」
「ちょっ何するんですか!離して下さい!」
 がばっと跳ね起きて後輩の首に腕を回し、うりうりと頭を掻き撫ぜた。スーツ越しには伝わらない、温もりと肌の感触。触れ合わなくとも、隣にいるだけで安堵した。本気で嫌そうに喚きながら横っ面を押されて、それでも離れがたい気分だった。
「サンキュー、バディ」
 ぽつりともらした言葉を、バーナビーは聞き取っただろうか。
 うだつの上がらない同僚に辟易していた筈が、いつの間にかそのペースに巻き込まれている。心を許し始めていることは誰の目にも明らかだ。
 眉間に皺を寄せ、酷く苦しそうに眠る顔を見ていたら叩き起してしまう程度には。
「今の午睡のお陰でデスクワークは捗るんじゃないですか」
「すげー嫌味!そんなしょっちゅう寝てねぇよ!」
「だとしたら単純に能率の問題だったんですね、失礼しました」
「楓ーバニーちゃんがいじめるよー」

 写真に話しかけないで下さい、と冷ややかな声を浴びせられながらロッカールームに入る。日常は今日も恙無く、愛娘の笑顔は写真の中で輝いている。

 虎徹は大事なものを守るために、何度だって相棒の声を聞くだろう。




Standup,HERO!

(110604)


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