最終回後
 
 
 リンゴン、と厳かな音を立てるベルに虎徹は片眉を上げる。こうやってバーナビーの部屋のドアベルを鳴らすのも幾度目か数えきれない。そのたびに見た目の豪奢さと相俟った音がするもんだなぁと呑気な感想を抱いた二年前を思い出す。人間の反応とはいくら経ってもそう変わらないらしい。
 一年かもう少し前か、虎徹の指紋もとうにこの部屋のセキュリティシステムに登録してあったのだが、時を経て再会してからはそれを使わないようにしていた。
 バーナビーが自分の意思でこの扉を開くのでなければ意味がない。
「なんですか、こんな時間に」
 思った通り、暫しの沈黙のあとにノイズ交じりの聞き慣れた声が廊下に響いた。今頃モニタに映し出された虎徹の姿を見、顔を歪めていることだろう。それでもバーナビーは虎徹を無視することができない。
「何って、会いたくなったから会いにきたんだろ?」
「…今何時だと思ってるんです。帰って下さい」
「つれねぇこと言うなって。開けてくれよ、バニーちゃん」
 出会って間もない頃の彼を宥めすかして抱きすくめたのと同じ声音で、殊更にやさしく語りかける。物言わぬ黒いレンズににっこりと笑ってやりながら、その向こうで葛藤している筈の青年を思った。
 ガチャリとロックが解除される。
 
 
 
 よしきたと言わんばかりに室内に入ると、おっ邪魔しまーすと遠慮などまるでない足取りにそぐわぬ言葉を部屋の主に向けた。恐らく湯上りだったのであろうバーナビーは黒いシャツを頭から被り、視線を虎徹に向けようとしないまま腕を通した。窓からのネオンが唯一の光源となる室内で、白い脇腹がしなやかに蠢く様は魅惑的だ。再会したばかりの頃に比べて現役時代の筋肉量を取り戻しつつある彼は、それでもまだ十分に細い。
「気ィ遣わなくていいんだぜ?お前寝るときそのまんまだろ」
 黒いシャツの裾がすっかりバーナビーの腹部を覆ってしまうと、今度はローライズのアンダーウェアからすんなりと伸びた脚に目を奪われる。裾を伸ばすその指も透き通るように美しい。緑の目はまだ虎徹を見ない。
「帰って下さいと言ったでしょう」
「でもドアを開けたのはお前だ」
 な?と駄目押しのように目を細めてから、傷付いたような顔で硬直するバーナビーの腰をするりと抱く。しっとりと水気を孕んだ髪をかき混ぜ、顔がよく見えるよう頬周りの毛を後ろに撫で付けてその顔を固定する。無理にこちらを向かせた目を色のついたレンズ越しに覗くと、張り付けた不機嫌さの奥に動揺や喜びを垣間見ることができて虎徹は口許を弛めた。こいつは俺に触れられて嬉しがっている。
 
 27歳のバーナビーは、一度拒絶してからでないと虎徹のことを受け入れることができない。突き放してそれでも離れていかないことを確認し、初めて肩の力を抜くことができる。本当に虎徹がドアの前から立ち去ったら傷付く癖に、自分から部屋に招き入れて身を寄せることはできない。
 元々難儀な性格をしていたが、打ち解けてきたところで訪れた空白の一年が更にバーナビーを頑なに変えてしまった。だが虎徹はそれでもいいと思っている。バーナビーはもう自分を拒まないだろうという絶対の自信があった。どんな辛辣な言葉も冷えた視線も、死の淵で受けた温かな涙が溶かしてしまう。バーナビーは自分を好ましく思っている。それは揺るぎ無い事実だった。
 
「バニー」
 ちゅ、と耳朶に落とされた唇にバーナビーは身を震わせた。いいように扱うこの男が悔しくて腹立たしくて仕方ないのに、この手はちっとも彼を押し返すことができない。抱き寄せられた体から消えかけた香水とアルコールの香りがして眉を顰める。普段吸わない煙草の臭いも混じり、外で飲んできたのであろうことは明確だ。どの面下げて、と思わないでもないが、結局はこうして流されてしまう。だって人肌の温もりをくれるのはもう虎徹しかいない。
「バニーちゃん、会いたかった」
 耳元に吹き込まれる言葉を受けて操られるように背に腕を回すと、満足げな眼をした虎徹が頭を撫でてくれる。頭に頬を擦り付けて力を抜くと、腰を抱く腕の力が強まった。しっかりと拘束されて安心する。まだちゃんとここにいると、離さないと伝えるようで。
「一人で飲んでたらさ、お前の顔見たくなったんだ」
 いつになく饒舌な彼はやはり酔っているのかもしれない。妙に格好つけたがりの虎徹は自分から思いを口に出すことは少ない。ではバーナビーの愛情表現が適切かと言われればそうではないので、敢えて言及することはなかったが。
「…誘ってくれればよかったのに」
 ここにきてぽつりと漏らしたバーナビーの言葉は、虎徹を舞い上がらせるには十分なものだった。顔が頭の横にあるせいで表情は窺えなかったが、拗ねたような響きを孕む語尾に甘さは隠し切れない。この暗い部屋で一人、彼を誘わなかった自分を待っていたかと思うと仄暗い喜びが胸を支配するのを抑えられなかった。
「ベッド、行くぞ」
 虎徹の金の眼が闇の中で獰猛な動物のそれに変わる。

