まだ夕日という時間帯ではないが、日は大分傾いていた。長閑な昼下がりは先程から少しずつ雲が出てきたようで、ギシ、ギシ、と古い観覧車が揺れるたび、色々なところに影を作った。
桂は観覧車に乗り込んでからずっと、景色も見ないでひとつ上を行く赤い観覧車を眺めている。ご丁寧に下駄を脱いで、シートの上に膝を乗せて。和服の裾から覗く白い足がぼやりと浮いた。それでも俺と作る無言の空間は居心地悪かったのか、メリーゴーランドと違って向こうに声を聞かれる心配をしなくて良いからか、桂は特に俺にというでもないが誰かに聞かせるように、自分のペットがいかに有能で愛らしいかを語っている。
あのペットが有能なのは知っている。毎度桂に逃げられる、その3分の1くらいはあれの手引きだ。無論あれがいなくても桂はきっと逃げただろう。しかし車を手配したり口からバズーカ出したり、あのオバQが桂の逃走を易くしているのは確かだ。
しかし愛らしさは好みの問題だとしても、あれにこだわる理由はあるまいが。

「・・・・なァ、桂」
「なんだ」
「アンタがあのペットにご執心なァ分かったよ。だがこう言っちゃ何だが、替えはきくだろ」
「そうだな。有能なだけなら替わりはいる」
「可愛かねェってか?」
「可愛いのもおらんことはないぞ?まだちと若いが」

日が隠れて、ふと暗くなった。桂がこちらを見てニヤリと笑った、のが硝子に映った。鏡合わせの唇を、桂の形のよい指が辿る。
その意地の悪い不遜な笑みは遠くで何度となく見ている筈なのに、何故だかこれは妙な色気を含んでいてぎくりとした。もしかして、観覧車なんか桂と二人で乗るべきではなかったんじゃないのか。
ゆっくり昇ってゆく小さな箱は、まだ頂上までほど遠い。


桂はつ、と指を下に辿らせて、また視線をひとつ上に向けた。
辺りがまた少し明るくなったせいで桂の表情はさっきより見えにくくなっている。だが視線を上に向けた瞬間、その目は慈しんでいるように見えた。

「・・・・・・エリザベスはな、」

ぽつ、と桂が呟きだした。
先程からゆらゆらと変わる陰影のせいで、今桂の後姿はちょっとしたアートのキャンバスだった。例えば、水槽の揺れるプリズムが壁に映っているような。すぐそこにいる筈なのに、映画のフィルムを回しているような気持ちになるのはそのせいか。
桂の斜め向かいに。窓に添って座って。景色も見ずにといいながら、手前ェこそ桂の後姿ばかり見つめていて、それに気づいてまた少し落ち込んだ。

「旧い友人が連れてきたのだ。ひとりでは寂しかろうと言ってな」

ふるい友人。桂がそう呼ぶだろう者のことは、一人しか知らない。
けれど多分アレじゃねぇだろう。不本意ながら似たもの同士、だから分かるが、そういうことをする奴ではない。俺もアレも。じゃあ?

それ、誰だ。

口から出そうになって、慌ててやめた。聞く義理でもないし、聞いても桂は答えない。

「あの時俺はちょっとピリピリしていてな。エリザベスが来てから丸くなったと、みなが言う。

そして丸くならねば見えぬ世界も、人もあったよ。今の俺にはエリザベスが必要なのだ」


硝子に添わせた桂の手が二つ上のペットの姿を探す。光の加減で顔はうまく見えなかったが、声が愛おしいと呼んでいた。
それがあまりにも知らない声だったので、まるで本当に活動写真でも観ている気になって、その時俺はやっと一つ上の観覧席に目を向けた。時々動く白い影が、どうしても嫉ましい。そりゃお前、だってあんな声を。

俺の見ている活動写真は、主人公を一生懸命ヒロインが見つめているシーンだ。
そして大体男ってのは、映画と知りつつヒロインに恋をする。





「エ、エリザベス!!」

がたんっ!と音をさせて桂は突然硝子にへばりついた。その音に驚いて、俺も現実に引き戻される。
桂が何だか必死なので、俺も何事かと隣に移る。と、親父がオバQの手を取って何やら話していた。正直あんまり見たい絵ヅラじゃねぇな・・・。多分あれが正式なオファーなんだろう。いや俺は信じている信じているぞエリザベス、と耳元といっていいくらいの距離で隣の桂がぶつぶつと呟く。やめてくんねーか何かソレちょっと洗脳されそうだから。
エリ・・・オバQはちらっと親父の手を見て、そして白いプラカードを、

「エリザベスゥウウ!!」

『悪いが俺の好みじゃねェ』と無駄に漢前のセリフの写るプラカードで親父をはり倒した。
アレ、双眼鏡・・・何で使っちまったんだ、俺。
そしてオバQはそのまま目線を下へ下ろすと、俺たちに・・・いや桂に向かって手(?)を上げた。
多分親指を立てる仕草をしたかったんだろう。多分とは思ってたけどやっぱりバレてたか。

「よし!グッジョブだエリザベス!!それでこそお前だ!!」

隣で桂は飛び上がらんばかりに喜んでガタガタと身体を揺すっている。俺だから良いものの、高所恐怖症の者などが同乗していたら揺らすなとブチギレられるところだ。
大人気なく紅潮させた頬は白磁の陶器に蓮の花でも描いたようで、生意気な黒い瞳は今やすっかり夜空の星を散りばめたようにきらきらとしている。こいつこんな顔できたのか。
両手をばんばんと硝子に叩きつけて子供のようにはしゃぐ桂を、その理由はどうあれこれ以上見ているのは何だか不味い気がして、俺はすごすごと向かいの椅子へ戻った。


観覧車を降りると、親父とオバQは既に分かれて去った後だった。
満足そうに出てきた桂と、げっそりして出てきた俺を、案内の従業員はどう思っただろうか。「おつか・・・おっ、お疲れさま・・・です」と、俺に向けるねぎらいの言葉に妙に神妙なものが含まれていたのは、多分気のせいじゃない。
正直疲れた。何か開いちゃならねぇ扉まで開いてしまいそうで色々疲れた。
だがしかし、俺の仕事はこれからだ。


「オイ、桂」



観客は映画の中でだけ、ヒロインに恋ができる。
幕が下りれば役は終わり。ヒロインはただ手の届かない大女優だ。



終わった映画のヒロインに、俺はもう一度手錠をかけた。










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