※錫也が死んでいます


 息を吸い込むと生暖かく、明け方から降りだした雨のせいで湿気を含んだ重たい空気が肺に入り込んできて苦しい。

 ちょうど5年前の今日、すごく暑い日だったのを覚えている。その日の昼下がりに錫也は死んだ。本当に突然の出来事だった。帰省先で信号無視のトラックに引かれ即死だったらしい。
それから5年も経ってしまった。当然周りの環境は変わった。羊君は論文が学会で認められ各国を飛び回っているし、つい最近哉太はカメラの勉強をする為に海外へ旅立った。けれど私は錫也が居た時のまま進むことも戻ることもできず立ち止まっていた。
 


 今日は朝早くに帰国した哉太を昨日帰国した羊君と空港まで迎えに行った。久しぶり、元気だった?他愛ない会話をぽつぽつと交わしながら空港の駐車場に停めてあるレンタカーに乗り込む。昨日帰国したばっかで疲れてるだろうから私が運転するよと羊君に言ったけど断られた。相変わらず羊君は私に甘い。空港を出てすぐ哉太は疲れていたのだろう、寝てしまった。


「雨、止まないね」
「うん」


空港から錫也が眠っている場所までは4時間かかる。私達の実家から車を約30分走らせた所だ。


「やっぱり途中で運転変わろうか」
「大丈夫だよ」
「でも、羊君も昨日帰国したばっかで疲れてるでしょ」
「これくらいどうってことないよ」


笑う羊君の横顔は昔と変わっていなくて、そんな彼を見たら私もつられて笑ってしまった。私は運転することを諦め暫くぼうっと窓を眺めていたけどいつの間にか眠ってしまった。









「起きて、月子」
「ん……」

 羊君に揺すぶられて目が覚めた。頭が少し痛む。覚醒しきれていない頭を無理矢理起こして車から出れば、目の前には久々に帰ってきた我が家。高校を卒業したあと私は都内の大学に進学したのだ。毎年、今日この日に里帰りをするのが私と哉太と羊君との決まり事となっていた。
それじゃあまた後で、一旦それぞれの家に帰る。寝場所のない羊君は哉太の家に泊まることになっている。久々に見る母は変わっていなかった。


 毎年この日はまず家に帰り、それから錫也が眠っているお墓に手を合わす。そして錫也の家で錫也のおばさんが作ってくれるたくさんの料理を私の家族と哉太の家族、そして羊君とで食べる。おばさんが作る料理の味は錫也が作ってくれたそれと似ていてとても美味しい、だからいつもお腹が痛くなるまで食べてしまう。皆が寂しくないようにと錫也が死んだ翌年からおばさんはご飯を作ってくれるようになったのだ。そうやって5年が過ぎた。


「おーい、花火やらね?」
「花火?」
「うん、さっき哉太と買ってきたんだ」


ほら、と差し出されたのはファミリーパックとかかれた色々な種類の花火が詰まったカラフルな袋。


「うーん、花火かあ」
「なんだお前やらねぇの?」
「悩み中」
「じゃあ、やりたくなったらおいで」


そう言い残して哉太と羊君は庭へ出て行った。
月子ちゃんもやってきたら、その間にスイカ切っとくから。そうおばさんに言われ断る理由も無いので私は二人の後を追って庭へ出た。

「月子見ろよ、二刀流」
「ちょっと!哉太危ないよ」
「そうだよ。火花が彼女に当たったらどうするつもり」


色とりどりの火花を吹き出す花火と楽しそうな二人を見ているとすごく穏やかな気持ちになる。ここに錫也がいたら、なんてことはもう考えなくなった。考えても無駄だから、錫也は一生帰ってこないのだ。それに私が暗い顔をしていると哉太も羊君も心配するから、唯一昔と変わったところと言えば隠したり嘘をつくのが上手くなったことかもしれない。
スイカ切ってきたよ、とおばさんの声が聞こえた。花火のあとに縁側で食べるスイカはとても夏らしい。隣で塩をかけすぎた哉太が羊君のスイカを奪って昔と変わらない喧嘩を繰り広げていて、おばさんと一緒にくすくす笑った。


 スイカを食べたあと少し談笑して我が家に帰った。もう今日は寝るよと母に告げて自室へ向かう。部屋は昔のまま変わっていなくて私を安心させる。ふと視界に入った卒業アルバムをなんとなく手に取り開くとそこには錫也がいた。


