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雲ひとつ無い晴天。
春らしい柔らかな光が大きくとられた窓から惜しげもなく入ってくる。その光が目の前に置かれた心躍るお菓子をもっととばかりに美しく輝かせていた。

「話し合いはいいが、俺や他の客にゃ迷惑かけんなよ。」と暗に介入する気はないと告げた店主は奥の厨房へ引っ込んでいる。
そして彼の言う他の客……、恐らく常連なのだろう。
厨房のほうに「ごちそうさま。」と夫婦揃って穏やかな優しい声をかけて帰っていた。
時々こちらを見て微笑ましい視線をくれていた白髪の夫婦は、俺たちを見て恋人だとでも思ったのだろう。帰り際に「可愛らしいカップルねぇ」とヒソヒソ話しているのが聞こえた。実際にはそんな甘い展開ではないのだが。

ケーキは美味しかったけど、美味しかったんだけど……!

絶対こいつのせいで美味しさ減ってるよなぁ…。
今度、絶対一人で来てやる…!
そう奥歯を噛み締めた。


「この店ハンターサイトにしか情報載ってないんだよね。」

フォークで瑞々しい苺をつつきながら言うシャルナークに視線を合わせる。

「それと納得する材料が揃わなければ店を開かない、ってことで美食ハンターにも有名な店。」
「……そして店主自身も美食ハンター、だと。」
「その通り、正解。」

此処にくるまで得られなかった、いや気が付くことさえ出来なかった情報。

“一応調べたのに”?

そんな探し方で見つけるはずが無かった。

ハンターが隠してた情報が"一応"探したくらいで見つかるはずがない。
しかも菓子屋がそこまで情報を隠せるとなれば、きっと専門のハンターに依頼してる。そんなものちょっと探した程度で見つかるかよ。
バレる可能性が高すぎるハンターサイトへのハッキングなんて俺はやりたくない。というか、やるんだったらジンに頼んで情報探してもらう。

さっき悔しがってたのが馬鹿みたいだな…。


店主は念能力者だ。
天空闘技場レベルの能力者より何倍も強いだろうが、実践向きでないことも直ぐに察せた。
体つきこそ逞しかったが、纏うオーラが何を言うまでもなくそれを証明していた。きっと念と触れ合うより、料理と向き合う時間の方が長かった人だ。

……きっと能力もコレに関係するものなんだろうなぁ。
おまけ、とばかりに出されたクッキーをつまむ。
香ばしいバターの香りと上質な卵。十分に寝かせた生地はしっとりとしていて、ほぅと息をつく。

こんなお菓子を作れる人の店が有名じゃないわけがない。
それこそ、天空闘技場のカフェみたいに素人でも掴めるくらいに有名になるだろう。
しかし、それを店主は拒んだ。拒んでやったのは情報隠蔽。
街の最も注目が集まるところにレシピを放りこみ隠れ蓑にする。そして更に情報が広がらぬよう専門家に依頼する。その専門家もハンターなんだろうな…、随分と徹底してる。ここまで行くと呆れるくらいだ。

「しかもここの店主……あ、店名と同じディルクっていうんだけど、その弟子がつい最近一ツ星になったって騒がれてるんだよね。あの人も一ツ星とれるくらいの実績残してるらしいけど、申請するの面倒臭がってる、って書いてあったな。」
「見るからに名声とか興味無さそうでしたからね。」

ハンター協会の本部に行って申請する暇があったら、より良い食材を探して味の向上に努めそうだ。

そういう生きがいって俺にないから羨ましいな。
一直線に進み、努力を惜しまない"何か"。
修行中、ジンの手料理に命の危機を感じ取って始めた料理は確かに面白い。笑顔で食べてくれて、また作ってと言われるのは嬉しい。けれど本を読むほうがずっと好きだ。だから、俺にとっての生きがいは料理ではない。料理はただの趣味の範囲だ。

