「ふふ、ジュダル君、大分上手に焼けるようになったよねえ、目玉焼き。」
「誰かさんが煩く焦げ指摘して来るからな。つか今更?」
「うん、意外と気付かないもんだね。いただきまーす。」
なんてことない、何処にでもあるような朝の光景だ。
なのに世間一般に言えば、僕等は可哀想な子供の部類に入ってしまうらしい。
三歳の頃から孤児院で育ったため、親の顔はもう覚えていない。ありきたりな家庭の事情ってやつで、僕達は捨てられたのだ。けれど、僕自身はこの境遇を不幸に思ったことはなかった。
神様は乗り越えられる試練しか与えないとか何とか言うし、実際それなりに上手くやっていけてる、こうやって逞しく生きてる。
それに、ジュダル君が一緒にいる。それが僕の何よりの支えになってくれていた。
「お前昨日何時に帰って来たの?」
「うーん、10時過ぎ?…あ、ごめんね?晩ご飯用意し忘れちゃった。」
「べっつにぃ?ふりかけあったんでいーですぅ。」
「あはは、ごめんって。でも寝るの早かったんだね。」
「腹減ったから飯食って横になったら、いつの間にか朝になってたんだよ。」
そう言う彼の黒髪はしっとりと濡れていて、朝シャワーを浴びた後に髪を乾かしていないことが判った。
彼、ジュダル君は、僕の双子の弟だ。
といっても二卵性だから、顔の造りも結構違うし、性格や雰囲気も全然似てなくて。「本当に兄弟?」と言われることも少なくない。
僕達の孤児院には人が多かったし、何よりお金が無かった。だから少し早かったけど、僕とジュダル君は中学を卒業してすぐ施設を出た。
あそこにいるのは嫌じゃなかったし、院長さん達もまだいてもいいんだと言ってくれていた。
でもだからこそ、迷惑はかけたくなかった。
施設を出るのは、当初僕一人の予定だったんだけど、ジュダル君は僕に賛同して一緒に行くと言ってくれた。あの時は、凄く嬉しかったことを覚えている。
そんなわけで、今は安めのアパートを借りて、こうして二人暮らしをしている。
多少通学時間がかかるため、バイトがある日には昨日みたいに遅くなるけれど、狭いながらにそれぞれの個人部屋もあるし、文句は無い。
「…何にこにこしてんだよ?」
「んー?…えへへ。幸せを噛み締めてた。」
「はぁ?何だよそれ、気持ち悪ぃ。」
そう言いつつ、ジュダル君も少し笑ってた。
生きてれば当然辛いこともあるけど、僕は僕の毎日に満足していた。
学校があって、友達がいて、家があって、ジュダル君がいて。
そんな"日常"が、僕は幸せだった。
「髪、乾かしなよ。シャツ濡れちゃうよ?」
「あー、はいはい。」
時計を見れば、そろそろ出なければならない時間だった。
「じゃあジュダル君、ちゃんと出る時鍵締めてよね?」
「わーってるよ、しつけーなぁ。」
「しつこく言ってもきかないからでしょ!じゃあ、行って来まーす。」
「いってら。」
アパートを出るのは、いつも僕が先だ。
その理由は勿論、僕の通っている高校の方が距離的に時間がかかるからだ。
僕達二人の通ってる学校は違う。
僕は中学から勉強を頑張って、奨学金を貰って有名私立への入学を果たしたんだけれど、ジュダル君はそうじゃない。
元々、ジュダル君は中学を上がったら働くつもりだったらしい。でもある人の勧めで、半ば強引に高校進学をしたのだ。
1月の末から受験勉強を始めたのに、第一志望に合格するなんて。つくづくやればできる子なのになぁと思う。
アパートの階段を降りれば、そこには見慣れた車が停まっていた。
「やあ、おはようアラジン!」
「あれ、おじさん!?」
おじさんは自分の車に寄りかかって煙草を吸っていた。
「おはようおじさん。今日早いんだね?ジュダル君呼んで来ようか?」
「いや、今電話したよ。アラジンも乗りなさい、駅まで送るよ。」
「本当?ありがとうおじさん。」
今までに何度もあったことなので、僕はお礼もそこそこに車の後部座席に乗り込んだ。
シンドバッドおじさんはジュダル君の学校で教師として働いてるから、ついでだと言ってジュダル君は毎朝おじさんの車に乗せてもらい学校に登校している。帰りの時間は合わないから、下校は電車を使ってるらしい。
