ぼす、と背中に強くもないが軽くもない衝撃を感じた。俺にこんなことをしてくる様な者など一人しかいない。というより先ず特定の者以外、他人からの接触というものを許可していないから、当然と言えば当然だが。
しかし、つい先程喉が乾いたと言って飲み物を買いに行った筈の彼女が何故いきなり抱き着いてきたのか。それも、ただ甘えてくるのとは異なった、縋る様な抱き着き方と力加減で。彼女が去ってからまだ五分程しか経っていないが、その短時間の間に何かあったのだろうか。まあ彼女のこの様子を見る限り、大凡の予想はつくが。彼女がこの様な状態になる程の"何か"と言えば、とあることを除けばたった一つしかない。運と間が悪いにも程があると色々怨み辛みの篭った息を吐き出した。
そしてそんな仕草にさえ、びくりと肩を跳ねさせて怯えた様子を見せる彼女が可愛いやら可哀想やら。決して彼女に向けてやった訳ではないのにも拘わらず、これ程までに怯え弱るとは、今回はかなり重症の様だ。…否、原因が原因ならば何時ものこと、か。だが、こんな彼女は見ていて気持ちがいいものではない。とにかく彼女をどうにかするのが先決の様だ。取り敢えず、自分よりも随分と低い位置にある頭を優しく撫でてやることにした。

そっと頭に手を置いて、優しく叩く様にして撫でる。指通りのいい艶のある髪を梳く様にして軽く弄ぶ。絡まることなくさらりと解れる髪に少し目を細めた。彼女は頭を撫でられるのが好きなのだと気付いたのは一体何時だっただろう。髪を弄られるのも好きらしいと気付いたのはつい最近だ。身内限定らしいが。一瞬だけまたびくりと身体を揺らし、けれど頭を撫で続けていると強張った身体から力を抜いて凭れ掛かってきた。どうやら漸く落ち着いた様だ。安堵したことが容易に感じられる力の抜け方に、小さく息を吐き出す。素直に身体を預けてきた彼女を抱き締める様にして支え、これからどうするかを考える。ともかくこうして此処にいる訳にもいかないだろう。まだ予測の範囲を抜け出していないと言えど、彼女の様子から推測できる"原因"を考えれば、このまま此処に留まっていることは得策ではない。それどころか、非常に拙い。下手をすれば最悪の事態も有り得る。ならば、今は一刻も速く此処から離れることが先決だ。弱りきった様子の彼女の身体を慎重に抱えあげ、早急にその場を後にした。









なるべく彼女に負担の掛からない範囲で、けれどその中でも最大級の速さで脚を動かし家に向かう。人目に付かない様人通りの少ない道を選んでいるから、多少時間は掛かるが致し方無い。それで彼女の負担が減るならば構わない。

速度を抑えているといえど、それでも一般人の認識よりは遥かに速い。勢いよく後方に流れていく景色を視界の端に掠め、頬に風が容赦なく当たるのも気にせずただ脚を動かした。

そうして出掛けた先から大して時間を掛けずに家に着く。一度玄関先で脚を止め、腕の中の彼女に歩くかと問い掛けた。今までずっと一言も発せずにしがみついていた彼女は弱々しく首を横に振り、更に身体を密着させてきた。これは歩けるけれど離れたくないということなのか。小刻みに震え続ける身体がそれを物語っていた。



今の彼女には僅かな振動すらも大きな刺激になってしまいそうだと思い、最大限振動が伝わらない様配慮しながら寝室に入る。静かに閉めた筈の扉の開閉音が予想以上に大きく響き、腕の中の彼女の肩が大きく跳ねた。ぱたん、と音が響けば部屋はまた静寂に包まれる。
ゆっくりと歩を進め、彼女を抱えたままベッドに腰を降ろす。二人分の体重を受け止めたベッドがぎしりと鳴った。漸く力を抜ける様になった筈だが、彼女はまだ俺にしがみついたまま離れない。それどころか、自由に動けるようになったと言わんばかりに俺の首に腕を回して更に身体を密着させてくる。俺の肩に顔を埋めて顔を伏せ、身体を縮める様にして縋りつく。彼女の髪からふわりと微かに甘い香りが漂い、弱々しい吐息が首筋を擽る。身体を支えていた腕を解き、小さな身体を抱き締める。髪を梳いていれば、だんだんとか細い声が彼女から漏れてきた。
囁きの様に細く小さい声を聞き逃さないよう耳に神経を集中させる。だがそれは声というよりも嗚咽に近かった。見れば彼女の肩も震えている。
落ち着かせる様に、藍、と名を呼べば、かい、と返された。首筋から彼女の顔が離れ、ゆるゆると視線を合わせてくる。かち合った彼女の紅い瞳は涙で蠱惑的に濡れていた。

「わすれたい」

声は無く、唇の動きだけでそう言った。忘れたい、よりも考えない様にしたいのだろう。別の感覚に溺れてしまえば他のことに意識を向ける余裕は無くなる。それは一時の逃げだ。けれども彼女には必要なことなのだと思う。

手加減できるか解らない、と言えば別に構わないと言った。寧ろそれくらいでいいとも。だから、と。
緩慢な動作で彼女をベッドに押し倒す。どさりと抵抗なく倒れ込んだ彼女は、潤んだ視線で見上げてきた。

じっとりと汗を掻いて、肌に張り付いたシャツが邪魔だと思った。
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