雪降る世界の北極星(pkmnうちよそ) | ナノ


夕焼け小焼け、また来年

小高い丘に腰を下ろしたまま暫しの静寂が私たち二人を包んだ。彼は何も聞いてこなかった。私は話しても大丈夫なのか彼の方を見ながら確かめていたが沈黙がこれ以上続いても仕方ないと考え、遂に名前を尋ねた。

「クユリ」
「クユリ、さん」

今度などあるか分からないが、やはり名前くらいは聞いておきたかった。そこで漸く彼は私にも尋ねてきた。

「君の名前も、聞いて良いか?」
「はい、…私はセヴリーヌ、といいます」

やはり名前を聞かれるのは怖い。どれだけそういう場面を経てきてもなかなか慣れない。名乗るのは人間関係の始まりであり、また人と関わろうとしている事実がどうしようもなく恐怖なのだ。自分は名前を聞くのに、おかしな話なのだが。

「クユリさん、助けてくれてありがとうございました…嬉しかったです」
「怪我してる。痛くないか?」
「大丈夫です、これくらいなら。あなたも、怪我していますね。すみません……」

言うまでもないが彼が先程私を助けてくれた時に街の人たちが投げていた石や雪の塊に当たってしまったのだろう。私が謝ればクユリさんは首を横に振って、謝らなくていい、と言った。

「聞いても大丈夫?」
「あ、ある程度の事なら…」

彼は彼なりに質問のタイミングを計っていた様だ。私は少し身構えた。

「君は、楽しい時ってある?」
「え…」

彼の質問に拍子抜けしてしまう。あまりに先程の出来事とは関係のない質問に言葉が出てこない。てっきりそういう事を聞かれるのかと思っていた。

「そ、そうですね…今はスケートをしている時が一番…気分転換出来る、気がします」
「スケートしてるんだ、君」
「はい」

こんな答えで良かったのか、と思いつつ彼を一瞥した。クユリさんはどこを見ているでもない感じだ。

「見たいな」
「私の、…踊りをですか?」
「うん、君の滑る姿が見たい」

私の踊る姿を見たいと言った人は今までに誰として居なかった。家族も、見せてとは言わなかった。昔一緒に練習していた姉だけは、勿論血の繋がりのない義理の姉であるが、彼女だけは私の踊りを見た事がある。

「でも私、上手く…ありませんよ?」
「うん、大丈夫」

彼は単調に返事をした。どうして私の楽しい時を知りたがるのか、どうしてそれを見たいのか分からない。だがスケーターとしてはこの先あるかどうか分からないたった一人のお客さんともとれる。

「では今日の21時に、この街のジムでお待ちしています」

その様に言うと彼は、分かった、と、どうして場所がジムなのかも聞いてこなかった。深追いしない人なのだろう、だが私がこれまで会ってきたタイプには当てはまらない。真意が分からなくて少し不安になる。それから少しの間があって私は自分の手元にある一昨日彼が私に着せてくれたコートを持っていた事を思い出した。先程の騒ぎで汚れてしまっている。

「あの…後、コートも、汚してしまって…お返ししようと思っていたんですけど」
「いいよ」
「それは流石に、洗ってお返しさせてください…」

そう言えば彼は少し困った様な表情を浮かべた。

「俺、明日発つんだ」
「そう、なのですか…」
「だからそれ預かっててよ」

コートを綺麗にして返したくてどうしようか考えてた所に彼が言った言葉の意味が一瞬分からなかった。聞き返せば彼はもう一度穏やかな調子で言った。そのコートを預かってて、と。

「毎年来てるから」
「来年も、ここに?」

その様に聞くとクユリさんは優しい笑みで頷いた。ここまで家族以外と話をするのも久々だった。彼は私が何者でも気にしないのだろうか、とやはり不安になる。

「送ってくよ」
「いえ、でも…」

私なら平気ですから、言い終わらぬうちに彼は優しい笑みで首を横に振った。すっかり日が落ちた街には先程とは違い街灯に火が灯り始めポツポツと目に眩しい光が入り込む。

「この街、どう思いますか?」
「地方の最北の地にしてはとても賑わってると思うな」
「ええ」
「セヴリーヌは?」

好きではない、そう言おうとした。だが何かの理由があってかもしれないが毎年ここに来ている人に言う言葉ではないと寸前の所で飲み込む。

「好き、ですよ…私を育んでくれた街ですし」
「そっか…」

クユリさんは何も言ってこなかった。きっと彼は私の本音を見抜いていただろうが、穏やかな笑みを口元に浮かべたまま私の隣を歩く。

「あの、私…やっぱりひとりで帰れますから」
「また怪我するつもり?」

そんな事はない、大丈夫だと言おうと思ったが言えなかった。彼とは後で会う約束がある。ただの強がりで絶対にバレてしまう嘘を、今既に見抜いているであろう相手に吐く勇気はなかった。

「でもクユリさんを巻き込みたくないんです」
「大丈夫だって」

どうして巻き込まれないと言えるのか、どうして大丈夫だと言って笑みまで浮かべられる余裕があるのか分からなかった。

「俺を信じて」

私は恐る恐る頷いた。彼がそこまで言うからには根拠の無い自信などではないと信じたい。彼は力強く私の肩を抱き歩を強めた。不思議に感じた、彼が隣を歩いているだけで私に寄る人も、私に罵声を浴びせる人も、居なかった。彼も白いから?そう数瞬考えたが違うという確信はあった。

「クユリさん」
「ん?」
「ありがとうございます」

クユリさんは当然、とでも言わんばかりに穏やかに微笑んだだけだった。

「おかえり、セヴリーヌ」
「兄さん…」
「彼は?」
「一昨日、私をここまで送り届けてくれた方です」

家の前でクユリさんにお礼を言っていたその時、義兄のリオネルが玄関のドアを開けて私を出迎えた。リオネルはクユリさんを見ると会釈をして、ありがとう、と言った。

「じゃあ、俺はこれで」
「待って」

再び雪の街へ引き返そうとしたクユリさんを呼び止めたのはリオネルだった。

「怪我してますね…手当しますから入ってください」
「いいよ、大丈夫だから」
「妹も怪我している所を見ると、妹を庇ってくれたんですよね?」
「大したことじゃない」

リオネル、と後ろから呼ぶ声がして玄関から姿を見せたのは母親だった。母親はクユリさんを見て少し驚いたような表情をしたがこちらに寄ってくる。

「あら、怪我を…、巻き込まれてしまいましたか?すみません」
「違いますよ」
「手当させてください、どうぞお入りになってください」

彼は大丈夫だと断り続けていたが、きりがないと思ったのか流石に根負けした様子だ。クユリさんは参ったな、と言いたそうな笑みでセヴリーヌを見た。

「では、お邪魔します」



prev next