天羽翼: キスを阻む最後の砦5


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保健室に着いてはみたものの、保健医は席を外しているらしく入り口に「外出中」の札がかかっていた。
とりあえず急病だから、と名前は構わず俺をベッドに座らせ、携帯を取り出す。


「ぬ?どうするんだ?」

「天羽くんはとりあえず寝てて!・・・えっと、あ、もしもし?」


どうやら名前は知り合いに電話をかけて応急処置を聞いているようだ。なんだか気が抜けてしまった俺は、ぽすん、とベッドに寝転がった。
名前の声を遠くに聞きながら、俺は白い天井を見上げる。星月学園でも、よくわからない気持ちになったときはぬいぬいやそらそら、書記たちが教えてくれたっけ。
俺の今の気持ちも、ぬいぬい達に聞いたらわかるのかな?


「え?・・・あ、はい。そうですけど、どうしてご存知なんですか?」


そんなことを考えていると、遠くに聞いていた名前の声のトーンが変わった。声が上ずっている。
何かあったのか?と言わんがばかりにベッドから起き上がって名前を見やると、彼女もこちらを見ながら話を続けていた。


「・・・はい。では、本人に代わります。お待ちください」


そう言って、名前は携帯を俺に差し出してくる。


「星月学園の、星月先生だって。天羽くんに代わってくれって」

「ぬ!?素足隊長!?」


久しぶりに聞くその名前に、はやる気持ちが抑えられず、差し出された携帯を掻っ攫うように受取った。
電話の向こうに居る存在に声を掛ける。


「素足隊長!?素足一等兵であります!」

《はは、相変わらずだな天羽。元気だったか?》

「うぬ!元気いっぱいなのだ!素足隊長は?あ、そうだ。どうしてこの電話に?」

《待て待て、そういっぺんに喋るな。とりあえず落ち着け》


電話の向こうから聞こえる穏やかな口調に、星月学園での楽しかった想い出が頭の中を駆け巡った。
想い出の端に名前の心配そうな顔が映り、俺はハッとして目を逸らした。


《ところで、さっき電話に出たのはお前の彼女か?》

「ぬ?名前か?」

《俺の友人宛に電話をしてきたんだが、友達が苦しがってるからどうしたらいいかって、一生懸命だったらしいぞ?》

(え・・・・・)

《天羽?》

「ぬぬ、何でもないぞ? 俺はこの通り元気いっぱいなのだ!ぬはははー!」

《・・・・・そうか。お前の病気の治し方は彼女に聞くといい。じゃあ、さっきの彼女に代わってくれ》

(?)「ぬいぬいさー!素足隊長、またなー!」


素足隊長の意味ありげな言葉に違和感を感じながらも、名前に視線を戻して「はい」と携帯を渡す。
俺を心配そうに伺う表情にちょっぴり罪悪感を感じつつ、出来るだけ笑顔を作ってみせる。
俺から携帯を受取った名前はしばらく俺から目線を離さずいたが、次第に俺に背を向けて話し始めた。


どれくらい時間が経っただろう。ピッ、という音とともに名前が電話を切った。
俺は待ちくたびれて、名前に声を掛ける。


「ぬ、終わったのか?」

「う、うん・・・・」

「素足隊長、何か言ってたか?」

「それが、その・・・。天羽くんの胸の痛みは私のせいだって・・・」

「ぬあ?名前のせい?」


素足隊長の言葉からこの胸の原因を推測してみる。
・・・確かにその通りかもしれない。そう仮定すれば、全てが結びつく。

名前が離れると胸が痛むのも、
名前にくっついている時は痛みが消えるのも、
名前の噂を聞いたとき、胸がもやもやするのも、

そう、みんなみんな、名前のせい。
俺の中で、解けなかった疑問は、ある感情の魔法で解き明かされていく。


「・・・ぬはは、俺はやっぱり天才なのだ」

「え、どうしたのいきなり」

「名前、ちょっとこっちに来て?」


訝しげに俺を見る名前を手招きして、ベッドの端に座らせる。
遠慮気味にこちらを向いた名前に、俺は遠慮なく抱きついた。


「えっ!!ちょ、ちょっと、天羽くん!?」

「俺の胸の痛み、やっぱり名前のせいだったのだ。治してくれるよな、これ」

「なに、それ!?意味が解らないよ!」


慌てふためく名前から体を離し、俺はかけていた眼鏡を外した。
未だ状況がつかめていない名前の頬を両手で包み込んで、おおきな双眼を覗き込む。
顔を真っ赤にして俺を見上げる名前の目は、俺だけを映している。
そんなちょっとしたことに、胸が躍る。心がぽかぽかする。嬉しくなる。

・・・ああ、これはやっぱり。間違いないのだ。


「なぁ、名前」

「な、何?」

「俺、名前とずっとこうしていたい。離れたくない」

「天羽くん、本当にどうした・・・」


名前の最後の言葉は俺に呑み込まれ、会話が途切れた。
誰も居ない保健室に、ふわっと爽やかな風が吹き込んでベッドのカーテンを揺らす。
そのカーテンの奥で、距離の無い二人が甘やかな刻を刻んでいた。


名残惜しく名前から離れると、名前は初めてまっすぐ俺を見てくれていた。
その表情に、俺は名前に受け入れられたのだと確信する。

名前を好きな、俺を。


「名前、好き。大好き!」


この先、何百回何千回言っても足りないその言葉。
俺の中から溢れ出て止まらないこの気持ち。
ゆでだこのように真っ赤な名前の顔がさらに熱を帯びて瞳が潤んでいる。


「ちょっと、いきなりは、ずるいよ・・・」

「ぬは、ごめんなのだ。でも名前が大好きで仕方が無いのだ。もう片時も離れたくない」


そう自分の気持ちを伝えたら、今度は名前が胸を抑えて俯いてしまった。そして、小さく「私も」の声。
今この瞬間、俺と名前の物語が幕を開ける。


「もう俺達を邪魔する眼鏡も無いから、名前も遠慮しなくていいぞ?」


いたずらっぽく囁いたら、お腹にパンチを入れられた。
一筋縄ではいかない俺のかわいい彼女。願わくば、ずっと一緒に居られますようにと、名前を抱く腕に力を籠めた。