雪降る世界の北極星(pkmnうちよそ) | ナノ


ひとりぼっちのプリマ

スケートを始めたきっかけは義姉がしている姿を見て憧れたから、なんてとてもシンプルな理由だ。スケート、と言ってもスピードを競うものではなく氷上ダンスやフィギュアスケートと呼ばれる類のものだ。義姉のジョゼットが氷の上で舞う姿がきらきら眩しくて素敵だった。

誰かに見せるために練習をしていた訳ではなかった。故にコーチと呼べる人も、教えてくれる人も居ない。始めてから三年程度はジョゼットと一緒に練習していた、故に基礎的な事は全て彼女から吸収した。今はもう、ジョゼットは氷の上には立っていない。

元々は趣味としてやっていた氷上での踊りをジムリーダーである私のキャラクターにした、というのもシンオウ地方に移ってからは練習する場所がなかったからだ。ジムリーダーであり続けられるから私は踊りを続けられる。どちらかがダメになったら、きっと他方もダメになってしまうのだろう、なんて最近よく考える。

「いつもここで練習してるの?」
「はい」
「ひとりで?」
「贅沢なお話ですけれど、貸し切りです。とはいえ、私がジムリーダーをしている間だけの期間限定です…いつまでやれるかも分かりません」

負けが続き今の地位を剥奪されれば、その時はジムリーダーはおろか氷上ダンサーも辞める時。幸い十一歳になった頃にジムリーダーを任せられそこから五年間にも及ぶ長い期間、ジムリーダーであり続けられている。

「ジムリーダーなんて、セヴリーヌはまだ若いのによく務められるよ」
「若いジムリーダーは沢山居ますね…でも私はダメなジムリーダーです」

リンクの前でベンチに座り、スケート靴を履く。クユリさんはその隣でリンクの方を呆然と眺めている。私がジムリーダーだと言った時もほとんど彼は表情を変えなかった。例の如く、何故ダメなジムリーダーなのかも、彼は聞いてこない。ほとんどクユリさんの事を知らないのに、クユリさんが本当はどんな風に思っているかも分からないのに、全てを話してしまえば少し楽になれる気がした。

「クユリさん、見ていてくださいね。私、今までで一番の踊りをしますから……」

そう言うと彼は微笑んだ。きっと彼は過去にも未来にもただひとりのお客さん、たったひとりの私の踊りを観た人になる。

誰に見せるためでもない踊りをする場所はどんなに立派な場所であれそれはただの練習場でしかない。観る人が居てはじめてそれは舞台へと変わる。
舞台に上がる事が出来れば、誰しもプリマになれる。自分しか居ないリンクで、たったひとりの踊りだとは思えないパフォーマンスを見せる、まさに舞台の主人公。
いずれにせよ、今の今まで舞台の条件が揃わなかった私はこれまでこのリンク上ですらプリマにはなれなかった。だが私が今、立っているのはお客さんに披露するための舞台。舞台へと変化した氷上で私は今日やっとプリマになれるのだ。

改めて氷上に立つと緊張する。こんなにリンクを広いと感じた事は今までになかった。目をつぶり息を深く吸い、吐くのと同時に目を開ける。心地よい程度の緊張感に背を押された様に氷上を滑り始める。音楽をいつもより意識的に聞いて、指先まで意識を張り巡らせる。

ジャンプもスピンもステップも、見られているからかいつもより不安を感じた。だが思いっきり踊れたと思う。初めて舞台で思うままに体を動かせて楽しかった。ひとりで達成感に浸っている私に聞こえてきたのはおそらく過去にも未来にもただひとりだけのお客さんからの拍手だった。私は拍手をしているクユリさんに向かって一礼した。そしてリンク袖に居る彼の元に戻る。

「とても、綺麗だった」
「!」
「セヴリーヌの踊り」
「あ、ありがとうございます」

戻るなりすぐにクユリさんは綺麗だったと言った。褒められ慣れなくて何だかくすぐったさを感じる。

「踊ってる時は笑うんだな。楽しい時だから当然か?」
「私、ずっと笑えていなかったんですね…そう見える様にしているつもりだったんですけど」
「んー、ぎこちない笑みに見えたよ」
「そうですか」

クユリさんに出会ってから私が見せていた表情は彼にぎこちないという印象を与えていた。人と関わるにも、人に悪い印象を与える事なく当たり障りなく接するのに必要なのは笑顔だとある人が教えてくれた。その通りにやっているつもりだったのだが。

「まだ慣れないもので、すみません」
「笑顔を作らないと駄目なのか?」
「誰もが遠巻きにするような私だからこそ当たり障りなく人と関わるためです」
「そっか…」

少し前まで不器用な人の避け方しか知らなかった私はずっと自分の感情を悟られないために、冷淡な無表情の仮面を被り続けていた。嬉しい事も、悲しい事も、悔しい事も全ての気持ちに蓋をして自分の気持ちも誤魔化した。でもそれは明らかに私の立場を悪くしていた、だけど感受性が強い面を出してしまえば更に深く傷付く気がして恐ろしかった。

「何故私が踊る所を見たかったのですか?」
「どう笑うのか気になったから」

何故、と声に出はしなかったが私の視線を感じ取った彼は暫しリンクの方を呆然と眺めて何故だろうな、と呟いた。

「君が、息苦しそうに見えたからかな」
「息苦しそうに…」
「連れ出してやりたいって。セヴリーヌの意思なんて分からないのにな」

クユリさんは、なんてな、と小さく笑みを浮かべると私の頭にポンと手を置いた。彼は立ちあがり帰ろうか、と言う。私はスケート靴を一纏めに括ると彼の後を追ってジムを後にした。キッサキシティの夜道を歩きながら私は小さく覚悟を決めた。

「クユリさん…」
「どうした?」

少しの沈黙の後に私は口を開く。私よりも十センチ程高いクユリさんを見る。街頭の光でクユリさんと私が歩く影は長く後ろにのびて、人気のない街に本当に僅かな闇を落とす。

「私を連れ出して…くれませんか?」

私の言葉を聞いてもクユリさんはあまり驚いた様には見えなかった、優しく微笑んだだけだった。

「…いいよ」
「本当、ですか?」
「一年後で良いかな?」
「はい」

あまりにも衝動的過ぎる私の言葉に、クユリさんはきっと考える時間をくれた様に思えた。彼にしても準備というものもある。

「迎えに来るよ」
「待っています」



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