「む、」

「・・・よォ」

見慣れた伸びた背筋が見えたので、屋台の暖簾をくぐって腰を下ろした。
珍しく一人で屋台の安酒なんて呑んでいたのが似合わなくて、猪口をひとつ主人に貰って燗を奪った。

「・・・銀時、自分の酒くらい自分で頼め」

俺と二人で管まいてるなら、屋台と安酒でも似合いだろう。


【ハロー・バードランド】



ガラガラッ
薄暗い部屋に足を踏み入れると、玄関で寝ていた貞春が鬱陶しそうに身体をよじって道を空けた。
酒の所為か胃が重い。
時折無性に乱暴に音を立てて歩きたくなって、そのくせそんな気力も無くて結局のそのそと部屋まで戻り、ささくれた畳に身体を投げ出し頭から羽織をかぶった。
藺草の匂いと桂の匂いが混じる。
屋台で呑んでいた桂の横に、律儀に折りたたまれていた藍の羽織を、持ち主に一言の断りもなくそ知らぬふりで持ち帰ったのは俺だ。
そしてそのうち持ち主が、これを取り戻しに来ることを知っている。
たぶん、「またお前はこんなことを」とか、言う。

カラカッ・・・ガッ・・・ピシャン


「おい銀時、この窓建てつけが悪いぞ」
「うるせーよ、窓から入ってくんな」
「今何時だと思っている。軽率に玄関を開けてリーダーが起きたらどうするんだ」

そう言って桂は何度か神楽の寝ている方向を気にしたあと(頭をすっぽり覆っているから実際のところは見えやしないが)、小さな布擦れの音と共に部屋の畳を踏んだ。
そうしてミノムシよろしく頭を羽織で覆って顔を上げようともしない俺を見つけてか、ふん、と鼻で小さくため息を吐いた。

「やはり貴様が持って行ったか。全くまたこんなことを」

耳の横でどすっ、と乱暴な音がした。
長い指が羽織をはがそうとするのに、布を抱え込んで拒絶を示す。と、「貴様、窒息するぞ」と眉を顰める気配がして、その後羽織の下を這うように差し入れられた掌が、俺の髪を撫でた。

「いい年をして・・・、まだ治らんかこの癖は」

癖じゃねぇ。ことをコイツも本当は知っている。
ガキのころは時々こうして、桂の物を持ち出した。
律儀に名前の彫られた筆とか、教科書とか。特にコイツの髪を留めていた結い紐。
戦時中は常に身に着けているものなんざそれっくらいしかなかったから、専らコレを標的にした。
桂のほうも初めのころは「何でこんなことをする」「言いたいことがあるならハッキリ言え」と掴みかかってきたものだったが、そのうち何を理解したのか、検討違いの言葉をいくつか投げながら、じっと待っているようになった。

「今度はどうした、またフられたか」

またとか言うな。何遍もフられてるみてーじゃねーか。
別に特に理由もない。俺の「これ」は突然ふっと内臓に巣食うと、突発的に桂の物を持ち出そうとする。
そうして桂が取り戻しにくるついでに、俺を見つけるのを待っている。
要は、気を引きたい。
我ながら認めたくないほど恥ずかしいが、たぶんそう。
まァ、それでもガキのころは良かった。
問題は三十路手前になった今でも同じことしてるという一点で・・・。

「違うのか。じゃあ何ヶ月も家賃の払えん不甲斐なさにやっと絶望したか」

ふざけんな先月払ったわ。


一度はもう会うことも無いと切り捨てて置いてきた相手だ。
今更抱きしめられる腕なんて持っていないし、激情を吐露する舌も動かせない。
何の因果か再び会った、とはいえ、互いに違うものを抱え込んでいる。
思想も立場も関係の無いところでさえ、胃の底に落ちた無言の自責が「昔の距離」を詰めさせない。
本当ならこんなことはしない。というよりも、できない。
こんな駄々をこねるような、「まるで昔のまま」の振舞いなんて。

「おい銀時、まさかホントに窒息しておるまいな?」

してねーよ。何だそのちょっと焦った声。


今髪に伸びている手。これはすべての元凶だろう。
実際の距離というのは怖いモンで、触れている実感は常に現実を突きつける。
例えば、もし、あの時俺と桂が再会なんてせずに、お互い何処で何してるかなんて知らないまま、ある日ニュースか何かで桂の死亡を確認したとする。
首を見に行くだろう。だが多分それだけだ。
ああアイツ死んじまったのか、昔ッからクソ真面目な奴だったからなぁ、
強いし頭も良かったけど、頑固で融通利かねーし・・・、
たぶんそんなことを、現実味のないまま桂の首の前で考えて、感傷に浸って安酒煽って、そっからまたいつも通り過ごすだろう。
もしかしたらある日突然ストンと腑に落ちて、声をあげて泣くこともあるかもしれない。
それでも多分、それだけだ。
今目の前でそんなことをされたら、抱えたモン全部放り投げて桂の前に首を並べないと言い切れないのに、あるいはそれを踏みとどまっても、どっか狂ってしまう気がするのに、

俺がコイツを捨て置いていったのは、それを恐れたこともあったんじゃなかったか?

「あっわかった、さてはリーダーにせがまれて怖い映画でも観たんだろう」

お前ちょっと黙っててくんない。

つまりこういうことだ。
会わなきゃ沈めとけたのに、ヘタにこんな距離にいて声やら手やらが触れてくるから自責も忘れて甘ったれて、こんなクソ恥ずかしい真似で構って構ってをやりだす、と。
整理すると何かホントに情けねーじゃん・・・。

心中は知らないが、桂がこれを俺に許しているのがまたいけない。
攘夷の勧誘だのバカ騒ぎだの、銀時銀時と「桂が俺を求めている」構図を桂が作ろうとするせいで、俺はそれに胡坐かいて際限なく甘えようとする。
コイツに屋台の安酒が似合わないとか言い訳して隣にすべりこもうとする。

お前の考えてることは昔からよくわからん、とコイツは言ったが、俺もコイツが何を考えてるのか全く分からない。
何なのお前、お前だって俺がお前ら捨ててどっか行った時何も思わなかった訳じゃないでしょ。
どう思ってんの、そこんそこ。

いっそこの手を知らないものにしてしまいたい。そのくせ、今この手にどろどろに溶かされたい。

「銀時、怖がらんでも厠なら付き合ってやるからな。いつでも言うがいい」

ヅラァ、やっぱ俺はお前がいるとダメになるかもしれねぇよ。
今だって俺が手を伸ばしたらお前はとってくれるんじゃないか、俺が抱き寄せたらお前は腕ん中に収まってくれんじゃないかって思ってる。俺の負い目もお前の痛みも都合の悪いことは全部忘れて甘えだそうとしている。

「銀時、」

今名前とか呼ぶのやめてくんない。空気読んでくんない。
泣きそうだから。三十路前のオッサンが泣きそうだから。

桂の手は相変わらず羽織の下で、俺の頭を撫でている。


「銀時、」



・・・泣いちまうよ、桂。


















何が書きたいのかわからなくなってこっちが泣きたい件





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