………ま、無いからといって特別不便を感じるわけじゃないからいいんだけど。

頬杖をつき外を見る。
勿論、目の前に座るシャルナークには十分に意識を向けてある。けれど、俺の発した言葉について突かれるとは思っていなかった。

「ソレ、君が言うんだ?」
「は……?」
「名声に興味が無さそう、ってさ。オレには君の方がそう見えるんだけど。」

…………これは天空闘技場のことを言ってるんだよな。

「あそこには小遣い稼ぎでいるだけです。」
「じゃあ、賞金が出ない200階にいつまでもいるのは何で?目立つだけでメリットないじゃない。」

それは……言える。
けど、丸っきりメリットがないとは言わない。

「煩いのを我慢すれば結構住み心地いいですから。」

だって宿代払わなくて済むし。

煩いのも参加するときに裏金出せば、運営がどうにかしてくれるらしかったが今となってはどうにもならないし……それに、正直もう慣れた。

「それに200階で試合をすると言っても、せいぜい1、2回程度にしますし……何よりあのレベルじゃ、その時もその後も不利な立場になることはないでしょう。」

あそこで能力は使わない。
世界放送までする天空闘技場だぞ?わざわざ、そんな危険な真似はしない。

そう説明すると、シャルナークは納得したかのように「ま、そうだろうね。」と呟いた。

ああ、やっぱりヒソカがおかしいだけだよな。
普通あそこで、おおっぴらに自分の能力曝け出さないよな……。
記録媒体に自分の能力が収められてる、なんて冗談じゃない。対戦相手が弱いといえど、それを見る人はたくさんいる。その中に自分を狙う奴がいたら?考えるだけでゾッとする。何でそんなリスクを自分からわざわざ上げなくちゃいけないんだ。俺はヒソカみたいな戦闘狂じゃない。

「でもさ、アレほど目立ったら結構面倒なことも多いでしょ?」

…そこまで食い下がられても、俺が天空闘技場にいる理由は変わらないんだけどなぁ…。
そっちが望むような答えなんて返せない。
宿代、っていう現実的なものしかないんだから。

「…まあ、軽い毒とかは贈り物に入れられたりしますけどね。」
「それでも止めないんだ?」
「大抵気づくので、今のところ実害がないんですよ。」

毒じゃなくても、毛髪とか血とかが入れられたりもしたなぁ。

何か嫌な感じがする食べ物とかは、大抵怪しいものが入ってるから絶対口にしない。けど、やはりそういうのは全体として少数だから他の安全なものに関しては有難く頂くことにしてる。


「ふぅん………、随分と自信があるんだね。」

空気が変わった。
穏やかな日差しは無機質なものに、幸せな輝きを放っていたケーキは一瞬にして冷たくなった。

「ええ、一応護身できるように修行はしたつもりですから。」
「そうだね。君ほどの使い手だったら、大抵の敵は倒せるだろうね。」
「俺は貴方みたいな裏側の人間じゃないですから。……だから、そんな恨みを買うようなことはしてませんよ。」

恨みなんていつ買ってるか分からない。
だから警戒してるわけだが、反応を見るため"襲われるはずが無い"と実に浅ましい台詞を吐いた。
俺が裏側でない、ってことは分かってるだろう。嘘は言ってない。ただこれで少しは引き下がってくれると嬉しいな、と下心を持っているだけ。幻滅していなくなってくれればいい。冷たく一瞥し、この場限りの縁となれば言うことはない。

だが、相手は思っていた以上に俺に対して興味を持っていたらしい。


「……オレさ、幻影旅団なんだよね。」

A級犯罪集団の名前を出す、ということは一体どういうことなのか。

「…そう、ですか」

いきなりのカミングアウト。
この話の流れで何故それを言う気になったのか。

予想外の展開に上手く舌が回らない。
しかし、そんな俺に構うことなくシャルナークは言葉を発する。

「で、さ。君はオレを捕まえたいと思う?」
「……え?」
「君がこっち側じゃない、ってことは分かるよ?それこそ、その目を見れば直ぐに分かる。けど、君……何か中途半端なんだよね。流されるままに、こっちに来たと思えば闇に染まらないような……、そんな中途半端でオレにとったら…そうだな、気持ち悪い感じがするんだよね。」

