「苦しいよ」
静かな部屋にぽつりと落とされたその言葉は、じわりじわりと浸透し浸食していく。夏場の冷たいグラスの下、薄いコースターが濡れていくように。僕はその言葉に否定も肯定もしない。苦しいのはきっと誰だって同じだけれど、それを口にするかどうかは別だと思うからだ。

「なんで苦しいと思うの」
僕は苦しいと感じても決して口にしない。弱みを見せるのが嫌だとか、周りに干渉されたくないだとか、そういったものも少なからずあるのだろうけど、そう言うよりかは、自分の感情は全て自分が抱えていたいという思いが強いのだろう。だれもしらない僕だけの感情、そう思う事で僕は自分のプライドを保っているのだ。

「上手く生きれないの、だから苦しいの、もっと気楽に生きたいのに、どうして私は次から次へと要らないことを沢山考えて、そうして一人で勝手に真っ暗闇に落っこちちゃって、もう、いや」

僕だって要らない事を沢山考える。寧ろ要らない事しか考えていないと言った方がいいくらいに。だけどそれの何がいけないって言うんだ。気楽に生きてるやつの何処が羨ましいんだ。あんなやつらは必要最小限の事しか考えていない。要らない思考だって、きっと無意識上にも僕らの糧になる。要らない思考を棄てたからと言って上手く生きられるようにはならない。そうして試行錯誤した果てに辿り着く場所が、君にとっての本当の生なんじゃないかと、僕は考えるけどね。

「あの時どうするべきだったのか、あの時なんて言う事が正解だったのか、そんな事今更考えたって何の意味も無いのに、そればかり私は考えて、」

過去を振り返り反省しどうすべきだったのか考える事はとても重要だよ。君はなんたってそんなに自分を責めるんだ。考え次第で君の思考が正しいのか正しくないのかなんてどうにでもなるし、第一君の思考は間違っていない。

「貴方は苦しくないの?自分の頭の中が重たくなりすぎて全て棄ててしまいたいと思ったりすることは無いの?」

「僕の事はいいよ、それより君の方が、」

「私はもうこの苦しみから解放される事はきっと無いの。苦しい苦しいって醜く喚きながら生きてく。本当に貴方は苦しくないの?それとも」

ああ。煩い。

うるさい、うるさい、うるさい。
この苦しみは僕だけのものだ。

誰にも渡すものか。
ましてやお前のような、恥知らずの恥晒し、無知低脳の女などに、僕の苦しみは、


――ぽたりと汗が掌に落ちて弾かれたように我に還る。しんと静まり返った部屋には壊れたテープのような蝉の鳴き声と、古いインクを垂らしたような鈍い視線だけが存在を示す。
僕の抱えて来たどす黒い感情はとっくに容量を越えて悲鳴を上げていた。隠し切れないものでも隠し通すべきなのか、初めから諦めて隠さないべきなのか、僕にはもう分からなかった。意味の無い思考が邪魔をする。糧になど少しもなっていなかったそれは、意味無く僕を苦しめるだけ。

もう部屋に女は居ない。初めから居なかったのかもしれないが、確かめる術は無い。
上手く生きたいと僕が泣いている。
僕だけが知っている劣情が泣いている。
泣き喚いてそしたら全てが綺麗になるから


 
2011/06/04

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