「もう寝よう」

開いたばかりのアルバムを元いた場所に押し戻しベッドに潜り込んだ。











不意に目が覚めた。ベッドの横に置いてある目覚まし時計を見ると3時を指している。変な時間に目が覚めちゃった、もう一度寝ようと試みるも目が完全に覚めてしまったらしく寝れそうにない。仕方ないのでベッドからのそのそと這い出てカーテンを開いた。日はまだ昇っておらず、雨はまだしとしとと降り続いている。特にすることもなく窓に寄りかかる形で座り外を眺めていたが、次第にうとうとと睡魔が襲ってきた。




「こんな所で寝てたら風邪引くぞ」



ふと声が聴こえて顔を上げると目の前には錫也がいる。私は驚いて目を見開いたまま固まってしまった。


「お前、変な顔してるぞ」

目の前で笑っている錫也は最後に会った姿でいた。

これは夢なのだろうか、今まで彼の夢をみたことなんてなかったのに。

「隣いいか?」
「え……」

よいしょ、と私の真横に錫也が腰を下ろす。

「どうしたんだ?お化けでも見てるような顔して」
「お化けって……」
「そういや、お前は昔からお化けとか嫌いだったな。夏にやる心霊番組を見た後は哉太とお前が俺にくっついて離れかったよな」
「だって怖かったんだもん」
「ははは」


夢でもいいやと思った。だってやっと錫也に会えたのだから。私は今こうして錫也と会話をしていることが幸せだった。


暫く昔のように会話をした、彼の死については避けたが、一通り喋ったあとに訪れたのは心地好い時間だった。二人の間を流れる沈黙は心が通じ合っているような気になれて、すごく安心出来る。錫也はゆっくりと私の頭を撫でていた。

「眠いのか?」
「……うん」
「そう、なら寝なさい」
「……いや」
「どうして?」
「今寝たらもう二度と錫也に会えなくなる」

頭を撫でていた錫也の手が止まった。どうしたのかと見上げれば錫也と目があった。錫也の目は澄んだ青色で私は好き、けれど目の前にいる彼の瞳はほんの少しだけ陰りを潜ませていた。瞳の奥の青がぐらりと揺れているのが分かる。錫也はそうっと目線を私から外した。


「月子、もう寝なさい」
「いや……」
「ほら、寝なさい」


そう言われた瞬間強烈な睡魔に襲われた。だめ、まだだめ。視界が霞み閉じられていく中で見た錫也はすごく優しく、そして悲しい色で満ちていた。


「す、ずや……」
「ありがとう月子。もう二度とお前の隣にいられないと思ってたから本当に嬉しかったよ」

でももう時間だ、最後に一つだけ俺の願いを聞いて。お前は前に進むんだ、俺はここでずっとお前のことを待ってるから。


――ずっとずっと待ってるから
















「錫也!」

ばっと飛び起きれば既に錫也はいなかった。錫也を引き留めようと伸ばした手が虚しく空を掴む。

今のは夢だったのか。それにしてはやけにリアルだった。錫也の声、頭を撫でられる感覚と感じた安堵。あれは錫也だった、間違いなく私の知る錫也だった。

私が大好きな錫也だった。


「すずや」

錫也が座っていた場所を撫でる。確かにここにいたのだ。

「……っすず、や」


涙が止まらなかった。





朝になって信じてもらえないと思いながらもこの事を哉太と羊君に話した。そしたら二人は、

「きっとそれは本当に錫也が月子の所にやって来たんだよ」
「そうかなあ」
「錫也は心配性だったからな、お前の事が心配で心配でしょうがなかったんじゃねえの」

良かったね、と哉太と羊君が笑った。うんそうだね、私は久しぶりに心から笑った。

その後3日間実家で過ごし私たちは故郷を後にした。





東京へ向かう夜行バスの中、流れ去っていく光を視界に捉えながら錫也に再会した日のことを思い出していた。私も一緒に連れていってくれたらいいのに。錫也のバカ、やっと気持ちの整理がついたのにどうして今さら現れたの。怒りにも似た感情が沸々と沸き上がってくる。今となっては嬉しさよりもそんな感情の方が勝っていた。

ああでも、きっと錫也は私がそう考えてしまうことが分かっていたのかな。だから前に進めなんて言ったのかな。あの時の錫也はとても辛そうだった、錫也も私と離れたくないと思っていたのだろうか。あんな顔をさせたくはなかったと後悔する。錫也はこんな私でも待っていると言ってた。彼はずっと独りで何十年も待ち続けるのだろうか、そう考えると胸が苦しくなる。ならせめて、錫也が何十年も待ってた甲斐のあるような人生を送らなければ。


いつの間にか私は眠っていた。東京に着いたらまだ哉太や羊君のように追える程の夢はないけど、とりあえず何か新しいことを始めてみようと思いながら。

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