20話捏造
 

 
 靄がかかったような意識の底で、僕はいつも誰かを探している。
 21年間の全てを捧げた復讐を遂げた今、生きる目的はおろかその意味すらも見失い、繰り返す日常にただぼんやりと押し流されていた。果たして自分の行いが正しかったのかどうか、答えの出ない自問自答を繰り返すばかりだ。憎しみは何も生まないと諭された所で僕を支え続けたのはこの憎悪だけで、今更美しい思想に心を明け渡すことはできない。僕の空は今日も仄暗い。
 目を覚ます時いつも、傍に誰かの気配を感じる。耳元を掠める吐息、少し硬い髪の感触。もう一度確かめたくて手を伸ばすのに、ひんやりとした空気を掴むだけでその感触をなぞることはできなかった。頭を撫でる誰かの手、頬を擽る指。ひどく懐かしくて泣きたくなるけれど、誰の幻影をみているのかわからない。顔も知らないその人に親しげに触れられるたび、僕の孤独は輪郭を色濃くする。触れられるから別個の存在であると認識する、その物悲しさによく似ている。あなたがいるから懐かしいのに、あなたがいないことが寂しい。現実の誰にも心を乱されたりはしないのに、こんなにも酷く恋しく思うのは一体何故なのだろう。
 もしかしたら疲れているのかもしれない。誰とも深く接触してこなかった僕が心を預けられる相手を得る筈もない。思い出せない存在など初めからただの幻で、そうであればいいと願った弱い心が戯れに夢をみせたのだろう。


 新たな目標は程無くして向こうから飛び込んできた。僕の幼少時代を構築する大切な人が、またしても他人に奪われた。まだお前の復讐は終わっていないのだと嘲笑う声が聞こえるようだ。ひとつを憎みひとつを奪った時点で、失い続ける運命へと歯車は回り出したらしい。ならば初めから大切なものなどなくていい。これ以上失うものは何もなかった。



 命を奪われた老婦がブルックス家のメイドであったことをメディアが嗅ぎ付けると、ヒーローTVを擁するアポロンメディアに限らず、各局がこぞってこの事件を取り上げ始めた。ジェイク事件の混乱から一年、キング・オブ・ヒーローの新たな悲劇に街中が憐憫を向けた。降り注ぐフラッシュにもいい加減慣れて、感情とは別のところで唇が動く。

「ミセス・サマンサの仇を必ずこの手で捕まえ、市民の皆さんの安全を守ってみせます。」

 民衆の前で力強く宣言したその足でバイクへ跨り、犯人の潜伏する市街へと走る。フェイスを下ろしてしまえば誰にも表情を見られずに済む。悲しみに揺れる瞳を一体誰に見せられるというのだろう。この痛みを分け合える相手などどこにもいないのに。
 
 
 
 事件発生を告げられてから半日が経とうとしていた。夕闇に紛れられては追跡も難しくなる。ヒーロースーツを着ている以上こちらの動きは相手に伝わりやすく、特に能力発動時は発光する体を隠すことができない。焦りとは裏腹に何の尻尾も掴めないまま、シュテルンビルトはネオンの海へと変化を始める。
 途中入った通信によれば、犯人は5 minute 100 power──僕と同じ能力を有していた。能力が同じとなれば互いにこの力の利点欠点を知り尽くしている筈だ。それが吉と出るか凶と出るかは相対してみなければわからない。未だ犯人を視認出来ないフェイスの内側でそっと唇を噛む。司法局の認可を受けたヒーローとして、野放しのNEXTに負けるわけにはいかなかった。

