いつものトレーニングルームに、いつものメンバー。虎徹の誕生日は明日に迫っていたが、変わらず膠着状態は続いていた。今日もランニングマシーンを走るバーナビーの隣に虎徹の姿はない。つい十日ほど前まではなんだかんだとくっ付いていたのに、とコンベアの上を走りながら表情を曇らせる。今日は個人での仕事が入っていたために朝から顔を合わせていないし、当然プレゼントを渡して謝るようなチャンスはなかった。さすがにカリーナやネイサンだけでなくキースからも何かあったのかと問われたが、今となっては何が理由とも言い難いため二人して口を噤む。
 喧嘩はいけないよ、と温かな手に肩を抱かれ、思わず涙ぐみそうになる。そんなことはとっくにわかっている。けれどうまくいかない。キースがおろおろと狼狽するのを、虎徹がやんわりと諌める。
「わーったわーった。ちゃんと仲良くやるって」
「本当かい?」
「ああ」
「バーナビーくんも?」
「ええ」
 すみません、と続けた声はくぐもって無様だった。とてもスタイリッシュとはいえない。虎徹が困ったように溜息をついて、バーナビーがびくりと肩を揺らす。呆れられたのだろうか。ロッカーに忍ばせている紙袋を渡す勇気は途端に萎んでしまう。
 虎徹がその場を後にすると、キースが残って慰めの言葉をかけてくれた。しかし、そのどれもがバーナビーの耳には入ってこない。
「あんた明日誕生日なんだって?」
「ん、ああ、そうだっけ」
 バーナビーたちからは影になったところで、虎徹とカリーナの声が聞こえる。誕生日という単語にずきりと胸が痛んだ。当の虎徹はなんでもないように受け流していて、苛立ちすら湧いてくる。虎徹はバーナビーが何日もかけて誕生日プレゼントを選んだことなんて知らないのだ。渡していないのだから仕方ない。
「覚えてないの?可哀想だから、あ、あたしが祝ってあげよっか」
「おっ、まじで?じゃあ今夜はおじさんとデートでもすっかー」
「気持ち悪い言い方しないでよね!」
 カリーナは言葉尻を強くするが、その声が弾んでいるのは誰が聞いても明らかだった。少し前までの自分をみているようだ、とバーナビーは自嘲する。今はその隣に並ぶことすらままならない。
「タイガーさん誕生日なの?」
「めでたいでござる!」
 喧騒は大きくなる。無邪気な声が上がると、どこか投げやりだった虎徹の声が僅かに和らいだ。ホァンを見ていると娘を思い出すのだといつか話していた。明日はきっと故郷の家族から電話が入ることだろう。虎徹にとってはきっと一番のプレゼントだ。
「おー、お前たちもこいこい」
「やったー!」
「いいんですか?」
「牛くんのおごりだ、アリガトウ」
「なんでだよ!」
 突如巻き込まれて離れた所に居たアントニオは憤慨するが、その場にバーナビーがいないことに表情を険しくする。どうするつもりなんだ、と親友を見遣るも、虎徹はカリーナやホァンの頭を順繰りに撫でていて気付かない。バーナビーだけが物陰で視線を落とし、そっと唇を噛む。
「バーナビーくん?」
「すみません、ちょっと」
 キースには申し訳ないが、これ以上は耐えられない。逃げるようにその場を後にして、ロッカーの中身を取り出した。シャワーも浴びぬまま足早に帰路につく。
 よかったじゃないか、大勢に祝ってもらえて。途中でポケットの携帯が何度か震えたが、一度もチェックすることなく車を走らせた。きっとやさしくておせっかいなヒーローたちが、自分にも誘いを持ち掛けてくれているのだろう。しかし今夜ばかりはその輪に混じって笑えそうにない。沢山の人に心配をかけているのは自覚している。そのやさしさすらも素直に受け取れない自分が惨めで、うっかり泣いてしまいそうだった。
 
 
 
 
 
 バーナビーが出て行ったことに虎徹も気付いていたが、引き留めることはしなかった。どの店がいいか口々に相談する年下組を眺め、連絡するべきかと携帯を片手に逡巡する。アントニオの視線が痛い。会議中らしいネイサンがこの場にいたら、前髪くらいは燃やされていたかもしれない。
 会場はトレーニングセンターから程近いファミレスとなった。人数も多く未成年者が混じっているため、他に選択肢はないといってもいい。めいめいにメニューを開き、虎徹が数分おきに携帯に触れるのをかわるがわる食い入るように見ている。
 誰もがこの場にバーナビーがいないことを不審に思っていたが、ここ一週間の様子を見ているだけに切り出す勇気が出なかった。初めは最近の事件について他愛無い会話を交わしていた面々も、やがて料理が運ばれ始めると口を閉ざして黙々と食事をする。
 一人遅れてやってきたのはキースだった。呼んでおいたよ、とホァンが笑う。お前も早くしろ、という視線が虎徹に集中したが、当の虎徹は素知らぬふりで炒飯を咀嚼する。外でまで炒飯ですか、とつっこんでくれる相棒はいない。
 バーナビーが、いない。
「…おい!なんでバーナビーに連絡しないんだよ!あいつ一週間も前からお前の誕生日プレゼント悩んでたんだぞ!」
 痺れを切らしたのはアントニオだった。思わぬ言葉に虎徹は持っていたスプーンを取り落しそうになる。誕生日プレゼントを悩んでいた。バーナビーが?誰の?俺の?
「えっ!うそ!」
「あのバーナビーさんが…」
「やさしい〜!」
 はしゃいだ声が次々に続いた。深刻な喧嘩でもしたのかと思ったら、そういうことだったのか。どこかほっとしたように場の空気が和らぐ。しかし、それも束の間だ。
「おま…もっとはやく…」
「ていうか、なんでもっと早く言わなかったの!?」
 虎徹が力なく切り出すのと同時に、高い声が非難をかぶせてきた。アントニオは大きな体を竦めて冷汗を浮かべる。
「バーナビーさんとタイガーさんが悩んでるの、知ってたんですね」
「えっ」
「サイテー!」
「えっ俺?」
 
 虎徹は残りの炒飯を掻き込んで、ポケットから紙幣を数枚取り出した。数えることもせずにしわくちゃのそれをテーブルへ突き出す。全員がはっと息をとめて、帽子を手に立ち上がる虎徹を見上げた。
「行こう、今すぐに!」
 キースが即座に反応する。小脇に抱えるジェスチャーですべてが通じる。なんといっても彼は風の魔術師、ポセイドンライン・エアライン担当。ただし定員二人!
「ギャアッ!いい!タクシー乗るって!」
「遠慮は無用だ!」
 叫ぶ虎徹を掴まえてキースが笑った。施錠されている筈の窓が魔法にかけられたように独りでに開いて、二人の周りに微かな風が巻き起こる。冷たく刺すような冬の夜空に、白い息がふたつ溶けた。あっという間にふわりと浮いて、虎徹が慌てて帽子を押さえる。歯を見せて笑うキースが思い切り両手を広げると、虎徹の体が急速に上昇した。心優しい面々が、くすくすと笑いながらそれを見守る。
「私が責任を持ってお届けするよ!」
 地上の星瞬くシュテルンビルトも、上空まで上がってしまえば天の星の方が近い。夜風を切りながら、無性に泣きたいのは風に眼球を洗われているせいだろうと、鼻の頭を赤くしたまま虎徹は考えた。


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