人魚姫


輝く月が



漆黒の海を照らしている



いつものお気に入りの岩にもたれかかって






人魚姫は王子様に恋をしました・・・


















人所姫は運命なんて信じていませんでした・・・


ただ外の世界に憧れていたのです。


恋や愛より好奇心が勝っていた、まだまだ幼い少女だった人魚姫。


そんな人魚姫を変えたのは、ある月夜の晩の出来事でした。





その日は歳の離れた姉達が月に一度城に帰ってくる日でした。


他の国に嫁いでいった姉達から、年頃の人魚姫に結婚の話が出てきたのは極自然のことだったのかもしれません。


それでも人魚姫は、紹介されるどの男性とも会おうという気にはなれませんでした。


その時の人魚姫にとっては、結婚相手よりも夜空に輝く月の方が魅力的だったのです。






そんな人魚姫は、夜中になるといつも城を抜け出して月を見に行きます。


月を見ている間だけは自分が一国の姫である事も、狭い世界の中で暮らしている事も忘れる事ができたからです。


しかしその日、人魚姫ははじめて人間の男性と出逢ったのです。


大きな船から輝く月を見つめているその目と髪は、人魚姫が今までに見てきたどの月よりも綺麗な金色をしていました。


人魚姫はただ岩陰に隠れてその男性を見つめていました。







胸が熱い・・・






こんな想いをしたのは生まれて初めてでした。


人魚姫はその晩ずっとその男性を見つめ続けていました。



そして、その男性がエドワード・エルリックという名だという事・・・


近くの国の王子で、近いうちに妃を選ばなければならないという事・・・


しかし、王子があまり乗り気ではないという事・・・






人魚姫の想いはますますこの王子へと向かっていきました。


似たような境遇で、それでも未来をしっかりと見据える王子の目に惹かれたのです。


運命を信じていなかった人魚姫が、初めて月以外に魅力を感じた人。


ですから初めて抱いた思いを胸に、人魚姫が国の果てにいる魔女の元を訪ねたのは仕方がなかったことなのかもしれません・・・
















「私を人間にして・・・・あの人と同じ人間にして下さい!!人間になるためなら何を失ったってかまわない」



人魚姫は必死になって魔女に頼みました。


すると魔女はその黒く長い髪をサラリと手で後ろへと払い、艶やかに微笑んで答えました。




「じゃあ人魚姫、人間にしてあげる代わりにその綺麗な声を私にくれないかしら?」




魔女の言葉に人魚姫は戸惑いました。


しかし魔女は続けてこういうのです。




「愛する王子と同じ人間になれるのよ?声で同等な代価になると思わない?」




魔女のその言葉に、人魚姫は暫らく迷った後静かに頷きました。


魔女は人魚姫に気づかれないように小さく笑った後、小さな小瓶を取り出してその中に人魚姫の声を閉じ込めてしまいました。



声が出なくなった事に戸惑う人魚姫に、魔女は「あぁ、そう言えば・・・」と今頃思い出したかのようなフリをして口を開きました。




「王子があなた以外の誰かとキスをすると、魔法は解けてあなたは泡になって消えてしまうわよ」



人魚姫は目を見開いて驚きました。


しかし、魔女は人魚姫の事など気にせずに話を続けます。




「その代り、あなたが王子と両思いになってキスをする事ができたらこの声は返してあげるわ」



そう言って魔女が笑い始めたとき、人魚姫の意識は唐突に薄れてきました。






「さようなら、人魚のお姫様」



その魔女の言葉を最期に、人魚姫は完全に意識を手放してしまいました・・・


















「おい、おまえ大丈夫か?」



意識が戻ると、そこにはもう魔女はいませんでした。


しかしその代りに、人魚姫の目の前にはあの王子がいたのです。


人魚姫は驚いてとっさに身を起こそうとしました。


しかしそれを王子が肩を押さえる事で止めます。




「無理すんなって!おまえ海辺で倒れてたんだぞ?覚えてるか?

医者に見てもらって怪我とかはどこにもねぇ〜みてーだけど、まだ無理しねー方がいいぞ?」



王子の言葉に、人魚姫はただ頷く事しかできませんでした。


たとえ声が取られていなかったとしても、胸がいっぱいで何も言えなかったでしょう。


それほど人魚姫は嬉しかったのです。


ただ見つめる事しかできなかった相手が自分の目を見て、自分に話しかけてくれている。


そして自分の身を案じてくれている。



これを喜ばない女性がいるでしょうか?