中途半端。
ああ、確かにそうだ。今、俺が置かれてる状況はそう表現するのが適切だろう。

自ら望んで犯罪をする気はない。
それは安全で平和な国で生まれ育ったため備わった良心の呵責があるから。
でも、「やれ」と言われたら?
状況にもよるが、多分頷けると思う。自分が死ぬような状況じゃなくとも、人を殺められる。

けど、やはりそれを仕事に、ましてや日常の一部にはしたくない。

「……中途半端で悪いですか?」

コイツにとっては、じれったく苛立たせるような存在だろうが、そんなことは俺の知ったことじゃない。
何故、俺の生き方を初対面のコイツに口出しされなければならない?

「俺が念を覚えたのは自分を守るためです。自分の考え、自分の立場……弱くちゃ誰も肯定してくれやしないでしょう。でも、今の俺ならそんな中途半端な状態でも文句をつけてくる人はいませんし、そもそも俺がそれを許しません。……ああ、でも俺の考え方を根本から覆すような人がいたら話は別ですけど。」
「……じゃあ、オレを見て驚いたのは………、その自分の立場を揺るがすかもしれない。って思ったから、と考えて良いのかな?」

まあそれは表と裏の世界という話ではないけれどな。
物語に対しての俺の立場、というのが本当なんだけれども上手い具合に話を持っていくことが出来た。うん、上出来じゃないか。

「ええ。ですから興味を持たれたら嫌だな、と思いました。いえ、今でも思っていますね。」

そう本音を言えば、一瞬面食らったような顔をしてから口元に弧を描いたシャルナーク。

そして、その瞬間張り詰めていた空気が霧散した。凍ったような息苦しい雰囲気が幻のように消える。

「そっかぁ。でもオレ、ルイに凄く興味持っちゃった。あ、ちゃん付けしなくていいよね?」
「は?……いや、別にいいですけど。」
「んー、さっきから気になってたんだけど一度もオレの名前呼ばないよね?あと敬語よして、固っくるしいから。」

次々と注文を振りかけてくるシャルナーク。
けれどその言い方は凄く気軽で気安くて、違和感を感じなかった。

……っこの場合は違和感を感じないと逆におかしいんだよ!
なんでいきなり…、こんなにフレンドリーになってる?!

「え、いや……あの、」
「ん?どうかした、ルイ。」
「……いえ。」

いや、お前の方がどうした?
さっきまでの威圧感はどこにやった?!

そう大声で問いただしたかったが、毒のない笑顔で見つめ返されて言葉を失う。

「だから、敬語止めてってば。」
「いや、だって……なんでいきなり。」
「だってルイ面白そうだし、それにオレ等と対立しないでしょ?」

その言葉に、むっとして少しだけ意地悪を言いたくなった。

「……いつか、ハンター証を取ろうと思っていますが?」
「でも賞金首ハンターじゃないでしょ?あと敬語。」
「そうで、……そうだけど。」
「でしょ?だったら問題ないじゃん。」

俺のちょっとした反抗は糸も容易く避けられた。

テンポよく人の顔を窺いながら言うシャルナークに、若干納得しそうになるが、それでもはっ、と我に返り首を振る。

「でもっ……!」
「そろそろ紅茶も冷えてきたし、コレ食べちゃおうか。」

テーブルに手をつき、若干立ち上がりながら反論しようとしたが上手い具合にはぐらかされた。
反射で紅茶のほうを見ると、その言葉通り温もりが無くなっている。

ね?と見つめてくるシャルナークに毒気を抜かれ、ゆるゆると脱力するように腰を下ろした。