序章


「思ったことを口に出しては駄目よ」
「一番になってはいけない」

幼い頃から言われ続けた言葉。
私は、それに何故?と問うことなく頷いてきた。それは、その言葉の意味が嫌というほどに理解出来たから。
……それでも、納得していたわけではなかった。

出来ることを、出来ないように見せかける。

この行為が大嫌いだった。
周囲が出来ないような素振りを見せたら、私も出来ない振りをする。そして、誰か一人が出来たなら、私も時間を置いて出来たと言った。

一番になっては、いけない。

思ったことを口に出す、それを我慢することは平気だったけれど、この言葉が私は嫌いでならなかった。
それは本気で取り組んではいけないということ。
本気で取り組んだら、異端視されてしまうということは、分かっていた。それ故に私が危ない目に遭うということも。
だから、私は何も言わなかった。

私の枕元で夜、二人して泣いていた。
「こんな病気、なんでこの子が……」
「普通に生まれて欲しかった」
私が出来ることは、二人にとっては悲しいことなのだ。
二人が、そうやって私の傍で泣いているのは週に一回。年を重ねるごとに、その周期はだんだんと長くなっていったが、それでも私は、二人の涙が重たく感じた。起きているのを悟らせないように必死で涙を堪えた。私は泣いてはいけない。

ごめんなさい。

私は本気で物事に取り組みたく、色々な習い事を始めた。
勉強以外だったら平気だろう。
そう思ったのだが、現実は残酷だった。

私は私より、前に習い始めた子を直ぐに追い越してしまった。

両親は「これは病気のせいじゃないわ」と、気を使ってくれたけど、二人が夜、泣いてたのを私は知っている。

病気のせい。
そう、全て病気のせいにするのも嫌だったし辛かった。

サヴァン症候群の人は、大抵が自閉症障害を抱えていると聞いた。
つまりは、まともに友達を作ることが出来ないし、表社会で生きていくには非常に困難だということである。

そんなことで、私は二人を悲しませたくなかった。
多くの人と一緒の空間にいることは、私にとって苦しかった。最初のほうは、心臓が握りつぶされるような感覚に襲われて、少しも安らげる時間がなかった。その内に過呼吸になり、意識を失うことが殆どだった。
そして、目が覚めて見えるのは二人の涙だった。

泣かないで。

ごくごく普通の二人から、異常な私が生まれた。
ごめんなさい。

二人にかかる負担は軽いものではなかった。

生まれたときから、病弱な体。
貧血でよく倒れる上に、サヴァン症候群の娘を育てるのは、精神的にかなり辛いだろう。

けれど、私が起きているときは、いつも笑顔でいた。
でも笑顔のはずの頬には涙の跡があった。そのせいで、私はもっと辛くなった。
いっそのこと、罵ってくれたら良かったのに。
笑顔を責めることが出来なくて、そんな理不尽なことを思った。

二人の頑張りが申し訳なくて。
二人の涙が苦しくて。
二人からの愛情が痛くて。

何で私は、こんなにも弱いのだろう。
私なんかよりも、二人の方がずっと辛いはずなのに。
それなのに、私は些細なことで傷ついてしまう。

ごめんなさい。ごめんなさい。
私、頑張るから。もっと頑張って、友達も作って、泣かせないように、守れるように頑張るから。

一生懸命、出来ないことを探す私には、好きなことが無かった。
自分が出来ないことは何なのか。ずっと探していた。
そんなことばかりしている私に、好きなことなんて、夢中になれることなんて、見つけられるわけが無かった。


「はじめまして!」


そう言う人の瞳は、とても綺麗だった。

初めてだった。
こんなにも輝いている人を見るのは。


「あたし、あかりっていうの。好きなことは、剣道と漫画を読むことかな?よろしくね!」


私とあかりは直ぐに友達になった。
そのおかげで、私は他の人とも普通に、とは言えないが話せるようになり、友達も増えた。

その私の人生への光でもある、あかりが剣道をやっている姿はとても格好良かった。
何かを好きになることが、こんなにも人を輝かせるのかと思うと、心が震えた。


「瑠唯、一緒に剣道やろうよ!面白いよ」


嬉しい。
その言葉に舞い上がり、私は両親にやってみたいと話した。


「瑠唯は、体が弱いからスポーツは駄目よ。しかも、あんな激しいもの……、すぐに倒れちゃうわよ?」


その代わりと、私は華道や茶道、書道などを習い始めた。
体を動かさないもの。それが絶対のルールだった。

その頃には、自分がどのくらい手を抜けば普通に見られるかを理解していた。
だから、私は普通に見せかけた。
そのおかげで、私は「才能がある」と一言も言われなかった。
そんなことを知らない両親は、それからもう私の枕元で泣かなくなった。
ただ、この子には日本文化が一番合っていたのね。と言って安心していた。それにまた心が締め付けられた。ごめんなさい、本当は出来るの。

隠し事が上手になった。



そんな普通を壊したのは、私が中学生になった頃。
部活に茶道部も華道部も書道部も無かった。

それに反応したのが、あかりだった。
また剣道への道へ誘ってきた。私は変わらず誘ってくれることに嬉しくなった。

少しだけと、あかりに習ったとき、初めてのスポーツに私はかなり戸惑った。
そして、これなら大丈夫だ、と直感的に思った。これなら、私が一生懸命やっても平気、だと。

そして、両親に頼み込んだ。
なかなか了承してくれなかったが、一週間ほどかけて二人を説き伏せることに成功した。


初めて本格的にやったスポーツ。

厳しい稽古は辛かったが、それ以上に私は楽しかった。
同じ技でも、繰り出す人が違うと綺麗だったり、格好良かったりする。その奥深さに私は、どんどんとのめり込み道場にも通うようになった。

「才能がある」
この言葉が、これほど嬉しく感じたのは人生で初めてだった。
どれほどよく見ても、立ち姿や座る姿勢、構えたときの気迫を覚えることは出来なかった。だからこそ面白かった。
本気で取り組むことが楽しくて、剣道の歴史なども調べたりした。すると、いろいろな方面と繋がっていたりして、とても興味深かった。そして、本気で取り組むことを知った私は、今まで習っていた私の習い事に対する、態度が如何に、愚かしいものか思い知った。

このことから私は少しずつ、実力を隠すことを止めた。
他の人にも失礼だと思ったから。
それに、正直隠すことをやめてからの生活は、凄く身体が軽く気持ちが良かった。



「瑠唯」
「今まで我慢していたのね」
「ごめんなさい」

剣道を始めて変わった私に、二人は申し訳なさそうに言った。

けれど、それは違う。
私は、あなたたちを喜ばせようと、悲しませまいと、ずっと続けていたんだ。
そう言うと、二人は泣いてしまった。
慌てる私に二人は、泣きながら笑った。

ありのままの私で、二人を笑顔に出来た。
ありのままの私を受け入れてくれた。
こんなに嬉しいことは無かった。

私は剣道のおかげで……いや、あかりのおかげで変われた。あかりは、そんなこと知らないけど、私はあかりに凄く感謝している。
ありがとう。

何度言っても足りない。

あかりはお調子者で明るい、普通の子。
支えてくれる人がいるだけで十分で、私はとても幸せだった。