しかし王子はそんな人魚姫の様子に気づかずに口を開きます。



「とりあえず、家族とかに連絡しといた方がいいだろ?連絡先どこだ?つーか名前なんていうんだ?」



人魚姫はとっさに口を開き答えようとしました。


しかし口からはあの美しい声は出てきません。


人魚姫の表情に一気に悲しみが広がりました。






(せっかく目の前にいるのに・・・私は自分の名前すら教えることができないの?)




王子は人魚姫の様子に首を傾げました。


ですが人魚姫の表情を違う意味で解釈したのか「あぁ」と呟いた後、ニッと笑って口を開きます。




「そういや、俺の自己紹介もまだだったな。俺はエドワード・エルリック。エドでいいぜ?

いちおうこの国の王子やってっから間違っても怪しい奴じゃねぇから安心しろ」


そう言って悪戯っぽく笑う王子を見て、人魚姫も微かに笑いました。


しかし、目の前の問題は消えていません。


どうやって王子に伝えればいいのか・・・


人魚姫は何度も口を開いては、その度に声の出ないことに絶望しました。





人魚姫の様子に不審そうな顔をし始めていた王子も、喉を押さえて俯く人魚姫にハッとして口を開きました。



「おまえもしかして声が出ねぇ〜のか?!」




王子の言葉に、人魚姫はバッと顔をあげて勢いよく頷きました。


すると王子は暫らく考えた後、部屋の隅にあった机から紙とペンを持ってきました。


そしてそれを人魚姫に差し出しながら口を開きます。





「わり〜な、すぐ気づいてやれなくて・・・これに書いてくれるか?」




人魚姫は王子の言葉に胸が温かくなるのを感じながらも紙とペンを受け取りました。


そして紙にペンを走らせます。




『私の名前は マイ って言います。』




人魚姫は極親しい、それこそ家族の間でしか呼ばれない自分の本当の名前を書き記し王子に見せました。


その他に連絡先などは覚えていない事、自分の名前しか分からない旨を伝えました。


王子は親身になって人魚姫の書き出す言葉に反応してくれました。


そして記憶が戻るまでの間、人魚姫は城の一室に住まわせてもらえる事になったのです。




















それからの1ヶ月はまさに夢のような日々でした。


どこの誰だかも分からない人魚姫に、王子は本当に気兼ねなく接しました。


そして人魚姫の王子に対する想いは日に日に強まっていきました。


また、王子も素直で明るい人魚姫に少しずつ想いを寄せていったのです。









しかしそれから更に数週間後、事態は一変してしまいました。


国王が王子の結婚相手を無理やり決めてしまったのです。


いつまでもハッキリした態度を示さない王子に業を煮やしたのか、それともどこの馬の骨か分からない女ばかりに構っていることに対しての不満からの行動なのか・・・



どちらにしろその時の王子には分かりませんでした。



ただ分かったのは、国王らしくない行動だという事だけでした。




今までなら、こんな強制的な行動に出る前に王子と意見を交わしていた国王。


しかし今回は王子に何も言わずに勝手に決めてしまったのです。





王子はその事に対する不満と、結婚相手は自分で決める旨を伝えに国王の元に急ぎました。



しかし、国王の言葉は耳を疑うものでした。




「お前が構っている少女・・・どこぞの国のスパイかもしれぬぞ?わしはお前を心配しているのだ・・・

この結婚に承諾しないのならば、あの少女をこの城から追い出すまでだ。わしが言いたい事は分かるな?」




王子が何を言い返しても、国王は耳を傾けてはくれませんでした。


それどころか、王子がそんな事を言うのはあの少女のせいかと激しい剣幕で怒り出しもしました。


王子はグッと言葉を飲み込んでその場を後にしました。










それから数日後の事です。


王子の結婚話が国中に広まっていったのは・・・


















(エド・・・どうして?)



人魚姫の瞳からは涙が次々と溢れてきました。


悲しみが心を覆って、もう何もする気になれませんでした。


結婚が決まってから、王子は一度も人魚姫の部屋に顔を出すことはありませんでした。





自分以外の誰かに想いを寄せているのだろうか?


もう自分の事なんてどうでもいいのだろうか?