「早ぇよ!こーゆー時は前から言えつってるよな!?」
荒々しく助手席の扉を閉めたジュダル君は、そう言ってネクタイを締めていた。
「はは、悪かったよ。」
おじさんは携帯灰皿に煙草を詰めると、運転席に車を発車させた。
おじさんと言っても、実際僕等と血が繋がっているわけではない。それにまだギリギリ20代なので、おじさんよりはお兄さんと呼んだ方が合っている。
…僕達の関係を簡単に言ってしまえば、やけに親切にしてくれる近所のお兄さんというのが一番近いかもしれない。
ああ、ジュダル君は先生と生徒ってのも当て嵌まるか。
僕とシンドバッドおじさんが初めて会ったのは、僕が4つの頃だった。
当時、おじさんは僕等がいた孤児院の近くに住んでいて、たまに施設の手伝いにや小さい子の遊び相手になりに来てくれていた。
後々聞けば、その時に施設にいたお姉さんが目当てで来ていたらしいけど。
ともかく、明るくて一緒にいて面白いお兄ちゃんは、僕を含め子供達に大人気だった。
ただ一人、ジュダル君だけは、お兄ちゃんのことをよく思ってなかったみたいだった。
…ジュダル君は、あまり他の子と遊んだりはしない子供だった。
多分親に捨てられたことが影響してたんだと思うけど、いつも周りと距離をとっているというか…なんていうか、僕以外の人間とあまり親しくすることはしなかった。
そんなジュダル君の性格も、歳を重ねるにつれて大分マシになっていく。そしてそのきっかけを作ったのが、お兄ちゃん…シンドバッドおじさんだった。
ある日僕は二階の窓から、久しぶりに施設にやって来たお兄ちゃんがにこやかに院長先生と話しをしているのを見つけた。
僕は嬉しくて、
「あ、お兄ちゃんだぁ!」
と部屋を出ようとすると、ジュダル君は僕の手を掴んで、
「アラジン、あいつに近づくとヘンタイがうつるぞ!」
なんて言って、僕を放してくれなかった。
僕も皆と一緒になってお兄ちゃんと遊びたかったけれど、行くな行くなと、今にも泣いてしまいそうな弟を放って行くことは出来なかった。
いつも真っ先に飛んでくる僕の姿が見えないことを不思議に思ったのか、お兄ちゃんは僕のことを探しに来てくれた。
「アラジン!なんだこんなところにいたのか。…その子は?」
「ジュダルくんだよ!」
院長先生からでも聞いていたのか、名前を聞いて、彼はこの黒髪の少年が僕の弟だということを悟ったようだった。
「はは、そうか、君がジュダルか。」
僕としては二人一緒に構ってもらえると凄く嬉しかったのだけれど、ジュダル君は僕を庇うように立ち上がり、
「アラジンに近づくなよおっさん!!」
「おっさ…!?」
まだ十代の、しかも制服を来た若者に言う言葉じゃない。子供の少ないボキャブラリーでは、それが相手を貶す精一杯の単語だったのだろう。ジュダル君とシンドバッドおじさんとのファーストコンタクトは、そんな感じだった。
でもそんなジュダル君だからこそ、お兄ちゃんは放っておけなかったのだろう。
輪から離れた場所にいるジュダル君を、彼はとても気に掛けた。
拒絶されても根気よく付き合い、次第にジュダル君も心を開いていった。
懐かれたのを自覚した時は嬉しかったと、以前話を聞いたことがある。
恥ずかしかったのか、ジュダル君は彼のことをお兄ちゃんではなくおじさんと呼び、僕にもそれを強要してきた。
最初はふざけ半分だったけど、いつだったか僕が
「お兄ちゃんが、本当にぼくたちの"叔父さん"だったらよかったのになあ…。」
と呟いたのに対し、
「アラジン……くっ、よし、今日から俺はお前達の叔父さんだ!!」
と、嬉しそうに僕を抱き締めたことから、彼に対するおじさん呼びは定着してしまった。
…僕達が施設を出ると聞いた時、おじさんは凄く驚いていた。
そうか、もうそんなに大きくなったのか。って、喜び半分、少し寂しそうだった。
「はい、着いたよアラジン。いってらっしゃい。」
「うん、行って来ます。ジュダル君、今日はちゃんとご飯作って待ってるからね。」
「ん。」
僕は遠ざかる車を見送り、歩きながら時間を確認した。
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