憧れと新たな目標(16話審判視点)

天空闘技場の審判になってから、もうすぐで一年経つ。
ここの審判になりたいと望む輩は多い。だが、なるためには数々の試験を通り抜けることが必要だ。そこで篩にかけられ、最後まで残った者だけが審判となれる。かの有名なハンター試験と比べると試験の規模は狭いが、それでも俺にとって天空闘技場の試験は狭き門で憧れだった。

幼い頃、親父に連れてこられて200階クラスの試合を観たことがある。
当時のオレは、その選手が何をしたのか全く分からなかった。だから、リングの下にいた審判が次々に加点をしていくのを見て眉をひそめた。あんな速い動きを何故そんな淀みなくジャッジできるのだろうか、と。もしかしたら適当につけてるのかもしれないとさえ思った。
しかし、次の日スローで見た選手の攻撃と審判のジャッジは実に正確だった。じっくりと穴を見つけるように、少しでも誤った点はないかと探したが、それは叶わなかった。いくら動画を遅く再生してみても審判の判定は正しかった。
選手を真っ直ぐと見据える目が、判定を告げる口が、その度に大きく動かす腕が、全てが輝いて見えた。

大学を卒業し、真っ先に受けた試験で見事合格することができた。
期待に胸を膨らませながら審判の制服を着たときの顔は恐ろしいほど緩んでいただろう。

しかし、一番最初に任された仕事は一階の審判。
一年経った今でも、まだ同じ仕事をしている。
たまに他の階の審判を任されることもあるが、それは大抵が100階以下のもの。200階の審判を任されるなんて話は夢でも出てこなかった。
俺の実力不足か?と問われれば、同期も同じ状態だから、それはないだろう。


「ここ一階のリングでは、入場者のレベルを判断します。制限時間である3分以内に自らの力を全て発揮して下さい。」

今日もまた数え切れないほど訪れる参加者の実力をはかる。

大抵は巨漢同士の闘いを見ることになるのだが、どうやら今回は違うようだ。
片方は、此処では見慣れた雄雄しい筋肉に覆われた男。
異色なのは、その正面に立っている少女。

肩甲骨より少し長い髪をそのまま垂らし、黒と白というシンプルな服を綺麗に着こなしている。背筋を伸ばし、堂々としている彼女はこんな所よりもモデルが集うステージの方が似合うだろう。オレの考えを肯定するかのように、彼女の姿を見た奴等が、あちらこちらで騒いでいる。

審判であるオレより、ずっと細く華奢な身体。
自ら望んで参加した、というより何らかの手違いで参加してしまった、と言われたほうが頷ける。
しかし、オレの仕事はあくまで参加者の実力をはかることだ。
試合が始まってからならともかく、始まる前に試合を止める権利はない。

せめても、と思い少女の方を見て、じっくり噛みしめるようにマニュアル通りのことを言う。
無茶はしないように。
君の最善を尽くしなさい、と。目では棄権してもいいのだと訴えながら。

オレだって、こんな綺麗な女の子が傷つく様は見たくない。

一瞬だけオレのほうを見て、何か言いたげな表情をしたが、それは少女の対戦相手によって遮られた。

「お嬢ちゃん、チケット売り場と間違えてエントリーしちまったんじゃねぇのか?」
「いいえ、格闘家として此処に来ました。間違いなんかではありませんよ。ご心配いただき、ありがとうございます。」
「っ、ふざけやがって!」

品性の欠片も感じさせぬ笑みを湛えながら少女に歩み寄った大男。
しかし、少女は男と真逆の美しい余裕すら感じさせる笑顔で受け答える。

「それでは、始め!」

オレの言葉と同時に巨体が少女のほうに突っ込む。

それと同時に観客席が一気に盛り上がりを見せたのだが、冷水を浴びせられたかのように一瞬で観客席の熱気が冷めた。
思わず振り返りたくなったが、目の前の闘いに意識を集中させた。

