昨夜の淫蕩さを欠片も残さない清廉なシーツに、裸の腕が伸びる。寝室は柔らかな朝の光で満たされ、新しい一日の始まりを粛々と告げた。悲しい日も嬉しい日も、平等に朝はやってくる。これまでの25年を振り返り、バーナビーはそう結論づける。
 バーナビーの隣には一週間ぶりに虎徹がいた。冬の朝は布団の中から出るのがつらい。そこに人の温もりがあれば尚のこと。
「お、起きたの」
「ん…」
 覚醒しきらない頭で目を擦る。応えたつもりが喉はかさかさに掠れていた。昨夜のお喋りが効いたようだ。虎徹は締まらない顔を隠しもせずにやにやとバーナビーを眺める。ぼやけた視界ながらも雰囲気からそれを察知して、バーナビーは小さく息をついた。
「なんですか」
「いや、別に。おはようのチュー」
「やめて下さい歯も磨かないうちに」
「お互い様だろ〜」
 頭を抱え込んでから近付けた顔を思い切り押しやられ、虎徹は頬を膨らませて抗議する。四十路前の男のする顔じゃない、と頭では思うものの最早そう違和感もなくなっていることに気付き、口を閉ざした。
「バニーちゃん、俺さ」
 膨れ面はどこへやら。懲りない手に抱き寄せられてそのままにしていると、再びだらしのない顔が旋毛に口付けてきた。口でないだけましか、と大した抵抗もせずに受け入れる。覚醒直後の冷えた体に虎徹の体温は心地いい。
「開けてなかったんだ、プレゼント」
 なるほど、どこか嬉しそうにしていたのはこのせいか。面映ゆい気分になってバーナビーは布団に鼻先を埋める。ううん、とも、ふうん、ともつかない曖昧な声で返事をする。
「開けていい?」
 布団からはみ出た、くしゃくしゃになった髪の合間から覗く透き通った耳に、口付けるようにして囁いてやる。甘すぎるいたずらだ。一気に昨夜の熱をぶり返した体が、ぎこちなく強張る。
「っ…、どうぞ、お好きに」
 バーナビーが渡せずにいたプレゼントを、虎徹はひょいと拾い上げてしまった。バーナビーが一人で生きていたときに、迷いなくその空の手を奪っていったように。
 よれたプレゼントは包装も解かれずに枕元に鎮座していた。虎徹がもってきたのだろう。クリスマスの朝に子どもがつるした靴下を覗くみたいに、わくわくと顔を輝かせている。くすぐったいような嬉しいような、なんとも言えない衝動に駆られた。シーツにちょこんと腰を下ろしたプレゼントは、虎徹に触れられて嬉しがっているようだ。なにしろ一度はダストボックスに放り込まれたのだから。
「じゃあ、開けるな」
「いちいち宣言しなくていいですよ」
 浅黒い指が、しゅる、とプレゼントにかかったモスグリーンのリボンを解く。それから長方形の包みを転がして、テープの端を引っ掻いた。
 壊し屋に似付かない繊細な動きにバーナビーは目を丸くする。てっきりびりびりに破くとばかり思っていたのに。
「プレゼントってさ、どきどきするよな。」
「はあ…あなたらしいですね」
「いや、開けるのもだけど、贈るのも」
 丁寧すぎる手付きに虎徹が自らに触れる時のことを重ねてしまって、バーナビーは少し苦しくなる。もう、いい。テープが剥がれないのなら、無理矢理に剥いてしまって構わないのに。
「娘さん、ですか」
「ああ。何がいいかな、喜ぶかなってすげー考えてさ」
 バーナビーの懊悩と裏腹に、虎徹はひどく穏やかな顔をする。彼の親の顔を見るのも好きだ。自らに向けられたものでなくとも、温かさに涙が出そうになる。
「バニーがそうやって、俺に何か選んでくれたのがすげえ嬉しかった」
 ぴり、と最後のテープを剥がし終えて、少し荒れた指先が丁寧に包装紙をはぎ取ってゆく。はやく見て欲しいのに、でも秘密にしておきたいような、妙な心地だ。
「…大したものではないですよ?」
 その目に触れる前に、牽制。そうやって大切に扱われると、どうしたらいいかわからない。
 虎徹が箱を開いて、中からフォトフレームを取り出した。暖かみのあるメープルウッドのフレームは手触りも良く、虎徹の家のインテリアにも馴染む筈だ。注目するように目を大きくした虎徹はすぐにくしゃりと微笑んで、バーナビーの髪を撫でた。
「写真立てかー、なんかお前らしいな!」
「だから言ったでしょう、大した物じゃ…」
「んなことねーよ、ありがとな」
 もう一度バーナビーの髪を撫でてから、虎徹はフォトフレームを引っ繰り返したり立ててみたりと矯めつ眇めつする。その顔は本当に嬉しそうで、バーナビーは無意識に緊張していた体からほっと力を抜いた。
「でもさ、バニーちゃん。これじゃちょっと足りないぜ?」
「え?」
 不意に向けられたいたずらな笑みにきょとんとして、バーナビーは無防備な顔を晒す。
「こういうのは自分の写真入れて渡すもんだろ」
「はあ…」
 よくわからない、という顔をするバーナビーに虎徹は頬を掻いた。ほんの冗談のつもりだったのに、生真面目な恋人は難しそうに考え込んでしまう。
「だってあなた、家族の写真ばかりでしょう」
「まあ、今は…」
「これなら僕も、不自然じゃない形で傍にいられます」
 大真面目な顔をして告げるバーナビーに、虎徹は顔を覆いたくなった。なんてことを言うんだ、こいつは。
「あのなあ」
「はい」
「お前はどーしてそう、妙なところで自己評価が低いの」
「はあ?」
 仕事に関しては自信満々なくせに、情愛に関してはやたらと卑下するところがある。それも無意識にだ。虎徹は憤慨したように宣言する。
「決めた。これには俺とお前の写真を入れるからな」
「え…」
 それっきり黙ってしまうバーナビーに、不満とでもいうのかと恐る恐る顔を覗き込んでみた。失敗した。

 花が咲いたような、顔をしていたのだ。俯きがちに。
 薔薇色の頬に碧の目を潤ませて、花の息吹のように睫毛を揺らす。虎徹の今言った言葉が信じられないとでも言いたげにゆるゆると首を振る。
「そんな、だって…」
 ついにその頭が、よく膨らんだ枕に埋まった。息苦しくないのだろうかと心配になるほど見事に突っ伏している。虎徹は耐えきれず上から覆い被さって、悶えるバーナビーを抱き締めた。
「いいだろ、それくらい!」
 良い悪いの問題ではないのだ。虎徹の腕の中、バーナビーはますます枕に顔を押し付ける。
 写真そのものなら雑誌の取材その他で嫌というほどツーショットを撮られた。でも今虎徹が言ったのはそういうことではない。何の温度もない雑誌に載るのとは違うのだ。虎徹の部屋の、彼が心を許した人々にしか開かれないスペースに、バーナビーを入れると。そう言っているのだ。
 嬉しさに息が止まりそうだった。
「なあ、こっち向けって…」
 枕に顔を埋めたまま固まっているバーナビーに、焦れたように虎徹が声を落とす。横髪を鼻でかき分け、首筋を唇で辿る。性的なというよりは獣が甘えるようなしぐさに、たまらずバーナビーが身をよじった。
「っ…。とびきりかっこよく写してくださいね」
 仰向けて胸に虎徹を抱き込みながら、詰まる喉でささやいた。不意に抱き締められた腕の中で、虎徹がけたけたと笑った。





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