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「貴女、天空闘技場の選手ルイよね?」

良い買い物をして(商店街の商品は噂通り新鮮で良いものを取り扱っていた。必要なとこはあそこで買い物しようと)笑顔で紅桜と話しながら天空闘技場のエレベーターのボタンを押そうとしたときのことだった。

「……なんでしょう。」

素直に声の方向へと振り返る。
声を掛けたと同時に外したのか、右手には少し大きめのサングラスがあり昨日見れなかった瞳が真っ直ぐとこちらを挑戦的に見つめた。
昨日、一階の観客席で気になった不思議な雰囲気を放っていたお姉さんだ。

ああ、この人の瞳はこんな色をしてたのか、と緑がかった灰色の瞳を見つめ返す。
……堅気、じゃないだろうな。
かといって、人を殺したことがあるわけでもない。
でも……これは人が殺されるところを見てきた人間の眼だ。

裏側の人間で殺される心配が無い立場ってことか……?

自分の中で推測を立ててみるが、何だかしっくりこない。
マフィア的なとこの令嬢ってわけでもなさそうだし、護衛っていうのはもっと違う。

「少し話したいのだけど時間はあるかしら?」

俺は自分の中の疑問を解消すべく、いきなりの申し出にただ一つ頷き紅桜を部屋に帰らせた。

目的の場へ着くまでお姉さんは一言も発せず、ただ事務的に歩いた。
背中からは焦燥と緊張が感じられて、まるで何かに追われているように思えた。少しだけだけど動きもぎこちなくなってたし、握り締めた手のひらからは、いつ血が滴り落ちてもおかしくなかった。

「どうぞ。」

手でソファに座るように促され、軽く頭を下げてから座る。
それを確認し、じっと俺から目線を変えぬまま固い動きでお姉さんもまた座った。

……ちょっと選択間違えたかな。

真一文字に引き締めた唇に疑問を感じて、目線をあげると先ほどとは違う印象を受ける瞳をしていた。

美しいとも醜いとも、どちらともとれない瞳の色。
明るいか暗いかと言われれば、それもまたどっちともいえない。
そんな危うい瞳の色。
暗さを含んだ上での明るい希望を持ったような。
醜い世界で一つだけ光がぽつんと存在しているような。
マイナスが多くを占めるなかで、プラスも淡く光る。しかし、それはほんのちょっとのことで直ぐ消え失せてしまうような。
……そう、これからこの人が話す内容を否定したら直ぐに消えてしまうような。
……俺に命を懸けて縋るような瞳だ。

こんなことなら、さっさと断わって紅桜と帰れば良かった。

米神に軽く手を当て、溜息を吐くとそれを引き金にしたのかお姉さんは話し始めた。

「私と一緒に、世界を救ってほしいの。」

陳腐な台詞。
高揚したかのような声。しかし、それはとても静かで何かに取り付かれているかのような、薄ら寒いものを感じた。
タチの悪い宗教に身も心もどっぷりと浸かったような印象。

自分の信じているものが間違いだとは微塵も思わないその声に眉間に皺を寄せる。

俺のそんな様子に気が付かないのか、お姉さんは続けた。

「私は、戦場カメラマンとして世界中で活動してきて、見るのも耐えられないような惨状を何度も見てきたわ。銃で撃たれた兵士が折り重なって死んでいるところ、親を失った子供が奴隷同然の仕打ちを受けているところ……。そんな人として、人間として決して許してはならないことを平然と行っている汚らしい人間……。」

喋るにつれて、今まで見てきた光景が脳裏に蘇ったのかだんだんと声が大きくなってきた。

「何の罪のない子供がその地に生まれてしまったというだけで、人間として扱われないのよ…!しかも、現地の子供たちはそれに疑問を持たないまま生きている……、貴女はそんなことが許されると思う?」

ぎらぎらと光る瞳に詰め寄られ、眉間の皺がより深くなった。
……ああ、なんで俺がこの人の自己満足につき合わされなきゃならないんだ。

「……まあ、許せませんね。」
「でしょう!許せるはずがないのよ、汚い大人のために罪のない子供が傷つく!本当に死ななきゃならない奴がのうのうと生きて、楽をしている!」

事務的に流すように言っても、よほど興奮しているのか連なる言葉を止めない。

本当に死ななきゃならない人間ねぇ……、

「だったら、貴女は死ななければいけない人間じゃないと?」

気持ちが悪い灰色の瞳を見つめたまま聞く。

「……え?」

意味が分からないと、希望の光が妖しく揺らめく瞳のままお姉さんは頼りない子供のように見てくる。

「貴女、先進国の生まれでしょう?そして、戦場カメラマンになったのはつい最近のこと。」
「ええ、そうだけど……。」
「平和な国で生きて、いきなりそんな惨状を見せられちゃ、そりゃあショックを受けるでしょうね。」