米神に血管を浮かせながら、迫る。

「ふざけてるのは、相手の実力も分からない内に、我を忘れて突っ込んでくる貴方の方ですよ。」
「! 避けんじゃねえ!!」

しかし、その巨体は力の行き場を失った。

少女の立ち位置が少しだけ変化している。
しっかり見ていたはずなのに、少女がいつ動いたのか分からなかった。

予想もしなかった出来事に目を瞬かせる。
オレには、少女が瞬間移動したようにしか見えなかった。

「今度は避けんじっ…!」

ズゥ、ン

体勢を整え、叫んだかと思った男が何の前触れもなくリングにめり込んだ。

一体、さっきから何が起きているというのか。
一体、目の前で何が行われたというのか。
一体、少女は何をしたというのか。

腕を組みながら倒れた男を見る少女。
けだるげに立つ姿は、やはり先ほどと変わらず美しく目の前の状況を作り出した張本人とは考えられなかった。

鼻につく鉄の匂い。
ひび割れたリングの石に血が、じわりと滲む。

このままでは不味い。
審判一人ひとりに持たされている機械で、直ぐ様担架を呼んだ。

この階にいる全ての人間が、このリングをただ凝視している。
観客席にいる人も、他のリングにいる参加者もそして同期の審判も。
こんな状況、初めてだ。

か弱そうな少女の挑戦者。
見えない攻撃。

これを……、どう評価すればいいというのか。


たった今、担架を呼んだ機械で目の前の少女の情報を引き出す。

ルイ。
格闘技歴は0年で、格闘スタイルは…剣技。
年は13歳。


得意とする格闘スタイルが剣、ということは、目の前の動きは本来の力ではないということなのか。
オレには見ることも出来なかった動きが、本気のものではない。

その答えにたどり着いた瞬間、目の前の少女が未知な存在に思えた。

汗が気味悪く米神を伝う。


この少女は何故、天空闘技場に来たのか。

脳裏に幼い頃見た試合の光景がよぎる。
とんでもなく速い攻防を的確にジャッジする審判。
もしかしたら、この少女は200階の選手と成り得る人物なのではないか。

オレの憧れの場所に、この少女は行ってしまうのか…?

だとしたら、オレの憧れるところは、未知の領域なのか。
オレは、その未知の世界に相応しい人間なのか。オレはその世界に足を踏み入れられるのだろうか。


「3333番、貴女は90階です。」

この少女をマニュアルの通りに決めるのは無理がある。どこに基準を置いていいか判断しかねたオレに機械が震えた。
押していないのに、と液晶を見ると運営が遠隔操作したのか、90階という文字が印刷された紙が出てきた。オレには荷が重いと感じていただけに、ありがたい状況。だが、どこか釈然としない。

どこにでもあるような感熱紙を切り、未だ対戦相手を見下ろす少女に渡した。
地に伏せる男に向けられていた瞳がオレを見る。
綺麗な青色の瞳。

「ありがとうございます。」

真っ直ぐとオレの目を見ながら言う。

90階という評価は妥当なものではないだろう。
貴女は200階に行ってもおかしくない。だから、オレの差し出した紙にそんな言葉はいらない。

妙な罪悪感に足が引けそうになった。


「ああ、此処でもっと上の階の審判をやりたいのだったら、200階クラスの戦いを見ることをお勧めしますよ。」
「は……?」

思い出したかのように言葉を紡ぐ少女。
オレは急な出来事に間抜けな声をあげるしか出来なかった。

「……DVDで200階クラスの選手の動きを、目で追えるようになってください。」

そんなオレにもう一度、もっと詳しく言葉を重ねた。
200階の選手の戦いを、何の意味も持たぬように話すこの人は、やはり200階にいるべき人間だ。
そんな人が、オレの憧れの場所で活躍するような人がオレだけのために助言をくれた。

オレの渡した紙を片手に持ちながら、リングを降りる。

その背中は、200階で待ってる。と言っているようで。


「あ、ありがとうございます!貴女も、頑張ってください!オレ、応援しています!」

先ほどまで畏怖していたのが嘘のようだ。

憧れが、振り返ってオレを招いた。
なんて嬉しいことだろうか。

振り返った少女は、一瞬だけ目を瞬かせイタズラに笑った。

ああ、ああ…!

あの人の試合をもう一度近くで見たい。
今度は、オレも堂々と胸を張り、この人の一挙一動を見逃さずに審判の仕事を全うしたい。


幼い頃のオレよ。
憧れの美しい審判の動きをオレは、あの人の試合で実現してみせるぞ。


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