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[3317番、3333番、Aリングへお越しください。]


思ったよりも、随分早いな。
まあ、さっきみたいに長時間待たされるのは嫌だけど。

指定されたAリングの場所を確認する。

「じゃあ行ってくる。」
「はい。頑張ってくださいね。」

笑顔で見送る紅桜に手を振り、下へと向かった。

応援はいいけど、俺が頑張ったら相手が可哀想だよなぁ……と苦笑する。

……そういえばあの格好良いお姉さんは、俺の試合を見てどんな反応をするんだろうか。あの横顔が驚きの表情を浮かべる様子を想像しながら既に審判と対戦相手が待つリングに立った。

「ここ一階のリングでは、入場者のレベルを判断します。制限時間である3分以内に自らの力を全て発揮して下さい。」

全て発揮しろ、ね。
審判のお兄さんの言葉に皮肉気味に笑う。この言葉は恐らく俺に向けた言葉だろう。負けてもいいから、君の最善を尽くしなさい。目でそう告げられた。

余計なお世話。
ここで審判やってるんだから見た目じゃ強さは図れないってことぐらい、覚えておこうよ、と呆れる。
お兄さんを一瞥すると、この人は審判として雇われたばかりなのだろう。20代前半で、まだ制服の着方がぎこちない。

観客席から野卑の声が聞こえてくる。
……紅桜、大丈夫かな?
伝わってくる波動が既に怖い。ちょっと、このまま波長を繋いでおくの怖いから、この試合が終わるまで切っておこうかな……?
紅桜の怒りが俺に伝わってくるのは正直キツい。凄く怖いから。

「お嬢ちゃん、チケット売り場と間違えてエントリーしちまったんじゃねぇのか?」

対戦相手が下品に笑いながら言ってくる。
一瞬、無表情になった後、俺は引き攣る口元を叱咤し精一杯の笑顔で言う。

「いいえ、格闘家として此処に来ました。間違いなんかではありませんよ。ご心配いただき、ありがとうございます。」
「っ、ふざけやがって!」

「それでは、始め!」

丁寧に言ったら怒られてしまった。
随分と、おつむが弱い。これでは、どちらが年上なんだか……。
はぁ、と溜息を吐きそうになるのを堪えた。

審判がかけた声を引き金にして、男は突っ込んできた。

俺の体重の三倍は優にありそうな巨体が押し寄せる。
それに合わせ、観客席がより一層ざわめきだした……のだが。

……あれ?
何か急に静かになったんだけど。
ざわついた次の瞬間には、さっきまで俺が座っていた方から冷たいオーラが凍るように漂い静かになった。間違いなく紅桜だ。
怖くて振り返られないんだけど。一体、紅桜は何をしたのか……、いや考えるのは止めよう。

そんな会場の変化に気づいてないのか、青筋を浮かべながら迫ってくる巨漢。弱いし、頭も悪いし、気配の変化にも気がつかない。
こいつは戦いには向いてないな。

こんな奴に全力を出せって?
笑わせる。

「ふざけてるのは、相手の実力も分からない内に、我を忘れて突っ込んでくる貴方の方ですよ。」
「! 避けんじゃねえ!!」

ぶつかる瞬間、体を少しずらして避けた。

こいつと戦っていること自体、恥ずかしくなってきた。よく、その程度の実力で此処に挑戦しようと思ったな。
その図太さだけは尊敬する。

もう早く終わらせよう。
俺が耐え切れない。

「今度は避けんじっ…!」

叫ぶように俺に向かって何か言っていたが俺は最後までそれを聞く気は無かった。

軽く跳んで、軽く相手の顔を蹴った。

たったそれだけで、相手は叫び声を上げることなく気絶し前に倒れた。
リングにめり込んじゃってる姿を見て、眉根を寄せた。
足のオーラをゼロにしたのに加え加減した蹴りで、こんな風になるのか。
きっと、この分じゃ鼻とか頬の骨は骨折してるだろう。
こんな馬鹿がまだこの闘技場にウジャウジャいると思うと頭が痛くなる。

俺が相手の選手を哀れみの目で見ていると、審判が機械から出てきたレシート大の紙を剥がしとって、俺に渡してきた。

その審判の額には汗が。
ああ、この程度で……この程度で驚くのか。

目には少しばかりの恐怖。
若干、好奇心が混ざっているようだが、これだと恐怖の割合の方が大きい。
きっと、この様子では、俺が今なにをしたのかも見えなかったのだろう。
……そうか、動体視力が良くない審判は、下の階の審判をするのか。この実力で上の階の審判を務めるのは無理だろう。
此処では、選手だけが上を目指しているのでは無い。審判も実況もこの闘技場の上を目指しているのか……。