多分、この人良いとこの令嬢だ。
すこし護身として、銃とかを使えるだけで強くなったつもりのお嬢様。

……戦場カメラマンってのも、自称だろうな。人にそう呼ばれたことは一度もないだろう。

あー……なんで、こんな人に惹かれたのか…。
煙草をふかす仕草があんなにも綺麗だったのは、育ちが良かったから。
異彩を放っていたのも、綺麗な世界から薄汚い世界を見てしまった影響から。
身体こそ大人だが、ただのガキじゃないか。大方俺に声をかけてきたのも、この人の活動に支援しろってことなんだろう。俺なら直ぐに上の階に行けてファイトマネーも多く貰えると見越して。そして紛争地帯という危ない場所に強い人が隣にいてくれたら自分の安全を確保できるだろうという自分勝手な思惑もあっただろう。

「何不自由なく暮らしてた自分の背景に、その子供たちがいた。その子供たちが悲惨な目に遭っているときに自分は笑顔でいた。その子供たちと自分の人生を一度も比べたことはないと?」
「……それは、」
「大体、貴女そろそろ家に帰ったらどうですか?お金持ちのお嬢様が、家を飛び出して遊び半分で戦場見学ですか?」
「っ………!」

面倒くさいとばかりに、目を瞑りながら言うと迫ってきた掌。
頬に当たる寸前で手首を押さえると、目の前のお姉さんは忌々しげに俺を睨んだ。
もう俺を頼ろうとなんて微塵も考えてない。

「貴女に何が分かるっていうの?確かに私は、家を出たわ!でもそれで迷惑なんて誰にもかけてない!戦場にだって、遊び半分で行ったんじゃないわ。私がこのカメラにあの悲惨な光景を収めて、それを世界中の人に知ってもらうために……!」

自由な手が俺の肩を爪が食い込むくらい力強く掴んだ。赤い爪紅をとったらその爪は真っ白になっていることだろう。
睨みつける目は、血走っており逃がさないとばかりに俺を捉える。

家出をして、誰にも迷惑をかけてないって……、本当にこの人はそう思っているのか?
疑いを持ちつつも、この必死とも言える形相に嘘は無さそうだ。
俺はそのあまりにも自分勝手な考えに目元が引き攣った。

「貴女程度の人間の手で撮ったものが、世界中の人に認めてもらえるとでも?」

自分の力で他人に認めてもらう、というのは苦労を知らないこの人にとったら夢だったんだろう。

「本当に子供たちを救いたかったら、家の力を利用したほうが良いとは一度も思わなかったんですか?」

自分の持っているものを最大限利用する。
本当に救いたかったのなら、そうするべきだ。

触れられたくないところを的確に突かれたせいか、瞳が絶望の色に変わった。

「そ、れは……。」
「それは?なんですか、利用しなかった理由が自分だけの力で感謝されたかった、だとしたら、貴女のその感情は“助ける”ためじゃない。思春期のガキが世界に認められようとする、ただの自己満足だ。」

唇を震わせ、否定の言葉を出そうとする。
こっちはあんたの自分勝手な行動に付き合うつもりは毛頭ないんだ。

「ち……、違うわ。私は家じゃなくて……貴女を、」

……俺を、ねぇ。
俯いて嗚咽交じりに否定を繰り返す。
それは、まるで孤独に泣いている子供のよう。

「家のかわりに、他人を利用しようと思った?……まあ天空闘技場の選手はお金持ちですからね、同情心を煽って支援させるのなんて簡単でしょう。」

俺が絡まなきゃ、こっちはどうだって良いんだけど。
まあ、火の粉がかかるっていうのなら、俺だって黙っているわけにはいかない。

「俺が女だから、感情に流されやすいと思いましたか?残念でしたね。」

第一、俺はまだ独り立ちしたばかりの、この世界の常識も何も知らない人間だ。
世界を救う、どうのより今は自分自身の明日を考え必死に生きていかなければいけない。
まあ、もう少し落ち着いたら、暇つぶし程度に偽善者として物資を支援したり念能力でも使って怪我人の手当てなどしてやれただろうに…。
誘う人と、時期が悪かった。

肩を掴む手は弱々しくなっており、手首を掴んでいた手をそっと離してから、指を一本一本優しく解いた。

んー……、そろそろ周りの視線が痛くなってきたな。
流石に俺らの雰囲気がただ事じゃないと分かったのか野次馬ができはじめていた。

「……失礼します。」

腰に巻いてあったバックを開け、ビデオカメラを取ってから俺は部屋へと戻った。
…この人にこれはもう必要ない。
持っていても、誰も救われないだろうから。