――――言葉を、失った。
一面に広がる砂の海、青い空、乾いた風。
それらを目にした瞬間、僕はその場から動けなくなった。まるで、足が地面に縫い付けられてしまったかのようだ。
「あ………」
ぎゅ、と胸の前で手を握り締める。
初めて見た、はずなのに。なんなん、だろう。この感覚は………。
「哀しいのか」
「…!」
ふと、背後から声がした。
ハッとして肩越しに振り向くと、すらりと背の高い男の人が立っている。
黒く縁取られた瞳、褐色の肌。白い布を体に巻きつけたその人は、凪いだ静かな瞳で僕のことを見下ろしている。
「……哀しい?どうして」
「泣いている」
「え…?」
言われて、初めて頬に伝う雫に気がついた。
指先で触れれば、確かに濡れている。泣いている?僕が?どうして?
「…わか、らない」
「………………」
「なんで、僕は泣いてるんだろう」
そっと、涙を拭ってみる。
けれどそれは、あとからあとからとめどなく流れて止まろうとしない。
嗚咽が漏れているわけじゃない。顔が歪んでいるわけでもない。ただ、静かに。静かに静かに、涙が溢れて止まらない。
「どうして、僕が泣いているんだろう。哀しい、の?どうして…?」
顔を前に戻す。
見渡す限りの砂、空、風。
とめどなく溢れて落ちる、涙。この景色を見ていると、何故だろう。胸が張り裂けそうだ。胸の中に、言葉では言い表せないような想いが溢れて、廻る。
どうして、だろう。僕は、ここに来るのは初めてのはずなのに。
涙が、胸が、心が、魂が、叫ぶ。
「 アテム 」「ここは……始まりの地」
ぽつり、と呟くように僕は言った。
「ここは…全ての、始まりの場所……そして、長い戦いが…終わる場所……」
零れ落ちた涙が、乾いた風にさらわれて青空の中に散る。
きらりと光った涙の雫は、まるで朝露のようで。素直に、美しいと思った。
「だから、僕は泣いているの…?いずれ始まる物語………光の中へ完結する物語………その未来を、結末を、僕は…………」
そっと、空を仰ぐ。
青い空に浮かぶ、大きく輝く命の光輝。
また、涙がこぼれた。
「……太、陽…」
その光に触れようとするかのように、僕はゆっくりと空に向かって両手を伸ばす。
震える唇が、力なく小さく動いた。
「 」
叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。
この身が、心が、魂が、叫ぶ。声が張り裂けんばかりに叫びたいと思うのに、唇からこぼれるのは小さな小さな言葉だけ。
ああ、なんともどかしい。
「…………………ぃ」
視界が、歪む。
「…………し、い……」
砂の国の風が、髪を揺らす。
「……い…の…………」
金糸が、風に舞う。
「いとしい、の」
ああ、こんなにも、この想いは。
「…異国の少女、よ」
「…?」
男の人が、静かに僕を呼んだ。
僕はゆっくりと手を下ろし、彼を振り向く。
いつの間にか、彼は僕のすぐ目の前にいた。
「これを――――」
彼が、そっと僕の前に跪く。そして懐から、なにやら白い布に包まれた、人の顔くらいの大きさがあるものを取り出した。
「これを、お前に――――否、貴女に」
「これは…?」
「いずれ、貴女に必要なものとなりましょう」
僕の手にそれを持たせ、男の人はそのまま深々と頭を下げる。
僕はぼんやりとそれを眺めていた。
「その穢れなき清らかな涙を拭うのは、私の役目ではない」
跪いたまま、頭を下げたまま、彼はまるで物語を呼んでいるかのような、心地のいい声で言葉を紡ぐ。
「その涙を拭うのは、触れることを赦されたのは、この世でたった一つの魂のみ―――――」
ふわり、と温かな風が吹く。それはまるで僕を包み込むかのような、とても暖かくて、優しいもの。まるで陽だまりに抱かれているかのような――――
またひとつ、雫がこぼれて落ちた。
「貴女の魂に、幸福があらんことを――――」
ふ、と瞬きをする。
再び瞳を開いたそこには、もう誰の姿もなかった。
それはまるで、白昼夢。
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