……動体視力を良くするんだったら、弱い奴の戦いを見るばっかじゃ駄目なんだけどな。

「3333番、貴女は90階です。」
「ありがとうございます。……ああ、此処でもっと上の階の審判をやりたいのだったら、200階クラスの戦いを見ることをお勧めしますよ。」
「は……?」
「DVDで200階クラスの選手の動きを目で追えるようになってください。」

気まぐれに等しいが、目の中の好奇心を買って助言する。
200階クラスの戦いを目で追えるようになるだけでも、一般の人にとっては時間をかなり要するだろう。

……それにしても、90階か。俺の予想よりも高いな。
格闘技歴を0と書いただけに、ゴンたちと同じで50階くらいだと思ったんだけどな。今日もう一試合あるだろうから、それで個室が貰えるんだな。丁度良い。

紙を片手にリングから降りた。


「あ、ありがとうございます!貴女も頑張ってください!オレ、応援しています!」


思いがけない言葉に俺は、思わず目を瞬かせた。
あれだけの助言で、目が輝いた。恐怖が希望に、好奇心が嬉しさに変わった。

ああ、これは思ったより楽しめるかもしれない。俺が此処にいる間、この人がどのくらい成長するか……。
頬を上気させるお兄さんは新しいことを発見した子供のようだ。それに、俺は新しいものを追い求めるハンターという職業を連想した。

新たな楽しみに、わくわくしながら観客席を振り返る。
そして紅桜に90階だと、切ってしまった波長を繋いで告げる。
紅桜が笑顔で頷くのを見てから、直ぐ近くにいたお姉さんのほうに目を向けると、そこにはもうあの人の姿は無かった。


◇◆◇◆


「ルイ選手!KO勝ちです!!ここ天空闘技場に来てから、たった一日で100階へと上り詰めましたぁ!」

興奮気味に語る実況のお姉さん。
この内容から分かるとおり、俺は今100階へと挑戦する権利を与えられた。
……というか、こんな試合でこんな興奮するのか。汗が飛び散るのではないか。というほど物理的に動きのある実況をしてくれたお姉さん。この人の動体視力は、そこそこ良いのだろう。俺の動きをやや遅れ気味だが、ちゃんと表現し会場の興奮を煽っていたのだから。

1階で軽く相手をあしらった後、90階で紅桜と合流し、予想通り直ぐに呼び出されて試合。
何故か今回の試合では、最初から俺を野卑する声が聞こえなかった。
また紅桜が何かしたんだろうなぁ……。と諦めるような遠い目をして、溜息を吐いた。

今回の相手は1階の奴に比べると大分マシだった。
チラ、とリングで倒れている男を見た。
我流で技を磨いたのか、あまり統一感の無い戦い方で弱かったが、ちゃんと自身の弱さを自覚していた。つまりは、自分を評価する目が正しいということだ。
さっきまで、自己中心的な馬鹿と戦っていた俺から見てかなり好感を持てる。
今回の試合は、かなりの好条件か。
野卑の声も聞こえないし、相手も人間性がきちんとしている。
……これに、この会場の空調がもっと良ければ完璧なんだが…。
空調は、風の音が聞こえるので機能してるのだと思うが、それよりも観客席からの歓声や熱気が、それを上回った。
これからも、こんな熱気に晒され続けるのか……、そう思うと憂鬱な気持ちになる。
俺は渋い顔をしながら、リングから去った。

そのままエレベーターへと向かうと、そこにはもう紅桜が立っていた。
しかも、エレベーターを止めてある。準備が良すぎやしないかと、少しだけ呆れた。いや、有り難いんだけど。

「お待たせ、ありがとうな。紅桜。」
「はい。お疲れ様でした。」
「直ぐだったけどな。あ、貴女もありがとうございます。」

俺のために、この階で待っていたエレベーターガールにもお礼を言う。
こんなところにも人を雇うなんて、此処がいかに儲けているかが分かる。
しかし、ずっとこんな狭い空間にいるなんて凄いな……。閉所恐怖症じゃなくても嫌になると思うんだけど。

お姉さんは、俺の言葉に笑って「どういたしまして。」と言った。可愛い。
此処の女の人って、可愛い人多いよなぁ。受け付けの人とか実況の人とかも凄い可愛かったし。