無言のままの時間が続き、雅が治療を終え「…終わりました」と呟きのような言葉を落とすまで、一度も口を開くことはなかった。双方どちらも、ただの一言も発さず、己の為すべきことを黙々と行い、或いは従うだけで。会話が交わされることはなかった。

「済まない。…助かった」

「いいえ。 これも副官でもある私の役目です。部下が上司のサポートをするのは当たり前でしょう」

「…ああ、」

──また、“それ”か──

ほんの少しだけ眉を顰めたが、直弥は何も言わず小さく息を吐くだけだった。何度か肩を回したり、手を握ったり開いたりを繰り返し、正常に身体が機能することを確認してゆっくり立ち上がる。

「っ、」

やはり、血液が本来の量より不足している所為かふらりと少しふらついた。しかし予測済みであった為、咄嗟に壁に手を着き寄りかかることで前へと倒れ込むことを免れる。身体機能に不備は無いようだが、思考回路はとても頼りない。脳が身体に信号を送ってはいるがそれはほぼ無意識下の話で、行動したいと思うのに、そうはいかず動いて欲しいように機能してくれない。

はぁあ、と重い溜息が自然と漏れる。ち、と舌打ちを小さくして、今度はふらつかないよう気を付けながらしっかり立った。たとえ上司がこんな状態でもやはり雅は手助け等してくれなかった。ただただ無表情で、何もせず直弥を見詰める。鋭く射抜く彼女のその眼光に温度はなく、冷たい。蔑みや侮蔑、嘲笑の類のものではなく、温度そのものが感じられない、そんな。

身体が思い通りに動かないことに直弥は眉間に皺を寄せ、失態を犯した自分と己の身体に酷く苛立った。一切の抵抗をしなかった己の自業自得であるが、だからといってその苛立ちを他人へぶつけたところで何の意味もない。静かに目を閉じ、そっと掌で覆って眉間を軽く揉む。また小さくはぁ、と息を吐き、今は茶色の瞳を開くと、彼は辛うじて聴き取れるほどの声量で、雅に呼び掛けた。

「…雅」

「何でしょう」

「ちょっと、傍に来てくれ」

「…わかりました」

特に拒絶するような素振りも見せず、雅は無言で近付いてくる。そうして腕を伸ばせば触れられる範囲内に来た彼女を、直弥は何の前触れもなく突然に抱き締める。

「な、…」

「隊長命令。大人しくしてくれ。…頼むから」

身長こそ高めではあるものの、華奢で細いその身体に彼の腕が触れ、抱き締められたとき、雅は数瞬じたばたと抵抗しかけた。けれど直弥が何かを堪えるような抑えつけられた声色で言えばすぐに抵抗を止め、今度は無抵抗で上司である男の腕に包まれる。強引で、職権を乱用している手段だと思わなくもないが、自分の腕の中に居てくれる彼女に直弥はほっと安堵の息を吐く。少しだけ無意識に身体に込めていた力を抜くと、怪我をした箇所──正確にはその場所の死覇装から漂う香りに微かに顔を歪めた。

斬られて傷を負った死覇装のところから漂うのは嗅ぎ慣れた血の香りだった。流れた鮮血が布に染み込んで重さを増し、黒光りしてそこだけがべとりと肌に纏わり付いていて不快だった。





無抵抗でされるがままになっていた雅も、ふと鼻先を掠めた香りに小さく眉を寄せていた。肩口に額を押し付けられるような格好で抱き締められているから直弥の表情は知り得ないが、感じ取った僅かに変わった雰囲気に、彼も不快感を覚えたらしいことを知る。しかしそれでも、彼は彼女を抱き締めることを止めず、それどころか更に強く抱き締める始末だ。どうやら直弥は幾ら血に塗れようと、雅を解放する気はないようだった。



どうせここで何か反抗なり抵抗なりをしてみたところで、直弥に抱き締められているというこの状況に変化は訪れない。最初から解りきっていたことではあったが、ああやっぱりかと呆れた。

そうして暫くそのままの状態で居ると、不意に直弥が動きを見せる。ほんの少し俯けていた顔を上げて、懇願するような声音で囁くように話し始める。

「…雅、頼みがある」

「何でしょう」

「急用だ。俺の家に行かないとできないことだ。それに、恐らくお前にだって用がある筈だろ。──だから、」

一緒に実家に来て欲しい。

そう言った直弥に、雅は表にこそ出さなかったが、困惑を覚えずにはいられなかった。
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