そう考えるだけで、人魚姫の胸は張り裂けそうでした。







「おまえよく海見てるな。好きなのか?」


「今日は午前中はずっと暇なんだ。浜辺に行かないか?この前、海好きだって言ってただろ?」


「はぁ?お前船乗ったことねぇ〜のか?!しかたねぇーな、今度俺が乗せてやるよ」


「お前絶対天然だろ?たくっ・・・ほんと見てて飽きねぇ〜よ!」


「月見るの好きなのか?俺も好きなんだぜ。なんつーか見てると自分が王子っつーことやこの狭い世界で生きてること忘れられるんだ・・・」



「・・・俺、 マイ といるとすっげー落ち着くよ」





城に来てからの思い出が人魚姫の頭を過ぎていきました。



王子の言葉一つ一つが・・・

王子の笑顔一つ一つが・・・

王子の思いやり一つ一つが・・・



どれも人魚姫の心を掴んで離しませんでした。


こんなに想いを寄せているのに王子は違う女を見ている。


人魚姫の瞳からまた新しい涙が溢れてきました。











するとその時・・・


コンコンッ


人魚姫の部屋のドアをノックする音が響きました。


人魚姫は顔をあげてドアの方を振り向きました。



エドではない・・・


それだけはすぐに分かりました。


王子はノックをすると、その後何かしら安心させるように声をかけてくれるのです。


それにノックの音も、王子のものに比べると数段小さく上品っぽいものでした。





人魚姫が訝しげな表情をしていると、ドアが静かに開かれました。




「久しぶりね、人魚姫」



人魚姫は声を聞くなり、目を見開きました。


その声は紛れも無く、国で一番美しいとまで言われた自分の声だったのです。


そしてその声を発したのは、黒く長い髪を持つ少女。


人魚姫は、瞬時にその少女があの魔女が変身した姿であると分かりました。






どうしてあなたがここに?





人魚姫の目は不安そうに揺るぎました。


しかし対する魔女は実に楽しそうに笑うのです。





「可哀想な人魚姫。声を差し出してしまうほど愛していた王子に見向きもされなかったなんて・・・」


人魚姫の心は魔女の言葉に深く傷つきました。




「所詮王子にとって、あなたはただの暇つぶしの道具程度だったのかしらね」



聞きたくない・・・



人魚姫は涙で潤んだ目をそのままに、両手で必死に耳を押さえました。


しかし、どんなに強く耳を塞いでも魔女の声はダイレクトに耳に届くのです。




「本当に可哀想な人魚姫。そんな哀れなあなたにこれをあげるわ。」



魔女はそう言うと、人魚姫の目の前に鋭く光る短剣を差し出しました。


それは吸い込まれそうなほどよく研がれている鋭いものでした。


魔女は怪しく微笑みながら言うのです。



「これであの王子を殺してしまえば、あなたは泡になって消えなくてもすむのよ」



魔女の言葉に、人魚姫はその短剣を思わず凝視してしまいました。


人魚姫のその様子に、魔女はさらに可笑しそうに口元を吊り上げました。


そして半ば呆然としている人魚姫に優しく短剣を握らせました。






「綺麗で素敵な人魚姫。あなたはやっぱり海の中でこそその魅力を充分と引き出せるのよ。

・・・あなたにはそんな足似合わないわ。もちろんあの王子もね」



魔女はそれだけ言うと、人魚姫の頬に優しく口付けました。


それはまるで涙を舐めとるように・・・


しかし人魚姫の頭の中はもう真っ白でただ短剣を握り締める事しかできませんでした。


魔女はそんな人魚姫の様子に満足そうに微笑むと、静かに部屋を後にしました。
















魔女が部屋を出てゆっくりと廊下を歩いていると、王子の身の回りの世話をする男と出会いました。



「これは姫様。今日は王子との式の打ち合わせですか。」



男は魔女を見て、にこやかに話しかけてきました。


魔女は人魚姫の声で答えます。




「えぇ。これからお部屋にお邪魔するところなの。

・・・王子様が私との結婚を決意してくださって本当に幸せですわ。」



魔女はそう言うと、軽く会釈をして王子のところに向かいました。


その表情は実に楽しそうに微笑みながら・・・・・



そして心の中で感謝するのです。


国王に変身して、王子に人魚姫に近づくなと遠まわしに言った仲間を・・・



そして心の中で嘲笑うのです。


手の上で踊らされているとも知らない、哀れな幼いお姫様を・・・



















(これを使えば・・・)



人魚姫は魔女に握らされた短剣を離す事ができませんでした。



(これを使えば、私はまた海の世界に戻れる・・・)


自分を振り向いてくれない男の傍にいるよりも、家族のいる海の世界へ・・・


そして、何より・・・




(他の女を愛するエドの傍にいたくない・・・)