 人気のない公園通りへ足を向けたのは何故だろうか。中枢は他のヒーローたちが包囲している。犯人が潜伏していたところで今更逃れようもないだろう。
 葉のない枝を風が揺らし、乾いた風が茶色く枯れた芝を撫ぜた。捕まらない殺人犯の報道に道行く人は少なく、ちらほらと見える人影の誰も彼もが家路を急いでいる。最早帰る場所のない自分にとって、今すべきは彼らの安全を守るべく凶悪犯を確保することのみだ。閑散とした風景に感傷を抱いている場合ではない。
 以前ならなんとも思わない光景だった。徐々に色濃くなる闇に、がらんとした公園の遊具が影となって飲み込まれてゆく。吸い寄せられるようにそのトンネル様の遊具へ近付いた。
 幼き日の得体の知れない心細さを思い出す。無性に誰かの手を取りたくなった。脳裏で誰かが振り向きざま優しく微笑む。その目元の皺、緩む口許を思い出せるのに、肝心の顔には靄がかかる。割れるように頭が痛んでペンキの剥げた遊具へと片手をついた。鉄錆の感触はグローブ越しに伝わってくることはなく、剥がれた破片が乾いた音を立ててぱらぱらと足元へ落ちる。スーツの靴底が砂利を踏んで小さく音を立てると、遊具の内側で金色の双眸が揺れた。はっと息を飲む。
 男が飛び退るのとトンネル内部へ蹴りを叩きこむのは同時だった。子供向け遊具の内側を身を屈めて蹴り抜ける。土煙が晴れても遊具は衝撃に耐え抜き原型をとどめていた。公共物を破損せずに済んだことに安堵しつつ視界は犯人の姿を追う。
 相対した一瞬に交えた視線が、胸をざわつかせている。あんなに哀しい金色を初めて見た。男は酷く動揺していたようだった。単なる逃亡犯という立場であんな表情ができるだろうか。男はもっと別のものを恐れているように見えた。
 遊具の内側に潜んでいるのが子供でなく目的の男であると、直感的に判断したのは何故だろう。違ったらそれこそ一大事だ。確証が得られるまで先走るものではないと頭ではわかっているのに、気付いたら体が動いていた。
 土を踏む微かな気配に体を躍動させる。蹴りの軌道上から男は姿を消し、ハンチングを守るように片手で押さえながら低く腰を落としている。直線攻撃で躱されるならと上空へ飛び、手近な木を蹴って男の背後へと回り込んだ。しかしそれも掠めることすら出来ずに踵が空を裂く。
「…んだよ、ほんとにお前まで忘れちまったんだなあ」
 暫く睨み合ったまま、荒い呼吸だけを繰り返す。男はぽつりと呟きながら、参ったなと頬を掻いた。妙に見覚えのあるモーション、同じ癖を持つ誰かを知っている。けれど、こんな風に悲しみを誤魔化すように笑う様は見たことがない。
「大人しく投降しろ」
 胸のざわめきを払うように拳を握りしめた。セオリーから言って、右。砂を蹴って飛ぶ。男は身を翻す。またしても動きを読まれたように、僕の攻撃は彼へ当たらない。ジェイク戦を思い出して背筋が冷える。そうだあの時、僕はどうやって、どうやって奴を。

「まだ謝れてなかったのに。ごめんな、バニー。」
 攻撃が止んだのを見て、男は神妙に口を開いた。一歩ずつこちらに歩み寄りながら、切実めいた目でこちらを見ている。
「止まれ。それはサマンサおばさんを殺害したことに対する謝罪か?」
「まさか。お前をこれ以上一人にする訳ねぇだろ」
 男は顔を顰める。覚えのあるテノールが沁み渡るように耳に入ってくる。
 一体どういうことだ。頭が割れるように痛い。ドロップキャンディをぶちまけたような色とりどりの光が頭の中で明滅する。溢れ、流れる記憶の奔流。懐かしい男がこちらへ向かって歩いてくる。誰だ、誰なんだ。
「悪かった、バニー。」
 気付けば目の前に迫っていた男の、節くれた指が手慣れた動きでフェイスシールドを上げた。直接相対した双眸はいつか見たやさしげな光を湛えていて、目が離せない。ぼやけた視界の中でその金色だけが美しい。掌はゆっくりと左頬を撫でる。いたわるように癒すように、そして検分するように幾度もそこを辿る。
「悪かった。」
 男は再び繰り返して、僕の頭をそっと抱き込んだ。鼻腔を掠めた匂いに堰を切ったように涙が溢れ出す。胸を締め付ける感情が何なのかわからないまま、喉の奥に痞えていた名を呼んだ。恩人の仇である凶悪犯に身を委ねたまま、無力にもどうしたらいいかわからなかった。
「こてつ、さん」
 ずっと抱き締めて欲しかった。ひとりでは抱えきれない、たくさんのことを彼に聞いて欲しかった気がする。でもそれがなんなのかもう思い出せない。


 こんなおじさんは知らないのに。
 あなたはだれだ。僕は誰なんだ。
 



(110814)



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