人間、非科学的な出来事に直面すると思考が固まるって案外本当なんだなぁと、私はもはや乾いた笑いしか出てこない状況に困惑した。



ここ、どこですか。





私の名前は小波千春。
どこにでもいるような普通の女子高生。

…だったんだけ、ど。何なんだろうこの状況は。
まず、私は今まで通いなれた通学路のスクランブル交差点を歩いていたはずなのに、いつの間にか全く見覚えのない住宅街にいる。
次に、世界を見回す視界の高さが、普段の目線よりもなぜかぐんと低い気がする。かといって、別に座り込んでいるわけではない。私はちゃんと二本の足で立っている。さらに追い討ちをかけるように、見下ろした手のひらはふくふくしてすごいちっちゃかった。


……おい、これまさかまさかのあれですか。ドリーマーお約束の幼児化トリップとか言うやつですか。………いやいやそんな馬鹿な!!!!

これは夢だ、多分私学校についてそのまま机で寝ちゃったんだな、記憶無いだけで多分きっとそうなんだな、うん!つまりこれは夢だ幻だ幻覚だ!!



「だから早く目ぇ覚めてくれ」



記憶よりもずいぶんと短くなった自分の髪ごとガシガシと頭を掻きながら舌打ちする。
ああ、もう全く訳がわからない。これは夢だと、そう思いたいのに。なのに、これは紛れもなく“現実”だと。私の五感がそう叫んでいる。ああ、ああもう!!!

いっそ癇癪を起こして喚けたら、暴れられたら、泣き叫べたら楽だったのだろうか。でも、それをするには私の精神は成長し過ぎている。見た目は子供、頭脳は大人!どこの名探偵ですか、ほんとに。



ぽつ、



「…あ?」



不意に、頬に何かが当たった。
手を当ててみると、それは水で。空を見上げてよく目を凝らせば、ぽつ、ぽつと青い空から落ちてくる小さな小さな雫が見えた。…………晴れてるのに、雨だなんて。何処かで狐が嫁入りでもしたのかなあ、なんて、幼い頃母に聞いた話を思い出す。



「母、さん」



視界が、僅かに歪んだ。目の中に雨粒が入ったからだけじゃ、ない。
ゆらゆら、ゆらゆら。視界がぼやけて、揺れる。
最初はぽつぽつだった雨は、しとしととゆっくり降らす粒の量を増やし、乾いたアスファルトにどんどん濃い染みを作っていく。
肌にいくつも冷たい雫が落ちる。服が、髪が濡れて、少しずつ重さを増していく。



――――あぁ、夢じゃない。



目尻を伝った雨粒とは違う熱い温度に、私は漸く、心の底からそれを実感した。


違う、違う。ここは夢じゃない。じゃあ、ここは何処?
私の家は、私が生まれ育った町は何処にいったの?
母さんは、父さんは、弟は?みんな、何処に行ったの?
私は何で、こんな姿になってるの?


夢じゃないって、それはわかった。
でも、それだけ。わかったのは、それだけ。まだ疑問は私の胸の内を占めて消えてはくれない。


喚くことも、

暴れることも、

泣き叫ぶことも、

その何れも出来ない不安定な私は、



ただ、雨に打たれながら静かに涙を流すことしか出来なかった。



























どのくらい、そうしていただろうか。
雨はまだ止まず、なのに空は青い。私の涙は、雨と混ざってわからない。道路の真ん中に立ち尽くし、ただ雨に打たれ空を見上げていた私に、それは突然訪れた。



「――――どうしたの?」



スッ、と私の体が黒い影に覆われ、冷えきった雨粒が肌を叩く感触が消え去った。
見えたのは、空の青じゃなくて―――――光に透ける、赤。



「迷子、かな?」



私の耳に入ってくる、穏やかで優しい声。
私は気だるげに、その声の方を振り向いた。



「お母さんと、はぐれちゃった?」



そう言って、“彼”は大きな紫色の瞳を優しげに細めた。
お母さん。その言葉で私の瞳から、また一筋涙が落ちる。
ああ、止めてよ。雨が落ちてきてくれないから、涙が誤魔化せないじゃないか。
ああ、けれど。この人を見た瞬間、私の絶望は確定に変わってしまった。
もう、逃げられない。もう、わかってしまった。ここは、この“世界(場所)”は…………


私の涙を見て驚いたように目を見開くその人を見つめながら、私はゆるゆると首を振る。



「………母さん、いない」

「え…?」

「父さんも、弟も、ここには…誰も、いない……」



つぅ、とまた涙が落ちる。



「………どうすれば、良いんだろう…」



母さんも、父さんも、弟も、誰も“ここ”にはいない。
私は今、―――――独りぼっちなんだ。


ぱらぱらと、私と空の間にある真っ赤な傘に、雨粒が落ちる音がする。私の言葉に、その人は眉をハの字にした。

……………どうして、



「どうして…」

「え…?」

「どうして、貴方が泣きそうなの…?」



―――“彼”の顔は、今にも泣き出してしまいそうなくらい悲しげなものだった。

変なの。貴方が泣く理由なんて、ないのに。
私は、記憶の中よりも随分小さくなってしまった両手をのばし、そっと“彼”の頬に当てた。
手の大きさの関係で包み込むように、とまではいかないけれど、それでも出来るだけ、優しく。



「貴方は、やさしいね」

「……君も、すごく優しい子なんだね」



泣きそうな顔で微笑み、その人は頬に当てられた私の手に右手を重ねた。



「……ねぇ、君」

「…?」

「行くところが無いなら、…うちに来ない?」

「え…………?」



私は驚き、大きく目を見開いた。



「うちには、ママとじーちゃんしかいないし……それに、ずっとこんなところにいたら、風邪ひいちゃうでしょ?君さえ良ければ、だけど」



そう言いつつも、“彼”の手は既に私の手を掴んでいた。
その掌が、やけに熱く感じたのは、私の体が冷えきっていたせいなのだろうか。



「ボクの“家族”に、ならないかい?」



今しがた出会ったばかりの初対面の私に対し、いきなりこんな提案をしてくるなんて。いくら“彼”がお人好しでも、正気とは思えない。

けれど…突然訳のわからない場所に放り出され、知り合いもいないなんて漫画みたいな展開を実体験してしまった今の私も、相当精神的に参っていたようで。

その言葉に、その微笑みに、その温もりに――――とうとう私は、くしゃりと顔を歪ませた。ぽろぽろ、ぽろぽろと、新しい涙が頬を伝う。真っ赤な傘が雨をさえぎっているせいで、もう私の涙をごまかしてくれるものはなにもない。
私はしゃくり声を上げて泣きながら、“彼”の手をぎゅっと握り返した。熱い。彼の温度が、じんわりと私の手に伝わってくる。

“彼”が微笑む。



「ボクは、武藤遊戯。…君の名前を、教えてくれないかな」











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