 
 
 
 体温の高い掌が体中を這いまわり、そうと気付かないうちにバーナビーの熱を上げていく。片時も体を離さぬまま気付いたらベッドへと連れ込まれているのも毎度のことで、虎徹の手にかかればいとも簡単に操られてしまう。それとも自発的に踊っているのか。この赤い靴で、とシャワーの前に脱いだブーツをぼんやりとした視界の片隅に捉えながらバーナビーは自嘲する。しかし彼の手を取ったのは自分自身だ。身を裂く茨を張り巡らせたのは虎徹じゃない。バーナビーにとって虎徹の手だけが、茨の先の高い空へと導く道しるべだった。
 ベッドに着くまでの間ひとしきり肩や背をなぞっていた手は、スプリングにその身を引き渡すと腰から下へと移動を始めた。普段パンツの下に隠されている脚は引き締まった筋肉がついて、彼の戦闘スタイルであるキックを支えている。大腿部から膝までを掌で強めに往復させ、時折鼠径に近い所を揉んでやる。親指で下着のラインを辿るように引っ掻くと、逃げるように内腿がわなないた。

 脚はバーナビーの武器であり弱点だ。不意にきゅっと引き締まった足首を掴むと、ひぁ、と情けない声が漏れる。まるで精肉店に並べられている鶏の足を掴むような、無造作な手付きでバーナビーの足を持ち上げる。虎徹の大きな手に足首を掴まれてしまうと、それだけでもうだめだった。どんな抵抗も無意味になってしまう。獰猛な肉食動物の前に捧げられた供物のように、身を縮めて捕食の時を待つほかない。
 虎徹は掴んだ足首をにぎにぎと弄び、時折丸いくるぶしを親指でなぞっては身悶えるバーナビーを冷静な目で見下ろす。浮き出た脛骨に歯を立てると、喉の奥から悲鳴が上がった。元より噛み癖のある虎徹は感情の高ぶりに任せて肩や首筋を噛むことが多かったが、バーナビーの足はまた格別だった。乳児が生えかけの歯をむずがるように、歯列が疼くのを感じる。動物がそうするのと同じように大きく顎を開いて、しなやかな肉を求める犬歯を本能のまま柔肌へと埋めた。
「や、アッ……!うああ……っ」
 肌が裂けない程度の力を込めながら、何度か下腿の咀嚼を繰り返す。その弾力を楽しみつつ、時折気まぐれに舌で膚をねぶった。美味しい肉汁を一滴たりとも零すまいとする獣のしぐさだ。硬いエナメルと熱い吐息と濡れた舌の感触に、バーナビーはシーツを乱して打ち震える。足首を捕まれたままで振りほどく力も出ない。
 掴んだ足の先、もたらされる刺激に懸命に耐えようと形のよい爪先が丸められている。整然と並ぶ爪は欠けたり割れたりすることの無いよういつもファイルで整えられており、つやつやと健康的に光って虎徹の欲をそそった。躊躇うことなくその足指を口に含む。
「ひっ…や、だ!やめ……!」
 突如足首を引かれたと同時に爪先を熱い舌にねっとりと覆われ、バーナビーは本能的な嫌悪感に涙声を上げた。かし、と前歯が爪に当たるのがわかり、指の股を這う舌に快楽とも嫌悪ともつかない感覚が背筋を駆け抜ける。
 鼻腔に抜ける石鹸の香りも今は欲を煽る材料にしかならず、日に焼けない爪先をちゅっと吸っては爪と肉の間に柔らかく歯を立てた。尖らせた舌でそこを往復させるとバーナビーの腰がもぞもぞと揺れる。
「いや、やです……!そんなとこ、いやだ…っあ!」
「でもこっち、勃ってるみてえだけど」
「んああっ…!」
 靴下に包まれた足がバーナビーの下着をなぞって、思わず甘い声が上がった。そのまま形を確かめるように土踏まずでさすられ、替えたばかりの下着をはしたない蜜が汚していくのがわかる。虎徹はもう、バーナビーの弱い所を知り尽くしていた。脚を嬲られた時点で兆していたそこを放置していたのは、己の欲を優先したからに他ならない。バーナビーの脚は美味しい。
 彼の復讐を、ヒーロー業を、人生を支えてきたのはこのしなやかな脚だ。それを口に含み蹂躙することで彼のすべてを征服した気になれるし、バーナビーがもうどこへもいけないように縛り付けておくことができる。歪んだ発想だが虎徹にはもう若い彼の手綱を握っておくだけの力がない。その資格もない。

