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時は数刻程前に遡る。
街から宮殿へと帰り、俺が部屋に戻る廊下での出来事だった。
先のジュダルの件についてだろう、ジャーファルは少し部下と話してくると言って、俺の側を離れていた。
「シンドバッドおじさん。」
振り向けば、そこにはアラジンが一人立っていた。
「どうしたんだい、アラジン?」
こちらを見上げる蒼い双玉に笑いかける。
おそらく、こちらもその話題についてだろう。…アラジンは以前、あのバルバッドの件で彼のジン、もとい、大切な友人を失っている。偉大なるマギとはいえ、まだアラジンは年端のいかない子供だ。心に負った傷も相当深かったようだし、もしかしたら再びあの時のショックを思い出しているのかもしれない。
「大丈夫だ、アラジン。何も心配はいらないよ。」
俺も今は、こうして金属器を身に付けていることだしな!そう言って、安心させてやろうとターバンに包まれた小さな頭を撫でた。
けれどどうも俺の予想は大いに外れていたようで。
「え?、あ、そうじゃなくてね?、おじさん。」
と、やんわりと手を払われてしまった。うん、おじさん軽く傷ついちゃったぞ今のは。
「あの人のこと……僕に任せてほしいんだ。」
あの人、とは、誰と聞かなくても答えは分かった。
「…君が戦うつもりなのか?」
杖を握る小さな体に問い掛けた。
ヤムライハの話によれば、アラジンの魔法は成長したらしい。しかしまだこの少年の力では、ジュダルには遠く及ばない。バルバッドでの借りを返すと言ったのであれば、俺は力付くでも彼を止めていた。だが、彼の答えは違った。
「違うよ、おじさん。戦わない。僕はね、あの人を助けたいんだ。」
「助けたい?……。」
「分かるんだ。ルフが泣いてる。」
俺は最初、彼の言っている意味が分からなかった。
しかしその訴えるような視線から、俺は目が逸らせなかった。
ルフが泣いてる?泣きそうなのは君の方じゃないか。
「迷ってるんだ。自覚がないままに、迷子になって、帰り道さえ分からなくなってしまっている。」
迷子とは、簡単な比喩表現だ。物理的な意味ではなく、精神的な意味での迷子。
「誰かが手を差し伸べて、導いてあげなきゃならないんだ。運命を呪ったままでいるのは、とても辛くて、酷く哀しいことだから…。だからね、おじさん…」
ここで彼の提案を断ってしまったら、俺は残酷な大人なのだろうか。いや、一国の主として冷静に考えたなら、ここで頷くべきではなかった。ジャーファルにも散々言われるに決まっている。
「……分かった。君に協力しよう。」
しかし俺は、この時の答えを間違っていたとは思いたくない。
俺の言葉を聞いたアラジンの笑顔に、その思いは一層強まった。
「だが、もしジュダルが君に危害を加えることがあったなら、俺は君の身を守るために攻撃を厭わない。奴がこの国にとって危険な存在であることにも、変わりはない。」
深く心に念じておくようにと言い聞かせたつもりだったのだが、アラジンの笑顔が一瞬でも曇ることはなかった。
「大丈夫だよおじさん、何も心配いらないから。」
先の言葉を返し、屈託の無い無邪気な笑顔を浮かべたアラジン。けれどどこか儚さを持ち合わせたそれに対し、俺の心は複雑に揺れた。
「はは、言い返されてしまったね。」
行って来ますと走り出した背中を見ながら、俺は自嘲的な笑みを浮かべた。
「……君の身を守るために、か。」
果たしてそれは、本心からあの少年の命を守る為の言葉か。
それとも、"この国のマギ"の存在を保守せんが為の言葉だったのか。
前者であると、胸を張って言うことができたのなら、どんなに楽だっただろう。
あの少年が向かって行った、黒い青年に対してもそうだ。少年は彼を救うと言っていたが、自分はまず"組織"からマギを奪うメリットを先に考えてしまった。そしてあわよくば、こちら側に迎え入れ、力になってはくれないだろうかということを。
そうだ、"力"は多い方がいい。
この世界を守るために。
「はぁ……ずるい大人だな、俺は。」
ああ、こんな気分の時は酒に限るな。
飲んで忘れてしまおう。
*
「真面目に話を聞いて下さいシン!!」
「だからあ、何もお前達が出る必要は無いんだって。」
その後、俺は酒を片手にジャーファルの話を聞いていた。
「この件はアラジンに任せておけ。」
「っ…彼の言い分は解りました、しかしそれはあまりに危険な賭けです。あの笛にジンがいない今、アラジンはジュダルに対抗する術を持っていない。…シン、いくらアラジンが偉大なる魔法使いであるとはいえ、まだ子供だということをお忘れではないでしょう?」
その言葉に、ジャーファルの心中は敵を討つことよりも、友人の身を案じる考えに切り替わったことが聞いてとれた。
「ああ。……だがなジャーファル、俺はその"子供"と約束をしてしまったのだよ。」
大人が、況してや一国の王様が、子供との約束一つ守れないでなんとする。
そう言って笑えば、ジャーファルは何時にも増して盛大なため息をついていた。
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