雨粒が庇から垂れる音がする。
とん、と、とん、
かん!
煙草の葉を落とす音が意外なほどに響いて、眠っていた男が目を開けた。波打っていた長い髪を引き上げて、煎餅布団が腰元に落ちる。
悪いな、起こしたか。
「いいや、懐かしい音がした」
男は肌蹴ていた襦袢を肩まで引き上げる。冷えるだろうに、そのままの格好でこちらへやってくるものだから、手近にあった羽織を掛けてやった。
後ろでは開いた雨戸の間から、しと、しと、遣らずの雨が続いている。もう夜が明けるというころの、少し明るい空から降る雨である。それが畳に埃の匂いを落とし込むので咽そうになった。
雨戸の内側はまだ暗い夜が続いている。
ああ・・・これか、
己の、手元で弄ぶ管のようなもの、を見て、男がそれを取りたがる。
昨日、酔狂で煙管を買った。
わざわざ葉を詰めなければならない其れを好きではない。ほんの二口のんだだけで換えなければならないのも、煙草盆に打ち付ける音が五月蝿いのも不快だ。
そう言ったら、二口のむのは野暮のすることといつかこの男に笑われたのを、昨日羅宇屋で思い出して、こうなったら見ていろと意地っぱりが急に出てきてこんな酔狂をしたのである。
もとより煙草というのをやらない男は、知識ばかりつけてしまったといった。
のむか。
「そんな真鍮なぞ、口へやるのは厭だな」
肩越しに顔を出して、男がほの白い手で羅宇に指を伸ばした。外の冷えるのがじわりと男の首筋を侵し、いちど小さく肩を上げたのを布擦れの音で知る。
とん、と、とん、・・・とん、
風もないのにどこからかむわりと濡れた土の匂いがする。埃くさい畳の匂いから古いあばら家の木の匂いから、いろんなものが混じって、雨の匂い、としか呼べないものになっていた。
ぱしん!
男の後ろで一度柱が鳴いた。それもすぐに外のしと、しと、に溶けていってしまう。
手元の煙管が男の手で遊ばれているのを見やる。火皿から雁首は勿論、吸い口まで同じように真鍮でできたこの煙管は、どうせ戯れと思って一番安いものを求めたのだった。
「ほんとうは吸い口だけでも金か銀にするものだ。なめらかでな、情人の口を吸うようだと」
しらねぇくせに、
「知っているさ。なかなかどうして、口あたりが違うものだ」
常よりも眠たそうに目を細めたまま、ぼんやりと白い顔で男が微笑う。煙管を弄んでいた手が、ふと離れて左目を辿るのを不思議に思って、けれどさせるがままにさせている。
男の触れていない身体の右側がすこし冷えると思ったが、羽織をやってしまったことを思い出した。
情人の口吸いたァ、にあわず色めいたこというじゃァねェか。
「そうかな」
だれに教えられた。
「さぁ、」
男はいっそう目を細めて、吐息のふれるほどの近くでその綺麗な歯並びをちらりと見せる。
ぱたたた・・・、と、遠くで雨つぶの連なって落ちる音がした。
するりと男の腕が鎖骨から首に回る、その肌に触れる音が妙に乾いて耳に届いてくる。
じゃぶ、と下で新聞配達の男が水たまりに難儀するのが聞こえていた。
雨の日の、夜明け前の話である。
「憶えていないな」
そうかい。