バイト帰りにいつものスクーターを見かけたから、乗せてくれと言ったのだ。
エリザベスは今日いないし、夜道を一人で歩くのは危なかろうが。そう言ったら、危ねーのは夜道じゃなくてオメーだよと嫌そうな顔をして言って、やっぱり嫌そうな仕草で座席を開けて中から白いヘルメットを出して寄越した。


流れていく夜の町並みを見るのは結構好きだ。ひゅんひゅん、と来ては過ぎ来ては過ぎする街の明かりを小さなスクーターの後ろで追っている。初夏の宵は春の瑞々しさと夏のけだるさが混ざっていて、知らぬところで開いているジャスミンの香りが風に乗ってやってくるのが、どこか官能的だ。
落ちないように銀時の背中にへばりついている、それを後ろからやってきた大きなバイクに追い越された。隣を見ればスクーターにいい年した男二人という痛い図が見られたろうに、若いカップルを乗せたそのバイクはもうすっかり二人の世界、というふうで、周りなぞ見えていないようだった。
前で銀時がチッ、と舌打ちをひとつする。何が言いたいのか何となく分かって、女子でなくて悪かったな、と聞こえるようにからかうと、そうじゃねーよと返された。

黒い大きなバイクはもうぐんぐん遠ざかっていってしまった。運転手に腕を回していた、年若い女性の恋に染まった顔が印象的だった。フルフェイスのヘルメットを被った運転手の男の表情は見えなかったが、きっと同じような顔をしていたのだろう。よくある、恋人が世界の全てという年頃だ。

(あなたさえいれば何もいらない、なんてそんな恋を)

突然そんなことを思ったのは、預けた肩の温度で前にいる男を思い出したからだ。俺たちはもうずいぶん長いあいだ恋をしてきたけれど、お互いしかいない恋なんてものは一度だってしなかった。先生がいて、戦友がいて、守るべきものがいて、いつだってそれらを抱え込んだままの恋だった。
すべてを放り投げてお互いを求め合うだけの恋を、したいと思ったことはないけれど。

「銀時」
「あ?」
「逃げちゃおっか」
「は?・・・元ネタがわかんねーよ古ィんだよオメーのは」

逃げてしまおうか、互い以外のすべてのものから。
そんなことは言わなかったが、言わないのに銀時は何かを聞いたのか、溜息をひとつ吐くとカチッと右にウインカーを出して車体を傾けた。


頭上をいくつも外灯が駆けてゆく。年季の入ったシルバーのベスパは男二人を何とか乗せて、もう輸送トラックしか走らない高速道路を上っていった。
四車線もある広い道路は両サイドを背の高い生垣やらコンクリートやらでガッチリガードされていて、夜だということをさし引いたって景色を充分楽しめるようには出来ていない。その代わりに遠く向こうまでずっと伸びるアスファルト、添うように煌々と道路を照らすオレンジ色の外灯がまるで近未来のSF映画の世界に招待してくれるようだった。右車線にいるハイスピードのトラックたちにつられて、汚れたスクーターは懸命にメーターを振っていく。こんな状態で上を見たって当然星なんて判らなくて、今俺に見えるのは銀時の背中と、その前にどこまでも続く一本道ばかりだ。

(まさに盲目、)

こんな時間に無難に左車線を行く車などなく、後ろを見ても前を見ても、走るのは俺たちばかりだった。
銀時は何も言わずにスピードを上げていく。このまま何も言わないでいたら、ほんとうにどこまでも二人だけで走っていくというような、そんなタイヤの音だった。最高に快感で、少しだけさみしい。そういう音がした。

「銀時、次のSAで引き返そう」
「・・・・おー」

時々上に掛かる青い看板を無視して、サイドにぽつんと出てきた緑色の看板に誘われるように近くのSAに入り込んだ。
スクーターは適当なところに停めた。作りつけになっている芝生の物見台からは朝焼けに染まらんとしている海が見えて、随分遠くまで走ってきたのだということに気づく。今夜初めて深く息を吸い込んで、一気に吐いた。肺を充たす朝の匂いと僅かな潮の香りが、あのSF映画の夜を非現実めいたものにする。
そんなことをしていたら、トイレだといって離れていった銀時が缶コーヒーを持って戻ってきた。

「ん」
「すまんな」
「もーいいの」
「うむ。・・・ちょっとやってみたかっただけだ」

(あなたさえいれば何もいらない、なんてそんな恋を)

二人だけで走っていく広い一本道は高揚感に満ちていたけれど。馴染んだ街に寄り添うようにして走る、下道の明かりが恋しかった。曲がり放題の古い道路は周りの人の明かりできらきらしく、どこまでも愛おしい。
いよいよ昇りだした朝日で海が真っ赤に照りだされるのを、その眩しいのに目を細めて、手元のぬるい缶コーヒーを飲み干した。微糖、と書いてあるそれは、それにしては随分甘い。
背中の向こうで一足先に踵を返した銀時が缶コーヒーをゴミ箱に捨てる音がした。

「ヅラ、帰ぇーるぞ」

倣って己もゴミ箱に缶を放るのに、顔を上げたらスクーターの隣で銀時がヘルメットを持って待っている。その髪がやはり朝日を浴びてきらきらとするのに、眩しさでなく目を細めた。
真夜中のハイウェイよりも、陽の当たる駐車場のほうが似合うこの男が言いようもなく愛おしい。
帰りは下道で行くか、と戯れに提案したら、どんだけかかると思ってんだバカと返された。けれどきっと行きよりもスピードを上げない筈の銀時の、今度はその背中に思い切り腕を回してみたくなって、我ながら生娘のようだと可笑しくなった。

背中でニヤニヤと笑い出す俺を、銀時はちょっと引いた目で見ながらエンジンをかけている。











ベスパのHP見たら銀さんの愛車に似てるのが高速道路走れるタイプだったのでつい



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