「バニー、俺が好きか」
 潜められた声の真摯さに、バーナビーが薄い膜を張った両目を見開く。こうまでいいように弄んだくせに切実めいた目で問う、この男は本当にずるい。
「俺はお前が好きだよ」
 答えないバーナビーに最初から期待などしていなかったかのように虎徹は続ける。一度は自分の元から離れていったくせ、再会したこいつはちっとも幸せそうにしていなかった。それなら俺が傍にいても同じではないか。バーナビーの双眸はまだ、出会った時と同じ寂しいこどものままだ。ふたりならそれを埋められると、虎徹は知っている。
「……ぼく、ぼくは、」
 バーナビーの顔がくしゃりと歪められる。高められた体を放置されて思考には靄がかかり、とても正常な判断がつかない。虎徹は掴んでいた足を離して、そっとシーツに横たえた。覆い被さるように抱き締めても、今度は逃げをうたなかった。
「すきです、あなたが、好きだ…っ」
しゃくりあげるように泣きながら、虎徹の首に両手を回す。バーナビーはまだ、虎徹のいない一年間を忘れられずにいる。こうして人の体温に慣れた頃にまた放り出されたら、どうすればいいだろう。一人で立つことは覚えた。しかし寄りかかる先は虎徹以外に知らない。甘え方もわからない。虎徹に掛け替えのない大事なものがあることも痛い程知っている。バーナビーにはもう何もなかった。

 堰を切ったように溢れ出す涙と息苦しい程の抱擁に、虎徹はくしゃりと金の髪を掻き抱く。唇を塞ぎ、震える舌を吸い上げながら張り詰めた下着の中に手を突っ込んだ。
「んっ!んっンっぅ、……〜ッ!!」
 完全に不意打ちの刺激に腰が大袈裟に跳ねて、親指が丸い先端を撫でるのと同時にその手を濡らした。バーナビーの身体がくたりと弛緩すると唇を離して、濡れた睫毛の先を啄んだ。はあはあと大きく肩で息をしながら、バーナビーは信じられない!と憤慨する。
「っあっなた、人の告白をなんだと……!」
「だって辛かったろ?」
「それとこれとは話が別です!」
 虎徹が引き抜いた手についている白濁を舌で舐めとるのを見、あまりのデリカシーのなさにバーナビーはぐったりと背を向けた。息を整えながら散々嬲られた足を折りたたみ、身を守るように背骨を丸める。その拗ねたようなポーズが可愛らしくて虎徹は再び笑みを作る。
「好きだぜ、バニーちゃん」
 背後からぴったりとその体に寄り添って、耳の裏に鼻先を埋めた。シャンプーに仄かな汗の香りが混じる。バーナビーの匂いだ。
「こんな誠意のない状態で言われても」
「ばれた?」
「取り敢えずその節操のないものを収めてもらえますか」
「冗談、夜はこれからだろ」
 諌められたそれを敢えて彼の腰に擦り付けてやりながら、虎徹は腹の底からたっぷりと甘い声を出した。物言わぬ耳が赤くなる。
「好きだ、バニー。」
 今宵何度目かの言葉に、胸が高鳴るのを止められない。こんなに女々しく言葉をねだる方ではなかったのに、今はその音が心地よくてならなかった。それは両親の遺した言葉と同じ、愛されているという実感をバーナビーにくれる。
 バーナビーはずっと、人に愛されたかった。

「なー、なんとか言えよォ」
「…アルコールの入ってない時に言ってください」
「えー」
「あと、あからさまに発情してない時」
 つんと澄ました物言いはそのままに、語尾が柔らかく掠れるのを虎徹は聞き漏らさない。このほんの僅かな甘えのサインを汲み取れるのは自分だけだと、誰に自慢するでもなく優越感に浸りながら目の前の耳を食んだ。
「覚えとくよ、バニーちゃん」
「……っ」
 シャツの裾からするりと潜り込んできた手が腹をなぞって、バーナビーはびくりと肩を竦ませる。覚えておくと言った虎徹はどうせ、いざその段になったらのらりくらりとはぐらかして逃げを打つだろう。そうしたら今度は自分が言ってやるつもりだ。このいとおしい中年に、もう離しはしないと。

 バーナビーは剥き出しの脚をするりと虎徹のスラックスに絡めた。甘えるように誘うように、いたずらな爪先が虎徹の脚をなぞる。手に手を取って虎徹と同じステップを踏めるのなら、茨の森でも楽しく踊れる筈だ。






(111010)


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