人魚姫は胸が締め付けられる想いに苦しみました。



そしてまだ幼い人魚姫には、その想いをどうしたらいいのか分かりませんでした。


頭の中に繰り返されるのは魔女の言葉だけ・・・


人魚姫は短剣を見つめた後、静かにギュッと握り締めました。










そしてその夜・・・・


・・・・・・・・・・・・・人魚姫は短剣を握り締めて王子の部屋へと向かったのです。
















夜の廊下は静かさに包まれ、人魚姫の裸足の足には冷気まで伝わってきました。


王子の部屋のドアをなるべく音がしないよう静かに開けて、人魚姫は部屋の中へと体を滑り込ませました。


そしてゆっくりと、静かに寝ている王子に近づくのです。





久しぶりに見る王子の顔。


人魚姫の目にまた涙が浮かんできました。


そして握る短剣の重さが、今になって手に伝わってくるのです。





人魚姫はその重みにハッとして短剣を落としてしまいました。


短剣が落ちた音が、どこか呆然としていた人魚姫の頭の中に響いてきました。


すると突然人魚姫は自分がしようとしていた罪の重さに気づいたのです。

そして力なくその場に座り込んでしまいました。





(私、なんてことを・・・・・この手でエドを?)




その事実を改めて認識した途端、人魚姫は体中の力が抜けたような気がしました。


愛しているのに・・・

本当に心から愛しているというのに・・・

自分はなんと恐ろしい事をしようとしたのだろうか?

こんな汚い自分は王子の傍にいる資格なんて有りはしないんだ・・・・




人魚姫はそこまで考えると決意するのです。





(こんな私なんて、泡になって消えてしまえばいいんだわ・・・)





王子の傍にいられないのなら


王子を愛し続けることができないのなら





こんな身など滅んでしまえばいい・・・









人魚姫はいっそのこと海に飛び込んでしまおうと思いました。



でも、その前に・・・







(一度だけ・・・)





王子には既に相手がいるとは分かっている。


この行為が無意味だという事も・・・


でも、それでも一度だけ・・・






無様に死に行く女に、少しの幸せを・・・









人魚姫は王子の顔を見つめると、ゆっくりと顔を近づけました。


そして触れるだけの口付けをするのです。


たった一秒が、人魚姫には永遠のように感じました。



惜しむ気持ちを抑えて、人魚姫が静かに顔を離そうとしたその時・・・







(んっ・・・?!)



人魚姫は急に後ろから頭を押さえつけられました。



そしてそのまま深く口付けられたのです。



先ほど自分がした物とは比べ物にならないほどの甘く熱い口付け。





呼吸が乱れて、目からは生理的な涙が流れました。






「はぁっ・・・」



唇を開放された時には、人魚姫の顔はこれ以上ないほど真っ赤に染まっていました。



そして力が抜けた体で見上げるのです。




(・・・エド)





人魚姫の目の前には、寝ていたはずの王子が体を起こしてこちらを見ている姿がありました。



真っ直ぐこちらを見つめる王子の目は、やはり人魚姫が今まで見てきたどの月よりも綺麗な金色をしていました。








(どうして・・・?)




人魚姫の頭の中は真っ白になっていました。


しかし体は勝手に動いてしまい、いつの間にか右手は王子を求めるように力なく伸ばされていました。


その人魚姫の頼りない手を、王子はしっかりと掴んでそのまま思いっきり引っ張りました。


王子は人魚姫を強く抱きしめて囁くのです。




「やっぱり・・・俺は マイ が好きだ。他の奴と結婚なんてできねぇ・・・」



王子はそう言うと、両手で人魚姫の顔を包んでまた口付けてきました。


しかし今度のキスは先ほどのような荒々しいキスではなく、優しく甘いものでした。


そして人魚姫の目からまた一滴の涙が零れました。






「・・・・・・エド」




人魚姫の口から初めて零れた自分の名前。


想像していた通りの綺麗なその声に、エドは嬉しそうに微笑みました。


そしてまた強く抱きしめるのです。





「愛してる、 マイ 」




人魚姫も王子の背へと腕を回して、今度はハッキリと口を開きます。






「エド・・・私も愛してる」

















輝く月が



漆黒の海を照らしている



いつものお気に入りの岩にもたれかかって




あの時人魚姫は王子様に恋をしたのです











そしてその恋は、沢山の障害を乗り越えてやっと実を結びました。


強くお互いを求め合う二人の姿を


夜空に輝く綺麗な月は


いつまでも優しく照らし続けていました・・・・



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